站在草原望北京(草原に立って望む北京)

2020/09/19

2010年代

中国語歌詞

站在草原望北京
词:邱国栋 曲:张天赋 2013年
瓦蓝蓝的天上飞雄鹰 我在高岗眺望北京
侧耳倾听母亲的声音 放眼欲穿崇山峻岭
绿波波的草场骏马行 我在草原歌唱北京
谁的眼晴掠过了风景 迎风高唱五星红旗
我站在草原望北京 一望无际国泰安宁
唱出草原的豪情和美丽
让这歌声回荡紫禁
我站在草原望北京 青青山岗心旷神怡
让心放飞这喜悦的心情
吉祥彩云献给你

日本語訳詞

草原に立って望む北京
作詞:邱国棟 作曲:張天賦 2013年
鷹が飛びゆく青空の下 丘に立って北京を仰ぐ
じっと耳を傾ける母の声 あの連なる山々を見通したい
緑の波を駆け抜ける駿馬 草原に立って北京を歌う
景色が誰かの目に映りゆく  吹きくる風に五星紅旗を歌い上げる
草原に立って望む北京 その目に映る果てもない安寧
草原の美しさと雄大なこころを歌う声を
紫禁城にまで響き渡らせる
草原に立って望む北京 青々とした丘に気持ちも晴れる
この嬉しい想いを 心から歌いたい
めでたい彩雲をあなたに捧げよう
※この曲のMVが2013年にCCTVから表彰されたという経緯から、曲も同じ年に作られたと予測し、2013年作とした。


☆概要
モンゴル歌手の烏蘭図雅さんが歌う、わりと最近のヒット曲。いつもならばこういった紅くない曲はスルーするが、意外と良い曲だったということと、中央宣伝部がやたらとプッシュしている事実があるため興味を持った。調べたところ、まだどなたも和訳してないから「為人民服務」の精神で日本語訳してみた。しかし、「わりと最近」とはいえ7年も前の曲だ。和訳の需要なんかあるのだろうか。

歌手の烏蘭図雅(ウラントゥヤ)さんは内モンゴル生まれの蒙古族だ。彼らは紅歌の分野においても、チベット族と並ぶほどの音楽性を持ち、人気歌曲を多数輩出していた。この曲も、西洋のポップの影響を受けたような曲とはいえ、蒙古族に特有な雄大かつ印象に残るメロディーを持っていると感じる。
 
ネット上では烏蘭図雅さんが八代亜紀に似ていると言われたことがあるが、確かに細めた目の感じが実によく似ている。それに加え、なんだか派手な衣装をよく着ているので小林幸子の風味も感じなくはないという日本歌謡界の大物のDNAを受け継ぐ面白い歌手。
 
メロディーがきれいならば歌詞もきれい。「鹰、京、岭、行、景、宁、情」といったng韻や、詞のように並んだ様子はとても完成度が高く、練りに練って作り上げられた趣がある。
 
ただ、肝心の内容がよく分からない。
 
たとえば「放眼欲穿崇山峻岭」という部分、「眼欲穿」は成語っぽいが、実は存在しない。成語として存在するのはよく似た「眼欲穿」という語で、こちらは「目に穴があくほど待ち焦がれる」と言ったような意味。それを機械的に適用すると、「崇山峻岭を待ち焦がれる」というような意味になってしまう。山を待つってどういうこと?「もしかしたら『愚公山を移す』を敷衍しているのかも!」と思ったがまぁ違うでしょうね……。愚公は山がなくなることを待ち望んでいたし。従って、今回の翻訳では「穿」の対象は目ではなく崇山峻岭と予測した。そうすると「欲」は「~したい」というような意味になってしまい、「望眼欲穿」とは全く意味が異なってしまうのだが、コレで良いのだろうか。それとも「目に穴があくほど山々を見通したい」というような意味なのだろうか。いずれにしろなんだかよく分からない。おそらくは「望眼欲穿」を作詞者が改変したということで、一生懸命と松岡修造の言う一所懸命のような関係を持っているのであろう。あと、穴があくのは対象物ではなくて目なのね。
 
もう一つよく分からなかったのは「谁的眼晴掠过了风景」という歌詞だ。 「掠过」は「かすめる」という意味だが、この構造では「誰かの目」が風景をかすめる事になってしまう。ふつう、目や脳裏にかすめるんじゃないのか。
 
もちろん、これらの疑問は私の中国語レベルが低すぎることに起因していて、中国語の神が見れば「あ~これは〇〇だね」と疑問が一瞬にして氷解するかもしれない、と付言しておく。 

冒頭で書いたように、この曲は中央宣伝部がやたらと推している。内容が中国夢にかなうものだ、というのがその理由だが、いまいち判然としない。北京とか五星紅旗といったワードや辺疆の少数民族から漢族の中央への讃歌であるといった要素から宣伝部に好まれたのだろうか。中国の歌だから比較的自然に「あ~五星紅旗ネ」となるが、これが「吹きくる風に日章旗を歌い上げる 北の大地に立って東京を望む」とかだったら軍歌としか思えない。そう考えるとけっこうゴリゴリなプロパガンダソングなのかもしれない。


☆動画
この歌のミュージックビデオ。CG天安門が出てきたり、馬に乗ってる人がNIKEの帽子をかぶってたり、「眺望」が「瞭望」になっていて、「瞭」のフォントがおかしいとかオモシロイところがいっぱいあって楽しい。