歌唱二郎山(二郎山を歌う)

2020/09/29

1950年代 紅歌

中国語歌詞

歌唱二郎山
词:洛水 曲:时乐濛 1951年 
根据时乐蒙的《盼望红军快回家》中的旋律填词创作的

二呀么二郎山 高呀么高万丈
 古树那荒草遍山野 巨石满山岗
羊肠小道那难行走 康藏交通被它挡 那个被它挡
二呀么二郎山 哪怕你高万丈
解放军铁打的汉 下决心坚如钢
要把那公路修到那西藏

不怕那风来吹来 不怕那雪花飘
起早睡晚忍饥饿 个个情绪高
  开山挑土那架桥梁 筑路英雄立功劳 那个立功劳
二呀么二郎山 满山那红旗飘
公路通了车 运大军 守边疆
开发那富源 人民那享安康

前藏那和后藏 处处那遭灾殃
帝国那主义国民党狼子野心狂
人民痛苦那深如海 日日夜夜盼解放 那个盼解放
中国那共产党 像那红太阳
解放军真坚强 下决心进西藏
保障那胜利 巩固那国防

前藏那和后藏真是呀好地方
无穷的宝藏没开采 遍地是牛羊
森林草原那到处有 人民财富不让侵略者他来枪
要巩固国防先建设边疆
篷帐变高楼 荒山变牧场
侵略者敢侵犯 把它消灭光
※「要把那公路……」は「誓把那公路……」とも。
※「起早睡晚」 は「起早晚睡」とも。
※「篷帐」は旧い言い方。現代版では「帐篷」と歌われることが多い。
※「帝国那主义国民党」は現代では「帝国那主义反动派」と歌われる事が多い。

日本語訳詞

二郎山を歌う
作詞:洛水 作曲:濛 1951年
濛作曲の「盼望红军快回家」を原曲として詞を変えた作品
ああ二郎山 万丈と聳え 草木や巨岩はお前を覆わんばかり
つづら折りの小径はゆきづらく 康蔵の往来妨げられること甚だし
二郎山よ お前を恐れるものか
解放軍の偉丈夫が下す決心鋼の如く 
必ずこの道を西蔵まで敷いて往かん!
 
吹きくる風も 舞い散る雪も恐れずに
 払暁から夜更けまで 飢え忍びつつ 士気は漲る
山を開いて橋架けて 道を築いた英雄の功は高く天を衝く
ああ二郎山 赤旗は翻る お前を埋めるほどに
 新たな路に車は通り 強者運んで辺疆守る
この地の資源を開発し 人民に安寧をもたらすのだ!
 
前蔵と後蔵の至る所に災厄は降りかかる
帝国主義国民党の犬どもは野心に狂い
人民の苦しみ塗炭が如し 日夜待つのは解放のあしたのみ
中国共産党 まるで紅い太陽のよう
不撓不屈の解放軍が 心に決めて西蔵へ来たからには
勝利は約され 護りは鉄壁

前蔵、後蔵はまことに好いところ
 無限の宝は地に眠り 至る所に家畜が育つ
何処までも広がる平原と森林
この地に住む人民の財産を侵略者に奪わせはしない
国の護りを固めるならば 辺疆を発展さしむべし
荒屋は摩天楼 荒れ地は牧場へ
侵略者よ 来るなら来てみよ きっと我らに敵いはしない!
※三番の歌詞が歌われることは少ない。


☆概要

1950年、人民解放軍はチベットへ進軍しつつ道をも敷いていくという困難な任務に取り掛かっていた。ただでさえ高地という不慣れなところへ行かねばならないのに、その上、工事までやって進軍路を自分たちで確保せねばならなかったのだ。解放軍は精強かつ有能な軍隊である。しかし、そんな彼らに膨大な犠牲を強いたほどの難関があった。それがこの歌のタイトルにもなっている二郎山だ。

 

二郎山は四川省にあり、標高は3437メートルを誇る。しかし、それだけでは終わらずに、越えた後も険しい山々は続くというので、解放軍の戦士が味わった辛苦はいかほどのものだったろうか。この二郎山は一番最初に立ちはだかった山岳であり、いわば苦難の始点であった。気温や食糧問題、高山病に悩まされつつ、解放軍が鉄の意志で行った工事の犠牲は、百度百科によると4963名の尊い命であったといい、1キロメートルあたり7人の軍人が亡くなった計算だという。いくらなんでも死に過ぎじゃないか感は否めないが、この血を以て作られた道路によって初めて四川とチベットが繋がり、チベットの解放を加速させたのだから彼らの立てた功は天より高いと言える。


曲調は上記の経緯を感じさせない明るく軽やかな民謡調。これは豫劇の曲調を使ったからである。なんで豫劇なのかというと、工事に従事していた兵士の多くが河南省(豫)出身であり、彼らのために捧げるということでこのような曲調になったらしい。初期に録音された音源では楽器の演奏も控えめなものであり、歌手もいちおうテノールらしいのだが、現代のテノール歌手とは全く趣が異なる声質で、そうであることを感じさせない歌声だ。何が言いたいかというと、決して完成度は高くない音源なのだ。それもそのはず。原唱ではまさかの一発録り。楽器も歌手も全員が一度に参加し、やり直しがきかないという状況で録音したもののようだ。だが、そんな機材も人も欠いたような状況で録ったような音源が、私はいちばん好きだ。本当に現場で歌われているような雰囲気があるし、二郎山に散っていった戦友たちへの追悼と、開通を祝う気持ちがにじみ出ているから。原唱は荒削りゆえに、他の何ものにも出せない「味」が出ている、そんな気がする。


歌詞も二郎山を切り拓いた経緯と人民の喜びが伝わってくる素晴らしいもの。「昔は荒れ果ててたけど、共産党・解放軍が来てから豊かになったね!」というストーリーは王道モノで、よく見られるが、二郎山で犠牲となった将士の存在を知れば、より心に染み込んでくる重みを感じられる素敵な歌詞と思うだろう。加えて、ng韻もバッチリ組み込んでいるし、「呀」、「那」の演劇的節回しも魅力を高めている。民謡的な曲調と歌詞の構成はかの名曲「南泥湾」を思い起こさせる。1951年ということもあってか、毛主席は登場されない。かろうじて共産党というワードが出てくるくらいだが、それが入った三番はあまり歌われることがないのが玉にキズ。国民党ディスも入っている良歌詞なのだが……


ここで歌詞に出てくる地名の解説を記載しておこうと思う。

 

まず、「康蔵」という単語。これは「カム(康)」と「チベット(蔵)」という意味。カムは青海省、四川省、雲南省、チベット自治区にまたがる地域を指す。ちょうど各省、区をまたいで存在している地域で、チベットの奥地と中国大陸の南方を結ぶような存在。

 

「前蔵、後蔵」はそのまんま。前蔵は上記のカムに近い、比較的開けているところで、後蔵は奥地のほう。呼び名が多すぎてよくわからないが、西の方から後蔵→前蔵→康となっている。もともとは清代とかそのへんからこう呼ばれており、今はあまり使われないらしい。詳しいことは話すと長くなるし、正直私もよくわからないのでボロを出さずに和諧にしておく。

 

最後に、この曲は朝鮮の普天堡電子楽団によるカバーが存在することも、言っておかねばなるまい。豊かな音楽機材と優秀な女声歌手を投入した良いカバーなのかもしれないね。

しかし、正直言うと、私は全く興味がない。「歌唱二郎山」は道路の竣工を祝う讃歌であり、大衆に向けたポップ・ミュージックであり、そして何より死んでいった同胞に向けた鎮魂歌である。そうした雰囲気というか要素、「味」は工事中、あるいは完成直後に録られた、プアな機材と足りない人材で作り上げた荒削りな音源でしか表現することが出来ない。普天堡電子楽団のアレンジはキレイだけれど、あれはただの「歌」に堕している。「歌唱二郎山」 ではない。



☆動画


☆参考

 

CCTVがこの曲を紹介したページ http://www.cctv.com/entertainment/xzwt/no13/5.html

 

百度百科「歌唱二郎山」 https://baike.baidu.com/item/%E6%AD%8C%E5%94%B1%E4%BA%8C%E9%83%8E%E5%B1%B1