【紅衛兵養成講座】大字報的文章のつくりかた

2021/09/26

志在四方山ばなし 中国語 文革用語探究

『人民中国』1967年11月号より


無敵の毛沢東思想で武装した中国人民解放軍は、偉大な指導者毛主席の命令に従い、だんことして、徹底的に、きれいさっぱり、すべてそれを消滅せずにはおかない。


――『人民中国』1967年11月号「中国人民解放軍 侵入した米機二機を撃墜 パイロットを生け捕る」より引用

 

林彪というこの政治的ペテン師は、本も読まず、新聞も読まず、文書も読まず、なんの学問もない大党閥、大軍閥であった。

 

 ――『孔子批判――付・魯迅の孔孟批判抄録――』収録の「批林批孔闘争を最後までおし進めよう」より引用

 

事実は雄弁にまさる。宮本修正主義集団は肝っ玉の小さな臆病者であるばかりでなく、敵の足もとにひざまづき、すでに米日反動派の下僕、手先になりさがっている。(中略)彼らは恥知らずにも、羽田空港事件は武装警官隊と「反革命分子」との衝突である言った。だまれ、恥知らずの裏切り者!すこしは恥を知るがよい!

 

――『人民中国』1968年1月号「裏切者の正体をふたたびさらけ出した宮本修正主義集団」より引用

 

見よ!この独特の香りが溢れすぎている文革中国の文章を!

 

「だんことして、徹底的に、きれいさっぱり、すべてそれを消滅せずにはおかない」という過剰さ・しつこさ。「本も読まず、新聞も読まず、文書も読まず、なんの学問もない」などはただの悪口でしかない。さいごのは特に香ばしい。タイトルからして「宮本修正主義集団」という長ったらしいニックネームからはじまり、「肝っ玉の小さな臆病者」、「米日反動派の下僕、手先になりさがっている」などなどシンプルな罵倒に終止している。「だまれ、恥知らずの裏切り者!すこしは恥を知るがよい!」と、すこし演劇的な要素を詰め込んでるところも実によい。

 

悲しむべきはもうこういった文章、大字報的な文章があまり作られないことだろう。駐日中国大使館の論評などを見ると、まだ残り香が感じられることもあるにはあるのだが、上掲の文章のような心が踊り、笑みがこぼれる、まことの大字報的文章は絶えて久しい。


似たような技法は朝鮮に受け継がれたと思われるが、あちらのは余りにも向こうの手垢が付きすぎている。「無慈悲な~」、「ソウルを火の海」などは、たしかにオモシロイ。しかし我ら紅衛兵にとっては「コレジャナイ」のである。

 

というわけで無形文化財ともいうべきであろう大字報的な文章を残し、継承するためにそれらの書き方について分析してみたので、発表してみたい。

 

なお、文中で「大字報的な文章」と迂遠な言い方を用いるのは、文体や雰囲気などが特に大字報上で典型的に用いられているからである。その他にもスピーチや新聞、雑誌、書籍などでも用いられているのだが、「反右派闘争より文化大革命終結までの期間に大字報、スピーチ、雑誌、書籍などで発表された批判文に典型的な文体」では長すぎるゆえ、まとめて呼ぶことにする。

 

大字報的文章のつくりかた

孫引きになってしまうが、Gao Yuan,Born Red A Chronicle of the Cultural Revolution(フランク・ディケーター著『文化大革命 人民の歴史 1962-1976』より引用)には大字報を書く際の作法が紹介されている。それによると、

 

①第一に自分がマルクス・レーニン主義と毛沢東思想を信奉している旨をハッキリ述べること。

②標的にしようとする人物の罪状をつぎつぎに並べ立てること。

③党内に潜む別の反革命分子をもう一人暴き立てること。

 

という3つの条件が挙げられている。そしてこうした文章は姚文元の呉晗批判の文章を真似た文体で書くことが当時の紅衛兵たちの流行りであったことも述べられている。

 

基本は斯くの如しで問題はないが、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想と全く関係ない話題に話をテーマとするとき、批判の対象が集団ではない、あるいは人ではない場合などにこうした原則を機械的に適用すると不自然さを生む。「毛沢東主席が自ら発動なさった文化大革命の烈火は、いまも世界を席巻している!」とやっておきながら「ネコは大馬鹿者で、われわれはだんことして犬を愛護せねば~」というふうに続けてしまうと、不当に毛主席のお名前を出したとしてこっちが痛罵されかねない。

 

また、これらの指針だけではザックリしすぎている。しかも、どういうふうに書けばよいのかの具体例がないために分かりづらい。そこで、もうちょっと踏み込んで構造を学んでみたい。 さらに、党内の反革命分子以外を糾弾する際にも使えることも企図しつつ、大字報的な文章を構成している要素をもっと細かく解釈してみた。


毛主席ファンクラブ流大字報的な文章の構成


前提:大仰、独特、しつこい、独自造語などの要素を必ず入れる。階級と路線を念頭におく。


①状況説明、時候の挨拶、まくら、前座文。毛主席的人物の語録引用があるとなお革命的。

 

②批判対象とその罪がいかに悪辣で、有害なものであるかを罵倒しつつ解説する。読み手をイラつかせるような書き方を心がけると很好!周知の事実に加え、「ぼくがみつけた反革命」的な発見・暴露を入れる太好了!

 

③批判対象とちがい、書き手が称揚する対象はどれほど英雄的で、革命的で、批判対象とは全く違うんだということを激烈に、もしくは穏やかにアピールする。

 

④批判対象は没落して、称揚対象が最後には勝つ!そして革命は世界に波及する!というような景気の良いことを言ってシメる。その際には戦闘的であればあるほどよい。 


以上の要素の解説を、このサイト、毛主席ファンクラブを批判しているという前提で書いた大字報的な文章に添えてお届けする。


①について


例文

ブログ文化は隆盛を極め、反動当局の検閲にめげずに革命人士の多くが「百花斉放百家争鳴」を行っている。現在の日本にはびこる文学・芸術はすべてブルジョワ階級に属しているものであり、プロレタリア階級に属する個人がつくり出したブログは文学・芸術の新局面を切り開いた。偉大な領袖毛主席は我々に教え導いている。「われわれの文学・芸術は、いずれも人民大衆のためのもの、なによりもまず、労働者、農民、兵士のためのものであり、労働者、農民、兵士のために創作され、労働者、農民、兵士によって利用されるものである。

 

いきなり本題に切り込むのではなく、こうした前座を設け、今から批判する対象と関係のある出来事を大げさなほど革命的に書き立てるとそれっぽい。いわば落語のマクラみたいな感じ。なんにも思い浮かばなかったら、とりあえず走資派やスパイを敵として登場させるのが良い。「ここのところ帝国主義者のスパイどもが黒い陰謀をめぐらしている」というフンワリザックリした文章でも添えておくと何を批判するにしても役に立つ。

 

もうブログは流行り終わった感があるが、そういうノリの悪いことを書いてはいけない。自分たちにとって都合の良いものには特大の賛辞をあたえておきながら、ちょっとでも敵と認めるものは「現在の日本にはびこる文学・芸術はすべてブルジョワ階級に属しているもの」などと十把一絡げに反動派の領域内に投げ込むべきだ。「の可能性がある」、「と予想される」、「一部は」などという語は革命の興を削ぐので入れるべきではない。 

 

「いや~最近は肌寒くなってきましたなァ」というような世間話的なものにだって、革命のエッセンスをふりかけると、「世界革命が夜を日に継いで拡大するなか、われわれはまたしても偉大な10月革命のその日を迎えようとしている。」というふうな感じになる。とにかく固く、大仰で非日常な文章を目指すべし!

 

②について


例文


ところが、反動派はこの「百花斉放百家争鳴」を利用して我々の偉大な領袖毛主席を中傷し、プロレタリア人民の誇る文化芸術を後退させるために陰謀をめぐらしている。

  いわゆる「毛主席ファンクラブ」という見かけは左の反動ブログでは、革命歌曲の日本語訳とその発信をおこなっていると主張している。

  この反動派どもは「日本語訳」と称しているけれども、誤訳や不正確な記述にあふれ、日本人民の正確な中国観に対するさまたげとしてしか機能していないのは明白である。また、このサイトでは、あろうことか歌曲に運営者自身の批評をつけて公表するという悪行をやってのけた。

  革命人民に対しては、いわゆる「毛主席ファンクラブ」の反動的行動も隠し通せるものではない。黒い一味は自身のうしろ暗い策動を覆い隠そうと、サイト上部に偉大な領袖毛主席を戴いている。ここの部分に注目して見てほしい。偉大な領袖毛主席は明滅しているが、これは永遠に輝き続ける太陽であることを否定しようとする陰謀ではないだろうか?偉大な領袖毛主席は明滅せずに輝き続けるべきではなかったか。プロレタリアートの目はごまかすことができない!

 

大字報の見せ場、告発のときが来た。とにかく相手の一挙手一投足とあげつらって批判するべきだ。その際に弱気な文になっては大字報とは言えず、「それお前の主観だろ!」と思われるようなことですら事実として堂々と書こう。造反有理の気持ちでやるべきで、だから大衆が認めているものでも自分が気に入らなければボロクソに言うことが必要だ。

 

ただし、何でもアリな感じの大字報でも、さすがに「オレがキライだからダメだ!」というのは乱暴すぎる。そこで便利なのが、「階級と路線の視点」である。

 

例文で言えば、「見かけは左の反動ブログ」という決めつけと「日本人民の正確な中国観に対するさまたげとしてしか機能していない」という勝手な代弁、これこそが大字報を彩るための秘策。

 

批判対象を反動、走資派などの誤った路線であると認定し、それらが人民の害になっていると主張することで、それを批判する自分は正しい路線・階級の代弁者になることができる。この技法を使用することで、「なんかキライ」という主観的かつ抽象的な文句であろうが、「プロレタリア人民の気分を害した!」とでも書けば、さも公のために戦っているような勇壮な感慨を起こさせる。

 

ここでは誤訳や不正確な情報を批判しているが、こういうあら捜しは実に大字報的である。どんな些細な間違い・揚げ足取りも路線・階級の誤りにまで昇華させよう。これは実際に当時の中国で流行った技法で、毛主席語録を読んでいるときに一字間違えただけで階級敵扱いされたという事例があったり、鄧拓という著述家が文中で「雪どけ」という言葉を使っただけで「デタントを暗示しているのでは?!」とネチネチ責められたりと、威力を発揮している。闘争の中で中国人の目と耳は良くなるのだ。


そして最後に「他の人は容易には到達し得ないであろう事柄」を得意げに暴き立てれば完璧といえよう。これはGao Yuanの挙げた「③党内に潜む別の反革命分子をもう一人暴き立てること。」という条件にも似ている。

 

例文では「点滅してるってことは消えることもある。それは輝き続ける太陽である毛主席にふさわしくない!」という低レベルな暴露に終止しているが、闘争中の中国人はもっとハイレベル、なにしろ「タバコの包み紙を裂いて逆さまにして太陽にかざすと反革命的文言が現れる」ことを発見したというのだからその目の良さとそんな万に一つも起こり得ない事態に遭遇した幸運さには驚嘆するしかない。

 

そこまでハイレベルなものでなくて良いから、自家製の暴露を一つ入れておくと大字報感が増すのでオススメだ。どうしても思い浮かばなかったら、伝家の宝刀「路線と階級」を抜くときだ。それにかかれば「趣味はカフェ巡り、好きな音楽は邦ロック!」というような好人物も「飽食は地主階級に特有のもので、ロックは淫靡なブルジョワ思想の生んだ音楽ではなかったか?これは反革命分子の陰謀云々」と「らしい」文章になるはずだ。

 

なお、この暴露の際は姚文元みたいないやみったらしい書き方をすると良い。

 

③について


例文

  歴史の歯車を反転させることはできず、いわゆる「毛主席ファンクラブ」による反党、反人民の陰謀は必ず失敗する。

  こうした反動的な黒い風を打破するために、英雄的人民はすでに立ち上がっている。業余の労働者を中心として新たに成立した毛主席ファンクラブ(正統)は、偉大な領袖毛主席が発表なさった文芸講話をまじめに学習し、誠心誠意プロレタリア独裁を擁護するための武装を固めている。

  「文学・芸術が階級を離れることはありません。我々はプロレタリア革命路線の側にしっかりと立って、文芸の筆を握って人民に奉仕するブログ作りを進めています」とはある業余労働者の言葉である。

  中国の文化大革命の烈火によって生み出された新生事物である革命歌曲を学ぼうとする日本の革命人士はますます増加している。その多くが毛主席ファンクラブ(正統)への断固とした支持を表明しているのはまったく自然な成り行きであった。「似非の左派である、いわゆる『毛主席ファンクラブ』が打倒されるのは文芸を徹底的に人民に奉仕するものへと改造するのに必要なことである。いずれ毛主席ファンクラブ(正統)による奪権闘争は、完全に、徹底的に、全ての局面で勝利をおさめるだろう」と多くの革命人士が確信を込めて語る。

 

批判と告発の暴風を吹き荒らしたあとの選択肢は二つ。そのままのイキオイで称揚対象をべた褒めするか文体を変えて柔和な雰囲気を醸し出すか、である。

 

前者は朝気勃勃たる紅衛兵(=青年)によって書かれたような雰囲気を出すことができる。それによって前のめりな革命への意気込みや、燃え上がる闘志を表現することができるが、余りにも一本調子だからメリハリがない。批判対象に向けた怒りをそのまま冷まさずに称揚対象への感動と熱烈な支持に繋げられるかが腕の見せ所。


後者は赤衛隊・毛沢東思想宣伝隊(=労働者)らしい、文芸的深みがある文章。読み手に批判対象への憎しみを起こさせておくのは一緒だが、そのあと、称揚対象の登場によって溜飲を下げさせ、怒りを冷ますような書き方をするのが特徴と言える。燃え上がるような擁護の気持ちではなく、春の暖かさのような解放感を読み手に与えることができる文章だが、前者のアツく口汚く罵ったバージョンに比べると大字報的文章らしさに欠けるのがデメリット。

 

こればっかりは好みです。好きなのを選ぼう。今回は後者の方法を用いて書いたつもりである。

 

独特の用語をすこし少なくして、現代の普通の文章に近づければ、今までが異物感あふれる文章だったことも手伝って、台風一過のような安堵感を醸し出すことができる。


その際には例文中のようなどっかの誰かさんの意見というテイを用いると良い。このときに「毛沢東思想万歳!決死擁護!死しても毛主席守る!」と気炎を上げさせるとせっかくの雰囲気が台無しなので注意。口調は柔らかめにして、暖かな雰囲気に彩りをそえよう。

 

下で解説する④では、また階級闘争風味を全開にする。そのため、③から④への移行時に急変感をあたえぬよう、そこそこの頻度でプロレタリアート的な言葉遣いを挟みつつ、後半に向けて静かにボルテージを上げていけば文章全体がキレイな流れになる

 

④について 

 

例文

  真のマルクス・レーニン主義のブログ、毛沢東思想の偉大な赤旗を掲げるブログが成立したからには、すぐにでも反動的な一味の支配を打ち破るに違いない。

  「東風が西風を圧倒する」

  「決意をかため、犠牲をおそれず、万難を排して、勝利をたたかいとろう」

   すでに毛主席ファンクラブ(正統)では来たるべき戦闘の準備を進めている。反動派ども!革命の進軍ラッパが鳴り響くのが聞こえるか!プロレタリアートの偉大な文芸を手に立ち上がった革命人士に対抗できるものはない!

  革命の炎によって瓦解しかかったいわゆる「毛主席ファンクラブ」はもはや風前の灯である。毛主席にかぎりない忠誠を尽くす人民の手によってすぐにそれは葬り去られるだろう!革命的人民の勝利は揺るがない!いずれ日本に完全に独立した毛主席ファンクラブ(正統)が打ち立てられるに違いない!偉大なマルクス・レーニン主義と無敵の毛沢東思想の赤旗がブログのヘッダーに翻るに違いない!

 

いよいよシメに入っていくわけだが、この部分では「大字報的文章の多くがそなえる要素だが、それを採用することによって最後がフワフワしてしまい、文芸としては一等劣るものになりがち」という大字報的な文章の抱える悲哀に向き合わなければならない

 

すでにお気づきと思うが、大字報的な文章はただの口の悪い報道にとどまってはいけない。

・新たな批判対象の暴露

・今起こっている運動は波及していくだろうという予想

・称揚対象の勝利はまちがいないというお追従

などなどを入れたほうがよろしい。このうち、「新たな批判対象の暴露」は②の部分で行われることが多い。そして、暴露を行ったか否かに関わらず、文のシメは上記要素のうち下二つのどちらか、あるいは両方を取り入れるべきである。

 

しかし、それらは「予想」と「勝利はまちがいない(まだ勝っていない)」という未確定の事項であるから、今までように「断固として〇〇した」、「偉大な勝利をおさめた」とすることができない。すると自然、今まで避けに避けてきた「だろう」というような断定を避けた言葉を用いざるを得ない。


そういうわけで、文のシメでフワフワが顔を出してしまうということだ。それまでの文章が断定と赫々たる成果ばっかりだったという対比も残酷に作用する。


当時書いていた本人たちも気がついていたようで、大字報的な文章のシメは「偉大なマルクス・レーニン主義と無敵の毛沢東思想」のような大仰な表現や、感嘆符の濫用、軍事的な言い回しなどが横行する。それらの構成要素は他のパラグラフでもまま見られるが、最後に集中しているのはそのフワフワっぷりを糊塗するためだと私は見ている。


これが先ほど触れた大字報的な文章の抱える悲哀である。報道的な文章に終止していれば③で終われるのだが、ちょっと間違えると自身の路線と階級も疑われかねない大字報的な文章の作者にとって④は不可欠だ。しかし、④で述べることはまだ確定していないから、いきなりトーンダウンしてしまう。それをごまかそうと上辺だけ戦闘的にする。そして内容空疎に終わってしまう。

 

でも、この蛇足っぷりも含めての大字報的な文章であると私は捉えている。もちろん、気に入らない場合は④をカットしたり、③と④をつなげて蛇足を短くするなど創造的に運用しても問題はない。でもやっぱり革命的なヤクザみたいな威勢のよい言葉の乱射は憧れるよね…… 


さいごに、ここで用いた例の全文を掲載しておく。

 

毛沢東思想でかたく武装したプロレタリア人民文芸のするどい切っ先をさらにきたえて紅さと鋭さを増し、悪らつな「黒い一味」とその追随者どもに突きつけるための大字報テクニックを探求する「特大の吉報」も、後にお届けしようと思うのでお楽しみに。

 

「毛主席ファンクラブ」を砲撃せよ! 私の大字報

 

   ブログ文化は隆盛を極め、反動当局の検閲にめげずに革命人士の多くが「百花斉放百家争鳴」を行っている。現在の日本にはびこる文学・芸術はすべてブルジョワ階級に属しているものであり、プロレタリア階級に属する個人がつくり出したブログは文学・芸術の新局面を切り開いた。偉大な領袖毛主席は我々に教え導いている。「われわれの文学・芸術は、いずれも人民大衆のためのもの、なによりもまず、労働者、農民、兵士のためのものであり、労働者、農民、兵士のために創作され、労働者、農民、兵士によって利用されるものである。

 

  ところが、反動派はこの「百花斉放百家争鳴」を利用して我々の偉大な領袖毛主席を中傷し、プロレタリア人民の誇る文化芸術を後退させるために陰謀をめぐらしている。

  いわゆる「毛主席ファンクラブ」という見かけは左の反動ブログでは、革命歌曲の日本語訳とその発信を行っていると主張している。

  この反動派どもは「日本語訳」と称しているけれども、誤訳や不正確な記述にあふれ、日本人民の正確な中国観に対するさまたげとしてしか機能していないのは明白である。また、このサイトでは、あろうことか歌曲に運営者自身の批評をつけて公表するという悪行をやってのけた。

  革命人民に対しては、いわゆる「毛主席ファンクラブ」の反動的行動も隠し通せるものではない。黒い一味は自身のうしろ暗い策動を覆い隠そうと、サイト上部に偉大な領袖毛主席を戴いている。ここの部分に注目して見てほしい。偉大な領袖毛主席は明滅しているが、これは永遠に輝き続ける太陽であることを否定しようとする陰謀ではないだろうか?偉大な領袖毛主席は明滅せずに輝き続けるべきではなかったか。プロレタリアートの目はごまかすことができない!

 

  歴史の歯車を反転させることはできず、いわゆる「毛主席ファンクラブ」による反党、反人民の陰謀は必ず失敗する。

  こうした反動的な黒い風を打破するために、英雄的人民はすでに立ち上がっている。業余の労働者を中心として新たに成立した毛主席ファンクラブ(正統)は、偉大な領袖毛主席が発表なさった文芸講話をまじめに学習し、誠心誠意プロレタリア独裁を擁護するための武装を固めている。

  「文学・芸術が階級を離れることはありません。我々はプロレタリア革命路線の側にしっかりと立って、文芸の筆を握って人民に奉仕するブログ作りを進めています」とはある業余労働者の言葉である。

  中国の文化大革命の烈火によって生み出された新生事物である革命歌曲を学ぼうとする日本の革命人士はますます増加している。その多くが毛主席ファンクラブ(正統)への断固とした支持を表明しているのはまったく自然な成り行きであった。「似非の左派である、いわゆる『毛主席ファンクラブ』が打倒されるのは文芸を徹底的に人民に奉仕するものへと改造するのに必要なことである。いずれ毛主席ファンクラブ(正統)による奪権闘争は、完全に、徹底的に、全ての局面で勝利をおさめるだろう」と多くの革命人士が確信を込めて語る。

 

  真のマルクス・レーニン主義のブログ、毛沢東思想の偉大な赤旗を掲げるブログが成立したからには、すぐにでも反動的な一味の支配を打ち破るに違いない。

  「東風が西風を圧倒する」

  「決意をかため、犠牲をおそれず、万難を排して、勝利をたたかいとろう」

   すでに毛主席ファンクラブ(正統)では来たるべき戦闘の準備を進めている。反動派ども!革命の進軍ラッパが鳴り響くのが聞こえるか!プロレタリアートの偉大な文芸を手に立ち上がった革命人士に対抗できるものはない!

  革命の炎によって瓦解しかかったいわゆる「毛主席ファンクラブ」はもはや風前の灯である。毛主席にかぎりない忠誠を尽くす人民の手によってすぐにそれは葬り去られるだろう!革命的人民の勝利は揺るがない!いずれ日本に完全に独立した毛主席ファンクラブ(正統)が打ち立てられるに違いない!偉大なマルクス・レーニン主義と無敵の毛沢東思想の赤旗がブログのヘッダーに翻るに違いない!