【国慶節記念】中華人民共和国建国71周年のめでたき日を熱烈に祝賀し、幸福と勝利の2020年代に歩み出そう

2020/10/01

志在四方山ばなし

 建国71周年を熱烈に祝賀する

 

今天是你的生日,我的中国――今日はあなたの誕生日、我が中国よ。


1949年の今日、中華人民共和国は誕生した。天地開闢以来、搾取と圧迫に苦しんできた人民たちは、永い永い時を経て、ようやく中国という地の主人となったのだ!今日で71歳となったこの国は未だに高度な経済成長が続き、人民の幸福は増すばかり。かつては多くの困難が打ち付けもしたが、英明な指導者と党、英雄的人民たちによってそれらを跳ね除け、「中国の夢」という偉大な目標に向かって社会主義の大道を歩み続けている。

 

こうした平和と幸福は、なにも天から降ってきたわけではない。 人民の手によって少しづつ作られていったものである。しかしながら我ら人民も、偉大な舵手なしにはこうした建設の任務を成し遂げる事はできなかったであろう。昔、中国は暗闇だった。人民は苦痛に喘ぎ、支配階級は保身に汲々とし、国を滅ぼさんばかりの暴虐を尽くした。だが、ついに太陽は昇り来たのだ。1893年、中国は毛沢東を輩出した。そして1921年には中国共産党を生んだのである。力強い人民は、前衛と偉大な領袖を戴くことで正しい歴史の法則に沿って歩みを開始し、ようやく1949年に、一つのメルクマールを迎えることになったのである。自分たちの、働くものの国を建てたあとも、党、指導者、そして人民は歩みを止めることはなかった。今日の平和はそうした先輩たちの流した血と汗の決勝であり、それを護り発展させていく重くも光栄な責任は、まさに我らの双肩にかかっている!2020年代という新たな黎明を迎え、我々人民は更に勝利を重ねていかねばならない。待ち受けているのは世界の平和と調和を乱す勢力との戦い、流行するコロナウイルスとの戦い、貧困との戦い、社会主義強国建設の戦いという難関である。しかし!我々には英明な領袖と党がいる!彼らが指し示す方向に向けて、しっかりと歩みを進めていく攻略戦を深化していくべきだ。そうすれば2020年代という未知の時代を勝利の錦で飾り、中華民族の偉大な復興は必ず成し遂げられるであろう!

 

2020年10月1日 国慶節の佳き日に

毛主席ファンクラブ 総書記



……といったクリシェを並べただけのお気持ち表明だけではツマラナイのでもう少しフランクに新中国の歩みを振り返ってみよう。


中国の人口推移を公式資料から見る

どうも今年、2020年に中華人民共和国の人口は14億人を超えたようだ。14億人――そんな想像もできないほどの数字を聞かされるとフハッという嘆息とも驚嘆ともつかぬような声が漏れてしまう。「多い=良いこと」みたいなシンプルかつ大陸的な価値観にはある程度慣れているつもりだけど、やはり14億は多いよ!14億人の頭の上には屋根が必要だし、14億の口には食べ物も必要になる。14億の出したクソも処理せにゃならんし、14億人を毎日ブラブラと遊ばせておくわけにもいくまい。果たして広大な14億人民という海の隅々に衣食住はあまねく行き渡るのだろうか。


人口のことをぽわぽわと考えていると、文革中の映像資料で「六亿人民」とか「七亿人民」とか言っていたのを思い出した。中国の人口がどのように推移したのかわたしもよく知らないし、ちょうど良い機会だから6億7億がいつ10億を超えたのかでも確かめてみよう。尤も、当の中国政府ですら何人いるのかを正確に知っているのかは分からないけれどね。

「中国统计年鉴2019」(http://www.stats.gov.cn/tjsj/ndsj/2019/indexch.htm)を参考に作成


えらいキレイに伸びてるなぁ。一気に3億人くらい増えているわけではないのでグラフにすると面白みに欠けるが、なかなかにすごい数字である。建国当初は6億人にすら達していなかったのに1970年頃には8億人にも爆増してる。そして1980年代には10億人だ。こういう事実を見るたび、ソ連修正主義社会帝国主義官僚腐敗国家を「あの国は畑から兵士が取れる!」などと「共産趣味者」どもが騒ぎ立てるのは全く見当違いだと痛感する。わが中国は畑で取れるレベルなどではない。もはや単性生殖とか分裂が可能なのかと疑ってしまう。人口増加を続ける中国は、そして14億の領域へと歩みだす。一人っ子政策っていうのがあったはずなのになぜ14億になったのか、王さんだけで何億人いるのかなどの謎を残したまま……いや、ほんと、一人っ子政策が罰金を払えば第二子、第三子も可能な制度であることは知っているけれど、なんで何億人も増えるんだ?なんかのマジック?

 

1950年代から60年代の人口自然増加率は20~30‰、70~80年代は平均15‰くらい。1998年からようやく一桁になったというから中国人の増え方にはやっぱりびっくりする。本当は人口と合わせて増加率のグラフも作りたかったが、適当な資料が見当たらなかったのでやめた。

 

人口は建国以来増え続けているという発表は正しい。最近の年鑑が1978年以降の推移しか載せていないが、それは「新時代に目を向けろ」ということだろう。

旧い年鑑を見てみると、1978年以前の状況が載っていることがある。しかし、なぜか1958年から1961年のデータがない。きっと統計局の同志たちが「旧い年代だから」と50年代後半~60年代としてまとめてくれたのだろう。

手元にあった資料、1987年発行の三菱総合研究所中国研究室編『中国情報ハンドブック』にも人口増加率が載っているので目を通してみた。1960年の人口増加率がマイナスになっていた気がしたが、わたしの見間違いだろう。



経済のあゆみ

「中国统计年鉴2019」(http://www.stats.gov.cn/tjsj/ndsj/2019/indexch.htm)を参考に作成

 

お手本のような高度経済成長!起点である1978年から比べると、文字通り天と地の差であるね。改めて見ると、「改革開放」といってもその初期は低調だったことがハッキリと分かる。実際には1978年から90年くらいまで緩やかに、しかし堅実な成長を続けていたのだが、2000年代以降の伸びと比べてしまうとどうしても見劣りがする。そんな状況が変わるのがやはり鄧小平翁の南巡講話(1992年)以降だろう。明らかにそれまでとは上がり方が異なる。1978年に暖機運転を始めた中国経済という車は、ようやく1990年代に走り出した。はじめはぎこちなく走っていたが、あっという間にロケットになって宇宙に飛んでいってしまったかのようだ。たしかに経済は豊かになった。ちょっと前までは「车」といえば自転車のことであった国が、今はちゃんとタイヤが4つついたアレを「车」としているのである。でも、それでも私はあの地を這うような曲線を描いていた頃の中国が、いちばん好きだ――と、三文コピーライターみたいな文言で中国愛を述べておく。

 

ちなみにこのグラフも1978年が始点だが、こちらはそれ以前の資料はさして労苦することなく発見できた。だから1949年から現在までのグラフにしようとしたのだけれど、資料によって少しだけ誤差が存在しており、統一された算出方法ではなさそうだったので、まとまった資料として残っている1978年を始点としたものを基にしてグラフを作成したのである。最初は「やはり敏感な話題か」とも思ったが、1978年にしろ1958年にしろ、地を這っていることに変わりはないので中国も公開するにそれほど抵抗はないのかも?

 

おわりに


ここで一つ卑近な中国観を紹介したい。これは私の両親が中国に抱いていたイメージだ。2000年代前半、親に中国のことを聞くと返ってくる答えはいつも「あの国は自転車の数がすごいんだ」、「みんなおんなじ服を着ているんだよ」、「観光地に行くとスリと乞食と物売りがわーっとやってきて、たまったもんじゃあないよ」、「昔あったソ連って国と同じ考えをしている」……今こんな旧思想を植え付けられようとしたら、高帽子被せてジェット式の造反有理批判大会をおっぱじめるものだが、当時の私は「ふーん、そうなんだ」くらいの反応であった。それでもニュースで流れてくる自転車の大群と曇った黄色い空、第3ボタンくらいまで外したシャツを着ている中国中年労働者、そして天安門という建物の上に掲げられている特徴的な髪型のおじさんを見ると、「この国はなにやらオモシロイな」と感じたことを克明に覚えている。

 

おそらく20年前の日本人が有していた中国観は、我が父母のものと大同小異であろう。それが今や経済で追い抜かれ、「中国ヤバい!スゴい!」や「中国崩壊秒読みか(一週間ぶり∞回目)」などとぎゃあぎゃあ言っているので時代は変わるものである。こうした事実を目にすると、「愚公移山」の話を誰かに聞かせしめて得意顔をしたくなるので、今しようか。

 

愚公というおじいさんがいた。ある日彼は自宅近くにある山が邪魔でしょうがなくなり、せっせと山を掘りはじめた。「山を掘って何やってんだ。山を移す?頭おかしいのか?こんなでかい山を切り崩せるわきゃねぇよ」と老人特有のストレートな罵倒を浴びせられたかは分からぬが、愚公は答えた「山は増えはせん。しかしワシには息子がいる。息子でダメなら孫がいる。孫でダメならひ孫が……とこういうふうにいくらでも続けられるのだよ。そうしたらいつの日か山は移せるだろう?」これを聞いた天が「よし、山を移してやろう」と言い、山は、なくなった。

 

という天の力で最終的に解決するデウスエクスマキナストーリー。オチが雑なのでこの話自体は好きではないし、「ふ~ん」というような話だが、実はこの話は毛主席に引用されたという点にこそ価値があり、毛主席の思想とこの話が融合した点に教訓があるのだ。 


毛主席は山を反動勢力のくずども、愚公を共産党になぞらえた。共産党が不屈の精神で戦えば、人民という「天」を感動させ、山を消し去ることができる――そう主張したのである。さすが文人である。こんな素敵なたとえ話がスラスラと出てくるなんて。初めてこの文章に触れた時はなんて趣深く、分かりやすい文章だ!と感動し、爾来、中国共産党と人民の闘いを見守ってきた。しかし、今度の戦いは反動のきちがいと交えるものではなく、「丰衣足食」、「不愁吃,不愁穿」を目指す経済建設である。世界は冷ややかな目で見、中国は切り離されていた。ただの後進国であったのだ。しかし!見よ!今や中国は貧困と零落という山を移し、豊かで安らかな暮らしという道まで建設し始めている。20年前の日本人は不可能だと信じ切っていたが、中国人は現に山を移してしまったのだ!


「一帯一路は破綻する」、「中国の夢は叶わない」、「経済は沈滞する」……見渡せばこんな言論ばっかだが、中国は山を移しきることのできる国だ。私は2020年代も中国がますます発展し、さまざまな山という名の障害を取り払って進むことを信じている。そして来年は建党100周年、楽しみでしょうがない。その日のためにネタを温存して人口と経済しか今回は触れなかったので、100周年はもっと盛大に祝おうではないか!