中国語歌詞
日本語訳詞
映画『柳堡的故事』の主題歌。作中では、あるシーンで1番を歌い、その後しばらく後のシーンで2番を歌い……といったふうに順を追って登場する。ただ主題歌であるだけでなくストーリーにも絡んでくる重要な歌だ。
まずはタイトルについて解説したい。「九九明けの日」と言われてもなんのこっちゃ、と云う感じだが、「九九」とは冬九九(数九) のことを指す。冬九九は冬至から起算して9日、9日、9日……と区切っていき、それを合計9回=81日経ると春が来るとされており、その計算法を九九と呼ぶ。昔は冬至の当日が起算日ではなく、細かい法則があったようだが、現在では一般的に冬至を起算日としている。夏至にも同じく適用されるようだが、どうも冬九九のほうが有名なようだ。この曲の中では「艳阳天(明るい春の日)」としているので、九九明けの日を歌い上げていることが分かる。タイトルは正式に表記するならば「数九明けの日」とか「冬九九明けの日」などにすべきだろうが、そうするとただでさえよく分からない「九九」がもっとよくわからなくなりそうだし、「九九明け」の方がスッキリしているのでそのまま「九九」にしておいた。
「这一去呀枪如林弹如雨呀」とか「这一去革命胜利呀再相见」など物騒なことを言っているが、一応ラブソング。この時代の中国ではかなり攻めた表現だと思う。基本的に同志愛、主席愛が優先された中国で男女の愛をテーマとすると「黄歌(ピンクソング)」と認定されかねない……と思ったら案の定、作曲者が文革期に紅衛兵たちによって暴行されたようだ。
そして映画もラブストーリーである。紅軍の兵士が、進軍中に滞在した村の娘に恋をしてしまった。 娘の方もまんざらではないようだが……というのが前半のストーリー。その後は地主を引きずり出したり、農民を助けたりと「いつもの」をやった後に、政治指導員が兵士に語りかける。「軍規と恋慕の情は矛盾するものである」と。娘を置いて征くことを決めた兵士は、彼女と再会できるのか……!って感じ。映画『白毛女』などでも恋はオマケ程度に描かれるが、恋愛をここまでメインとした当時の作品は珍しい。翻訳にあたって鑑賞してみたが、予想だにしない感動的な映画でウルっときてしまった。その上にこの「九九艳阳天」がよく映画にマッチしていたので感涙にむせぶ映画鑑賞となった。 ちなみに文革期にはこの映画も批判されたようだ。
そうしたストーリーを知悉したうえで本曲を鑑賞するとより楽しめるだろう。長閑で柔らかな旋律は九九明けの明るい春の日の暖かさとその日を迎えた喜びをよく表現している。江蘇民謡に典型的な形式で創作された曲調とされ、農民が楽しげに歌っているような情景を想起させるといえる。詞も繰り返しや比喩を用いて深い味わいを醸し出すステキな曲である。しかし技巧を凝らした詞は翻訳がメチャメチャ面倒だったのは言うまでもない。本来は男女のデュエットでお互いに呼びかけるような雰囲気であるが、実際に歌われているところを見てもそのへんがどうもファジーなので、一貫して女性が男性に呼びかけるような雰囲気で翻訳した。
九九という季節の計算法が印象的に用いられており、そのまま「春を迎えた」という意味ももちろんあるが、全国津々浦々の農村が地主野郎に搾取されるという冬の時代を経て、人民が主人の新しい春を迎えた、という喜びも共に表現されているように感じる。
歌の中で女性は「小英莲」と呼ばれているが、紅楼夢の登場人物になぞらえているのだろうか。おそらく「小英莲」が「ヒロイン」の代名詞的に使われているのかな、とも予想したが結局理由がわからなかった。訳詞中では単に「私」としている。
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