中国語歌詞
日本語訳詞
☆概要
今回は阎维文さんが歌ったバージョンが有名な中国軍歌を日本語訳してみた。われわれ日本人が「軍歌」と聞くと、真っ黒で文字がいっぱい書かれた、怖いおじさんが乗っているアノ車が爆音で流しているものを想像してしまうし、それらの歌曲は勇壮には違いないが、なんとなく哀調を帯びている。翻って中国の「軍歌」とカテゴライズされるのもは総じて明るく軽快だ。この曲もご多分に漏れずポップで光のオーラをまとっている。しかしそれでも行進曲調であったり、軍隊でよく使う掛け声、「一二三四」を題材としているなど軍歌の薫りもしっかり具えた名曲である。
この曲が最初に歌われたのが1994年の春节联欢晚会だと百度百科に書かれているので、創作年度はそれに従った。その後大ヒットし、時の指導者である江沢民主席もこの曲を激賞したという。1990年代はそれほど経済が好調というわけでもなく、かといってカチカチの後進経済というわけでもなかった中国の下積み時代終盤だ。これ以降は軍歌もだいぶ西洋っぽさというか技巧に走り始めた趣がある。だから90年代くらいの素直で、純朴で、明るい軍歌はほのかに古きよき中国が薫る、紅歌ファンが好むテイストだと思う。
イー!アー!サン!スー!と耳に残るメロディの淵源は、上記で述べたとおり軍隊でよく使う掛け声だが、それが歌になった経緯がおもしろい。作詞者、作曲者、歌手(阎维文)のお三方がごはんを食べながら歌のアイデアを出していたという。そしたら阎维文さんが「軍隊といえば一二三四という掛け声だから、それを歌にしてみては」と提案したらしい。この提案を受けて、一二三四という数字に何かを絡めよう!という話になり、作詞作曲歌手の三者で練り上げて創作して出来上がったのがこの曲だ。言われてみれば「一二三四」は軍隊っぽい掛け声だけど、普通に暮らしていれば馴染みがない。阎维文さんは解放軍の歌舞团に所属していた軍人歌手。だからこそパッと思いついて、更に歌手という立場から様々な提言が出来たのだろう。三人の芸術家の同志たちの力とアイデアが合わさって出来たというバックストーリーは名曲にはうってつけだと思う。ちなみに私は従軍経験は無いので、「一二三四の掛け声を基に作られた」という事を知ったときに、真っ先に野球部が頭に浮かんでしまった。ごめんね同志たち。
今回の翻訳は賛否両論だろうし、私も「これで良かったのかな……」と思ってしまう。その原因は「一呀么 一呀么 一呀么一」を「その一!」と、随分あっさりした表現に落とし込んだからだ。これは「イチ!イチ!イチ!」にしようかな、と思い悩んだのだが、原曲の雰囲気とかけ離れてしまうかと思ってやめた。それに兵士が集団で走って「一一一、一二三四!」と言ってる場面であるならば「イチ!イチ!イチ!イッチッサッシー!」とでも訳すのが正解だろうけど、これは歌なので詞として見たときにキレイかどうかで訳してみた次第。
あと「四海为家」は「四海を家となす」と訳したが、どうも「八紘を宇となす」に似た帝国主義的かほりを垂れ流しているようで気に入らない。でもこれは本人たちがそう言っているんだからしょうがないよね。
この歌は朝鮮人民軍の功勲合唱団が歌ったバージョンが存在する。基本的に中国歌曲を朝鮮がアレンジしたものは、彼らの味を勝手に大盛りしちゃうからキライだけれど、この曲の功勲バージョンは軽快な雰囲気を増幅したうえ、軍人たちの勇ましい声を合唱で届けてくれるから好きだ。また、間奏で解放军进行曲を入れてくる演出もニクい。阎维文さんのハッキリとした伸びやかな声で歌われるほうも、功勲合唱団も両方とも名曲なので、ぜひ2曲とも楽しんでほしい。
☆動画
1994年の春节联欢晚会の模様。今でこそ巨大な番組だけど、この当時は近所のキャバレーでやってんのか的芋臭さを醸し出してて最高。
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