中国語歌詞
日本語訳詞
※この曲のMVが2013年にCCTVから表彰されたという経緯から、曲も同じ年に作られたと予測し、2013年作とした。
☆概要
モンゴル歌手の烏蘭図雅さんが歌う、わりと最近のヒット曲。いつもならばこういった紅くない曲はスルーするが、意外と良い曲だったということと、中央宣伝部がやたらとプッシュしている事実があるため興味を持った。調べたところ、まだどなたも和訳してないから「為人民服務」の精神で日本語訳してみた。しかし、「わりと最近」とはいえ7年も前の曲だ。和訳の需要なんかあるのだろうか。
歌手の烏蘭図雅(ウラントゥヤ)さんは内モンゴル生まれの蒙古族だ。彼らは紅歌の分野においても、チベット族と並ぶほどの音楽性を持ち、人気歌曲を多数輩出していた。この曲も、西洋のポップの影響を受けたような曲とはいえ、蒙古族に特有な雄大かつ印象に残るメロディーを持っていると感じる。
ネット上では烏蘭図雅さんが八代亜紀に似ていると言われたことがあるが、確かに細めた目の感じが実によく似ている。それに加え、なんだか派手な衣装をよく着ているので小林幸子の風味も感じなくはないという日本歌謡界の大物のDNAを受け継ぐ面白い歌手。
メロディーがきれいならば歌詞もきれい。「鹰、京、岭、行、景、宁、情」といったng韻や、詞のように並んだ様子はとても完成度が高く、練りに練って作り上げられた趣がある。
ただ、肝心の内容がよく分からない。
たとえば「放眼欲穿崇山峻岭」という部分、「放眼欲穿」は成語っぽいが、実は存在しない。成語として存在するのはよく似た「望眼欲穿」という語で、こちらは「目に穴があくほど待ち焦がれる」と言ったような意味。それを機械的に適用すると、「崇山峻岭を待ち焦がれる」というような意味になってしまう。山を待つってどういうこと?「もしかしたら『愚公山を移す』を敷衍しているのかも!」と思ったがまぁ違うでしょうね……。愚公は山がなくなることを待ち望んでいたし。従って、今回の翻訳では「穿」の対象は目ではなく崇山峻岭と予測した。そうすると「欲」は「~したい」というような意味になってしまい、「望眼欲穿」とは全く意味が異なってしまうのだが、コレで良いのだろうか。それとも「目に穴があくほど山々を見通したい」というような意味なのだろうか。いずれにしろなんだかよく分からない。おそらくは「望眼欲穿」を作詞者が改変したということで、一生懸命と松岡修造の言う一所懸命のような関係を持っているのであろう。あと、穴があくのは対象物ではなくて目なのね。
もう一つよく分からなかったのは「谁的眼晴掠过了风景」という歌詞だ。 「掠过」は「かすめる」という意味だが、この構造では「誰かの目」が風景をかすめる事になってしまう。ふつう、目や脳裏にかすめるんじゃないのか。
もちろん、これらの疑問は私の中国語レベルが低すぎることに起因していて、中国語の神が見れば「あ~これは〇〇だね」と疑問が一瞬にして氷解するかもしれない、と付言しておく。
冒頭で書いたように、この曲は中央宣伝部がやたらと推している。内容が中国夢にかなうものだ、というのがその理由だが、いまいち判然としない。北京とか五星紅旗といったワードや辺疆の少数民族から漢族の中央への讃歌であるといった要素から宣伝部に好まれたのだろうか。中国の歌だから比較的自然に「あ~五星紅旗ネ」となるが、これが「吹きくる風に日章旗を歌い上げる 北の大地に立って東京を望む」とかだったら軍歌としか思えない。そう考えるとけっこうゴリゴリなプロパガンダソングなのかもしれない。
☆動画
この歌のミュージックビデオ。CG天安門が出てきたり、馬に乗ってる人がNIKEの帽子をかぶってたり、「眺望」が「瞭望」になっていて、「瞭」のフォントがおかしいとかオモシロイところがいっぱいあって楽しい。
貴重なお話ありがとうございました。
返信削除最近この曲のDJ版がYouTubeの動画でよく流れてたので歌詞見にきました。日本語訳ありがとうございます!
返信削除この曲は私に中国人のおおらかさと紅旗に集う国民の強さを感じます。内モンゴル人が私達は中国人だと胸を張って歌う姿が美しい
返信削除youtubeのDJ版から来ました。情報があり嬉しかったです。ありがとうございました。
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