国家の指導者にはスキャンダラスな噂や風説が付き纏い、それは往々にして誇張されたもの、あるいは全くのでっちあげである場合が多い。偉大な領袖にして全世界人民の心の太陽、我ら紅衛兵の教師であり舵手である毛沢東主席とて例外ではない。農村から若い女性を集めて毛主席の「ニーズ」を満たしていたとか、風呂に入っていなかったという噂が広く流布している。そうした真偽不明の情報は本人、あるいは非常に近しい者にしか知れ渡っていない場合が多いので、それが正しいのか間違っているかを検証するのは非常に難しい。しかしそれでも、手に入る限りの情報を集めてみずから風説の真偽を確かめることはぜひとも必要である。というわけで今回は「毛主席歯を磨かなかった説」を徹底検証してみたいと思う。もしもきちんと磨いているようであれば風説を流布する反動派に一撃を食らわす事ができるし、磨いてないようであれば、一緒になって面白がることができる。
①「毛主席歯を磨かなかった説」を掲げる資料
李志綏著『毛沢東の私生活 上』
主席には歯をみがく習慣がなかった。華南の農民の多くとおなじように、朝はお茶をつかって口をすすぐだけ、そしてお茶を飲みほしたあと、残った茶の葉っぱを嚙むのである。毛沢東は、なんとか歯医者にみせようとする試みをことごとくしりぞけたのだった。毛沢東に自分の意見を堂々と開陳する彭徳懐元帥は早い時期から私に対し、口腔衛生を改善するよう主席にすすめてほしいと提案していた。「主席の歯は緑色のペンキでぬってあるみたいだ」と述べたものである。事実、主席の歯列は分厚い緑色がかった皮膜におおわれていた。何本か歯がゆるんでいた。歯茎を軽くおしたら、膿がにじみ出てきた。
(引用者注:歯科治療を受けたあと)毛は歯ブラシと練り歯みがきを入手するように命じ、歯の手入れを始めるようになった。ところが数日で、歯みがきはやめてしまった。
一九七〇年代の初期には、上顎の歯は一本残らずぬけ落ちていた。
正確に描写してくれるのはありがたいのだが、「緑色がかった皮膜」に覆われた歯とかの表現なんかオエッ!となってしまう。「歯医者に見せようとするこころみ」に反対するのが小学生ならばまだ可愛げがあるものの、いいオジサンが歯医者に行きたがらないと思うとドン引きで、権威も神性もあったものではない。 著者の李志綏氏は医師で、毛主席の健康管理を担当していたと言われる。歯科医ではなかったが、毛主席の信頼が厚かったために歯科も無理して担当していたという。実際に口内を診察して、緑色の歯を見ているとすれば、信頼性の高い資料である。
しかしながら、李志綏氏は自ら、「迫害を恐れたために日記や資料は焼却した」と述べている。加えて、毛主席の身辺にいた他の人々が、「虚偽の内容である」としてこの本に反論した書籍を出版しているため、信頼性はよく検証する必要があるだろう。また、「歯が緑色の皮膜で覆われることはありうるのか」、「歯をみがく習慣がないとしたら1970年代初期(毛主席77歳)くらいまで上の歯が残っているのは不自然ではないか。もっと早く歯が崩壊するのではないか」という疑問が生じる。
書籍の中に興味深い描写がある。なぜ歯を磨かないのか、と問われた毛主席が答えてのたまわく「虎は決して牙をみがかない。それなのに虎の牙はなぜ鋭いのか」。意味不明かつ飛躍した理論だが、私はここに「毛主席らしさ」を見る。 「皆やってるよ」というような理由は理由にならない毛主席、そんな傑物だからこそ歯を磨かない説も、さもありなんという感じさえする。
さて、ここで要点をまとめてみよう。
①歯を磨かなかった。ただ茶で口をゆすぎ、茶葉を嚙むだけ。
②数日間だけ、歯磨きをした。その際につかったのは練り歯みがきである。
③1970年代初期、毛主席が77歳以降には上顎の歯が一本もなかった。
これらを踏まえた上で検証を続けよう。
②「毛主席歯磨きしてた説」を示す資料
矢吹晋著『毛沢東と周恩来』
練り歯みがきさえ用いず、安物の粉歯みがきを用いていた。
毛沢東の歯ブラシは豚毛がなくなるまで代えなかった。
毛沢東が事務をとる場合、お茶なしではすまされなかった。飲み終えたあとの茶葉は、指ですくって食べた。
あっさりした記述だが、しっかりと歯を磨いていることを示している。こういった事実は、矢吹晋氏が、毛主席の護衛兵であった李銀橋から直接聞いた話としている。李銀橋は1947年から1962年まで毛主席の護衛を務めたようだ。
ここでは磨いていたという事実に加えて、何をつかって歯磨きをしていたかも述べられているのが面白い。毛主席は歯磨き粉を用いていたようだ。歯磨き粉といっても我々が想像するチューブに入ったアレではなく、ほんとうの粉のほうである。歯が削られすぎてしまって良くないように感じるが、磨かないより遥かにマシだろう。そして歯ブラシの材質にまで言及されており、豚毛のブラシをつかっていたようだ。なくなるまで。豚毛はかなり硬いと思うのだが、「なくなる」なんてあり得るのだろうか。とにかく、ここではとても古風かつ物持ちの良い態度(吝嗇とも云う)ではあるが、歯磨きを行っていたと述べているわけだ。
そして「磨かない説」で登場した「茶葉を嚙む」という行動もここでは挙げられている。しかしながら、口腔衛生のためにお茶を飲んで葉を噛んで、という感じではなく、事務作業にお茶が必須で、飲み終わったあとは葉も食べていたという毛主席の農民らしい性癖の側面が強調されている。
矢吹氏は中国経済と現代中国論に明るい中国研究の大家とも言える人なので、比較的信頼性は高いし、毛主席の護衛であった李銀橋から直接話を聞いているというところも正確性を高めていると思う。ちなみにこの本では毛主席が下戸であったとか、一日に吸うタバコの本数なども書かれていて大変面白かった。建国以前のある日は一日4箱も吸ったという。一箱20本入りとすれば80本というヘビースモーカーである。それほどの愛煙家が歯を磨かなかったら口臭とヤニでスゴイことになりそうだ。
北海閑人著『中国がひた隠す毛沢東の真実』
毛沢東は十七歳で湘潭県韶山の生家を離れ、勉学と革命運動に身を投じたが、終生「牙粉」(歯磨き粉)を愛用した。一九四九年以降になると、中国でも「牙粉」が「牙膏」(練り歯磨き)に取って代わられ、牙粉生産が縮小され、ついに市場から姿を消した。(中略)周恩来総理は、上海牙膏廠(当時の中国最大の歯磨きメーカー)に特命を出し、毛沢東のために牙粉の生産をさせた。一九七六年九月に死去するまで、毛沢東は牙粉を使用し、牙粉の生産は細ぼそながらつづいた。
『毛沢東と周恩来』とはまた異なったエピソードを交えて述べられている。ここでも、毛主席は歯を磨いており、それは歯磨き粉を使ったもので、練り歯磨きを使うことはなかったとされている。そんな毛主席愛用の歯磨き粉であったが、なんと生産中止に近い状態になってしまったという。そこで周恩来総理が気を利かせて毛主席専用生産ラインとでも呼ぶべきものを設置して他に誰も使わない歯磨き粉の生産を継続させたらしい。周総理、本当に気配りの達人だなぁ……という感じ。どうも毛主席は練り歯磨きが高級品だからイヤだ、とかそういう理由でなく、ただ昔から使っていたから、という理由でそれに固執し続けたようだ。巨大な中国の万里山河に革命をもたらした偉大な革命家が、自身の歯磨きという些事にすら革命を起こせなかったのはなんとも対照的なものだ。
この本の著者は「中国共産党中央直属機関に長くつとめ、引退した古参幹部」とされており、北京在住で北海閑人というのはペンネーム。名前を明かして党を批判すれば明るい老後が送れないことは明白なので仮名を使うことは当然だが、素性が知れない存在ゆえ、著書の内容にも疑問符がつかざるを得ない。たぶん、毛主席と直接会うという栄誉に浴したことはないだろう。したがって、ここでの毛主席評はうわさの域をこえず、あまり信頼性が期待できないと思われる。しかし、『毛沢東と周恩来』で李銀橋が述べた毛主席像――練り歯磨きを嫌い、歯磨き粉を好む――と一致するのはおもしろい。私が知らないだけで、毛主席が歯磨き粉に固執し続けていたという事実は意外と有名なのかもしれない。
ここで上記2つの文献をまとめると
①歯は一応、磨いていた
②歯磨き粉(粉歯磨き)に異常なこだわりを見せた
という点が一致しており、これは李志綏医師の主張(歯を磨いていなかったし、数日磨いたときの練り歯磨きに抵抗を見せない)とは全く食い違っているといえる。
自力検証,艱苦奮闘
結局、どの資料を見ても決定打となる証拠は見つけることは出来なかった。それはそうである。例えば「文革期の毛沢東」みたいな真面目な毛沢東研究は山のようにあるけれども、主席の歯磨き事情であるとか性事情を扱ったゴシップ的な資料は少ないし、あったとしても信頼性が低いものばかりで、それではほとんど反動派のデマを鵜呑みにするのと変わりがない。ではどうすれば良いのか。自力検証である。
語録のポートレイト、ポスターなどの公式資料
延安期の毛主席。語録ポートレイト |
解放戦争期? 語録ポートレイト |
建国式典か。語録ポートレイト |
1966年 群衆と接見 語録ポートレイト |
おそらくは上と同じく接見時。ポスター |
芸能人並のきれいな歯をお持ちの主席。いろんな映像を見ても、いつもタバコを吸っているのに真っ白な歯でいらっしゃる。『毛沢東の私生活』では緑色の皮膜で覆われた歯と表現されていたが、ここではそういう要素は微塵も見られない。
ハイ終了!と言いたいところだが、そうもいかない。これは党の手が加わっているので歯がきれいなのはあたりまえ。権威あるリーダーとして売り出して?いるので歯抜けのオヤジでは困るのだ。ベルリン解放時のソ連兵士の腕時計ではないが、同じように緑色の膜が取り除かれていたり、歯が足されていたとしても不思議ではない。それと関係があるかわからないが、手元の資料を紐解いてみたが、毛主席が口を開けて笑っている写真は少なかった。例外として語録は高らかに莞爾する毛主席が多かったので、引用は語録ポートレートが多め。デジタルの時代ではないので、修正作業がとても大変だったのかもしれない。それにしても毛主席がタバコを片手に写っている写真の多さにびっくりする。たとえば日本の首相がタバコ片手に会議している映像が流れたらバッシングの嵐だろう。いや、日本でなくとも、今や全世界がそうである。現代で毛主席とおんなじことをして、(少なくとも国内から)批判されないのは金正恩くらいではないだろうか。
公式資料はほとんど修正済みで、毛主席の口腔事情を詳らかに知ることが出来ない。したがって、外国人記者の撮った写真や、修正が難しそうな映像資料、検閲されてなさそうな写真を確認してみることにした。
映像・未検閲写真から見る毛主席
閲兵映像(1954年)と『向毛主席汇报(1964年)』より
閲兵中に談笑する毛主席。見づらいが、あまりきれいな歯ではなさそう。奥の白い帽子はフルシチョフ |
黒ずみのようなものが見て取れる。上に載せた接見のポスターと見比べてほしい |
金日成と周恩来総理。金日成の歯は白さが目立つ |
毛主席より7歳上、総司令の歯はキレイ |
1975年、フォード大統領訪中の折、キッシンジャーと。何本か残っているのが確認できる |
検証にあたって、二本の映像のスクリーンショットとキッシンジャーと握手する恍惚の毛主席を用意した。
まずは映像の確認から。白黒がメインで、かつ画質が悪いのではっきりと判断できないものの、語録のポートレイトやポスターに載っている写真とはかなり異なる様子が伝わってくると思う。歯が抜けていたり、折れていたり、あるいは歯並びが悪いといったことは確認できないが、歯間や歯茎が黒っぽくなっているのが分かる。陰影の加減でそう見えるのかもしれないが、おそらくは喫煙による汚れや加齢による色素の沈着だと思われる。朱徳総司令の写真を2枚ほど挙げたが、総司令は毛主席のすぐそばに座っている。そのため、光の当たり加減なども似ているはずで、そうした同じ条件下で総司令の歯と毛主席の歯を比べると、総司令の方が遥かに綺麗であることが分かると思う。朱徳同志は早寝早起きの健康志向だったと伝わる。歯にも気を使っているのだろう。あと、飲み物を口に溜めるクセがあったり、ニコニコ笑ったりと好々爺という感じで微笑ましい。映像資料だと無修正に見える毛主席や各領導人の歯だが、とりたてて汚いということもないように思われる。だが、毛主席はぽってりした魅力的な唇をお持ちなので、口を開けて笑っていても歯が見えづらいのが残念なところだ。
そして最後の一枚、キッシンジャーと握手している場面を見てみよう。かなり抜けているが、まだ前歯が残っているように見受けられる。このときの毛主席は82歳の老人である、抜けていても不思議はない。そしてこの写真の存在は、「毛主席は歯を磨かなかった」とする李志綏医師の主張と矛盾する。彼は「一九七〇年代の初期には、上顎の歯は一本残らずぬけ落ちていた」としている。写真を見る限り、一本は確実に残っている。入れ歯という可能性もあるが、どうも歯並びが不規則だったり、すり減っているように見える。そのため入れ歯ではなさそうである。李志綏医師が記憶ちがいをしていたか、事実を誇張していたか、のどちらかと考えられるが、「毛主席は歯を磨かなかった」という彼の説の信頼性に大きく疑問符をつけるに値する矛盾であろう。
結論
磨いてはいた可能性が濃厚である。しかしその手入れ方法は粉歯磨きを用いる保守的なもので、かつ、ヘビースモーカーであったため、とても歯や歯茎が汚れていたと推測される。
「毛主席歯を磨かなかった説」を唱える者の多くは『毛沢東の私生活』を基としている。しかし、著者である李志綏医師の主張は次の二点で間違っていると思われる。
①1970年代初期には上顎の歯が全てなくなっているという主張は、キッシンジャーと握手する写真で間違いであると証明できる。また、晩年の歯が真っ黒になった毛主席の写真がネット上に出回っているが、そのどれも歯が存在している。従って、李志綏医師が実際に診察せずに歯がなくなったと予測しているか、誇張した表現か、である。そのため、彼の「全く歯を磨かなかった」という主張の信憑性も薄らぐ。
②李志綏医師は歯科治療後に毛主席が「練り歯磨きと歯ブラシ」を調達するよう指示した、と述べている。だが、他の文献では毛主席が粉歯磨きに固執したことが述べられており、『中国がひた隠す毛沢東の真実』 によると、主席の死までそれは作られ続けた。それらの説が正しいとすると、少なくとも粉歯磨きは使っていた訳であるし、歯科治療後にあっさりと練り歯磨きに変えるのも不自然である。しかし、「主席はそもそも粉歯磨きも練り歯磨きもきらい、とにかく歯磨きが嫌いだった。だが口腔環境の悪化を心配しとりあえず主流である練り歯磨きをつかった」と解釈できないこともない。しかしそれはそれで「80歳の一切歯を磨いてこなかった老人に、歯が残るものだろうか」という疑問が生じる。
こういった疑問を抱かざるを得ない点が多いため、私は毛主席は歯を磨いていたと納得するに到った。しかし、歯や歯茎が汚れていたのもまた事実であろう。
あと、そもそもの疑問があるのだが、糖分を多く摂取する現代で、ほとんど歯を磨かない人が82歳まで生きられるのだろうか。菌が回って重篤な病を引き起こしそうだし、う蝕が神経に達したときの痛みを、多忙な政務を抱えつつ耐えられたのだろうか。
と、いうわけで「毛主席歯を磨かなかった説」は正しくないと分かった。こうした風説の流布には「その説は間違っているし、それのソースが正しいと仮定しても毛主席は数日の間だけ歯磨きしたのだから『一生』ではない」と対応することができよう。
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