中国語歌詞
日本語訳詞
☆概要
1950年、人民解放軍はチベットへ進軍しつつ道をも敷いていくという困難な任務に取り掛かっていた。ただでさえ高地という不慣れなところへ行かねばならないのに、その上、工事までやって進軍路を自分たちで確保せねばならなかったのだ。解放軍は精強かつ有能な軍隊である。しかし、そんな彼らに膨大な犠牲を強いたほどの難関があった。それがこの歌のタイトルにもなっている二郎山だ。
二郎山は四川省にあり、標高は3437メートルを誇る。しかし、それだけでは終わらずに、越えた後も険しい山々は続くというので、解放軍の戦士が味わった辛苦はいかほどのものだったろうか。この二郎山は一番最初に立ちはだかった山岳であり、いわば苦難の始点であった。気温や食糧問題、高山病に悩まされつつ、解放軍が鉄の意志で行った工事の犠牲は、百度百科によると4963名の尊い命であったといい、1キロメートルあたり7人の軍人が亡くなった計算だという。いくらなんでも死に過ぎじゃないか感は否めないが、この血を以て作られた道路によって初めて四川とチベットが繋がり、チベットの解放を加速させたのだから彼らの立てた功は天より高いと言える。
曲調は上記の経緯を感じさせない明るく軽やかな民謡調。これは豫劇の曲調を使ったからである。なんで豫劇なのかというと、工事に従事していた兵士の多くが河南省(豫)出身であり、彼らのために捧げるということでこのような曲調になったらしい。初期に録音された音源では楽器の演奏も控えめなものであり、歌手もいちおうテノールらしいのだが、現代のテノール歌手とは全く趣が異なる声質で、そうであることを感じさせない歌声だ。何が言いたいかというと、決して完成度は高くない音源なのだ。それもそのはず。原唱ではまさかの一発録り。楽器も歌手も全員が一度に参加し、やり直しがきかないという状況で録音したもののようだ。だが、そんな機材も人も欠いたような状況で録ったような音源が、私はいちばん好きだ。本当に現場で歌われているような雰囲気があるし、二郎山に散っていった戦友たちへの追悼と、開通を祝う気持ちがにじみ出ているから。原唱は荒削りゆえに、他の何ものにも出せない「味」が出ている、そんな気がする。
歌詞も二郎山を切り拓いた経緯と人民の喜びが伝わってくる素晴らしいもの。「昔は荒れ果ててたけど、共産党・解放軍が来てから豊かになったね!」というストーリーは王道モノで、よく見られるが、二郎山で犠牲となった将士の存在を知れば、より心に染み込んでくる重みを感じられる素敵な歌詞と思うだろう。加えて、ng韻もバッチリ組み込んでいるし、「呀」、「那」の演劇的節回しも魅力を高めている。民謡的な曲調と歌詞の構成はかの名曲「南泥湾」を思い起こさせる。1951年ということもあってか、毛主席は登場されない。かろうじて共産党というワードが出てくるくらいだが、それが入った三番はあまり歌われることがないのが玉にキズ。国民党ディスも入っている良歌詞なのだが……
ここで歌詞に出てくる地名の解説を記載しておこうと思う。
まず、「康蔵」という単語。これは「カム(康)」と「チベット(蔵)」という意味。カムは青海省、四川省、雲南省、チベット自治区にまたがる地域を指す。ちょうど各省、区をまたいで存在している地域で、チベットの奥地と中国大陸の南方を結ぶような存在。
「前蔵、後蔵」はそのまんま。前蔵は上記のカムに近い、比較的開けているところで、後蔵は奥地のほう。呼び名が多すぎてよくわからないが、西の方から後蔵→前蔵→康となっている。もともとは清代とかそのへんからこう呼ばれており、今はあまり使われないらしい。詳しいことは話すと長くなるし、正直私もよくわからないのでボロを出さずに和諧にしておく。
最後に、この曲は朝鮮の普天堡電子楽団によるカバーが存在することも、言っておかねばなるまい。豊かな音楽機材と優秀な女声歌手を投入した良いカバーなのかもしれないね。
しかし、正直言うと、私は全く興味がない。「歌唱二郎山」は道路の竣工を祝う讃歌であり、大衆に向けたポップ・ミュージックであり、そして何より死んでいった同胞に向けた鎮魂歌である。そうした雰囲気というか要素、「味」は工事中、あるいは完成直後に録られた、プアな機材と足りない人材で作り上げた荒削りな音源でしか表現することが出来ない。普天堡電子楽団のアレンジはキレイだけれど、あれはただの「歌」に堕している。「歌唱二郎山」 ではない。
☆動画
☆参考
CCTVがこの曲を紹介したページ http://www.cctv.com/entertainment/xzwt/no13/5.html
百度百科「歌唱二郎山」 https://baike.baidu.com/item/%E6%AD%8C%E5%94%B1%E4%BA%8C%E9%83%8E%E5%B1%B1
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