文革用語探求3~牛棚~

2021/09/20

志在四方山ばなし 中国語 文革用語探究

用語と意味

  

牛棚 niupeng

原義は牛小屋、転じて「牛鬼蛇神」を収容する収容所

 


解説

反動派、走資派、反動学術権威……なんと言っても構わないが、とにかく当時「悪い者たち」とされた人々を収容するために設けられた臨時の収容所のことを指す。最初から「牛棚」という名称であったわけではなく、郝斌著 『文革下の北京大学歴史学部  「牛棚」収容生活の回想』では1966年にブチ込まれた著者が、その3年後の1969年に牛棚から出所するときに自分が入っていた施設がそう呼ばれていることに初めて気づいたと述べられている。

 

このいかにも悪趣味で不謹慎な単語が生まれた経緯を知るには悪人とされた人々の蔑称を知る必要があるだろう。もともと悪人に対する蔑称は黒幇であったという。これは康生が用いた語だったのだが、その後、偉大な領袖毛沢東主席が「牛鬼蛇神(妖怪変化)」という単語を使ったことからこちらのほうが有名になり浸透した。そこから「牛棚」という単語への着想が生まれたのだろうと郝斌は予想しているが、年配の方が多かった「牛鬼蛇神」の緩慢な動きや、彼らを引っ立てて強制労働へと連れて行く場面からも牛棚への着想が生まれたのだと思う。

 

「収容所」や「労働改造所」という厳しい字面と違って「牛棚」はどこかユーモラス。文革初期にこうしたブラックジョーク的なものを言うと紅衛兵といえども「再教育を矮小化云々!」と却って自身が批判されてしまいそうだ。だから紅衛兵たちもさすがに文革に飽き飽きしてきた頃に生まれた語なんじゃないかと思う。ただし、収容されている側にとってヤバい場所であることにずっと変わりはなかっただろう。なにしろ、同じ牛棚の住民である牛と違って日常的に批判大会に引っ張り出されたり、ぶん殴られたりしていたというのだから。

 

「収容所」というとナチス・ドイツやソ連の国家規模で運営されるものが思い浮かぶ。しかし牛棚の特筆すべきポイントは、それらと違って国家が設けた施設ではないということだろう。たとえば北京大学では各学部にそれぞれ牛棚があったというのだからその充実っぷりには恐れ入る。ここで注意したいのは、学部や大学そのものが造反を起こした革命師生(革命的な教師と生徒)によって運営されていたということだ。既存の制度をひっくり返した組織が独自に設けた施設なのだから、もとより法に従うなどは期待できず、私刑を目的とした施設であったと定義することができるだろう。

 

これらの施設は紅衛兵の活動が下火になったころ、1968~69年にはすでに消滅していったと思われる。牛棚が担ってきた思想改造などの役割は、最終的には国家が所管する五・七幹部学校に引き継がれた。