紅歌の定義について
私(当サイト)による紅歌の定義
この定義に従ってたとえば「东方红」は紅歌だが「新四军军歌」は紅歌ではなく軍歌、としている。このようなニッチなサイトを見てくださっている諸賢ならば、各々定義をお持ちであろうし、私もおそらくはそれと同じような考えだと思う。
しかしこの定義には問題があって、例えば誰もがゼッタイに紅歌だと思う歌曲、「社会主义好」や「没有共产党就没有新中国」などは明快だが、「在希望的田野上」などの紅歌かビミョーな歌曲に出会ったとき、分別が主観に左右されるという点だ。実際、紅歌を扱った出版物に「在希望的田野上」が収録されていることもあるが、私は「それまでの紅歌に比べると党や指導者、労農兵についての表現が出てこない」という点で紅歌だと思ってはいない。
他にも、「抗日将士出征歌」は軍歌に近いが、元が民謡であり、歌詞も人民が軍や将軍を歌うという内容になっているため、紅歌としている。しかしながら、これを軍歌と思う方もあるだろうし、実際に軍歌でも毛主席賛美、共産主義称賛が織り込まれているものもあるので、特に党の草創期から1970年代頃までの軍歌と紅歌は区別が難しいという問題がある。
このような問題は、母なる党が「紅歌とは〇〇である」と言ってくれれば解決するのだが、特にそういったものはないので私の主観が多分に影響した基準となっている。この問題を是正するために、紅歌を生んだ主人である中国人民の書いた紅歌の定義を確認してみよう。
中国人による紅歌の定義
うん……ザックリしすぎでは?昔、紅歌の定義を調べてCNKIで資料探しをしたときに発見した文献で、一応、党校が刊行したものもあるので信頼性が高いと思いきや「崇高な革命精神」云々とはまた抽象的な……
それぞれ検証してみよう。
まず1番目、 赵义堃さんの解釈。中国共産党創設(1921年)から社会主義建設時期(おそらく1978年)までとしている。となると「走进新时代」はどうなるのか。アレは確か1990年代の歌曲だが、領袖を賛美している。最近の例で言っても「包子铺」とか「东方又红」などの明らかな紅歌がある。こちらの解釈では断言はしていないが、おそらく「紅歌」を「中国の革命歌曲」の意味として使っているだろう。また、それは「紅色歌曲である」とも言っているが、略称であるとは書いていない。
2番目、张凤莲さんの解釈。なぜコミンテルン(1919年成立)が基準なのだろうか。そしてここでは紅歌は中国特有のものであるとは言っていないし、外国の赤色音楽もそう呼ぶとも言っていない。もしも紅歌という単語が中国のものに限られないのならば、「インターナショナル」も紅歌と定義できそうだが、当該歌曲の制作は19世紀である。どういうこと?また、広義での意味を解説してくれているが、狭義の方は説明がない。そしてこちらはおそらく、紅歌を紅色歌曲の短縮でなしに、一個の語として使っているように思える。ところでこの文章、2008年に書かれたものであるということと、タイトルが、薄熙来同志のことを偲ばせる。失脚しなければ紅歌が量産され続けていたと思うと無念である。
そして百度百科。そこでは、他にも「芸術性も高く、リズムも良くて」どうのこうのと書いてあったが長いので割愛。ここでは無産階級のものであることを強調している。唐突に思える「ラ・マルセイエーズ」と「星条旗」に対する記述もそのためか。フランス革命もアメリカ独立革命も、ブルジョワ革命であるから、そのなかで作られた曲は紅歌じゃないよ、ということだろう。しかし、「ラ・マルセイエーズ」はともかく、「星条旗」を聴いて「あっ、アレ紅歌かな?」と思う人なんているのだろうか。そしてここでも紅歌が中国特有のものであるとは言っていない。それどころか記事中には「苏联红歌(ソ連紅歌)」としてさまざまな歌曲が紹介されているので、紅歌という単語が国籍の色を帯びない「革命歌」の意味として使われているようだ。記事内で「紅歌は紅色歌曲のことである」とも言っているが、記事タイトルは「红歌」である。そして特筆すべきは改革開放後に制作された紅歌を「新紅歌」と呼称していることだ。初めて聴いたよ。
あと、中文版Wikipediaにも記述があり、記事名が「红色歌曲」で、文中には「『紅歌』というのは略称である」と書かれていた。引用しようと思ったが、長くなってしまうし、どうも中文がおかしいように感じたため、サラッと触れるだけにしようと思う。
日本語文献による定義
貴重な、日本語による解説。引用箇所では音楽劇『东方红』について言及しており、「新音楽」という単語は劇に登場する歌曲――つまり紅歌を指すと思われる。短いながらも、中国語文献には見られない音楽芸術の面から解説しているのが印象的だ。松村によると、中国では洋楽と邦楽(中国音楽)は対立しないと言われているが、本当だろうか。ただ洋楽が入ってこなかった、あるいは禁止していただけのようにも思えるが……ただ、『东方红』が演じられた当時、本当にこのような解釈がされていたとすると興味深い。旧社会と新社会を分けて考えていたように、音楽も旧い音楽と新しい音楽――松村の言葉を借りれば「革命的民族的大衆的」な紅歌とに分けて考えていたというのだ。そうすると現代を含む新中国で作られたすべての音楽が新音楽、つまり紅歌とも言えるのではないか。「小苹果」を紅歌だと言いはるのは流石におかしいが、現代の音楽も、革命性はともかく民族的でもあり大衆的でもあるのだから新音楽と言えるのかも知れない。しかし、やはり紅歌たるには革命性が最も重要であると私は思う。実際、この本が書かれた1965年はまさに文革前夜であり革命性がない歌なんて無かっただろう。そういった状況だからこそ旧音楽と新音楽に単純に二分できた訳で、現代の状況に対して機械的に上記の解釈を当てはめることはできない。この引用は、紅歌に対する定義付けでなく、中国における音楽の取扱いに関する資料としての側面のほうが価値があり、そのように見做すべきである。
ちなみに、「西洋の進んだ科学的技法もとり入れた」と書かれているが、榎本泰子著『楽人の都・上海―近代中国における西洋音楽の受容』を参照すると、「取り込んだ」というより「取り込まれた」とも言える状況であることがわかる。ここでは詳述しないが、およそ「民族的」、「中国的」ではなく、中国らしいのは中国語だけとも言える悲しき中国音楽も紅歌という枠組みに囚われずに考察すると面白いと思う。
総括
それぞれ解釈にバラツキがあり、そもそも中国の革命歌曲を紅歌と呼ぶのか、それとも世界の革命歌曲をそう呼ぶのかという基層部分の対立がある。私はずっと、紅歌とは中国の革命歌曲のことを指すと思ってきたので、これは衝撃的であった。もしもそこに囚われないとしたら、我が毛主席ファンクラブはスターリンファンクラブにも金正日ファンクラブにでもなれるということである。私は紅歌がいちばん好きだし、紅歌という名称を中国限定で使ってきたので、せめて紅歌が帯びる国籍の色だけでも確定していてほしかったものである。他にも、いつの時代の革命歌曲を紅歌と呼ぶのか、といったことや、紅歌である条件などもかなりフワフワしている。面白いのは、音楽についての解説であるはずなのに、音楽的要素に関する言及がほとんど見られないことだ。「無産階級を代表した」とか「崇高な革命精神を持った」などの思想的言及はまま見られるものの、音楽芸術方面からの解説が一切付されていない。日本歌曲にヨナ抜き音階があるように、紅歌の曲調や音階がこうであるとか、そういった解説があっても良いものだと思うのだが。
様々な定義が存在することを紹介し、自らもどういった定義で紅歌を取り扱っていくかを見つめ直したが、引用したような解釈に従うと、いま当サイトで定めている定義以上に混乱を招くと考えられるので、これからも上記の定義でいこうと思う。ソ連や朝鮮の歌曲はすばらしいが、私はそれを紅歌とは呼びたくない。
0 件のコメント:
コメントを投稿