渔家姑娘在海边|漁師の乙女が海辺にて

2020/10/27

1970年代

中国語歌詞

渔家姑娘在海边
词:黎汝清 曲:王酩 1975年
大海边哎沙滩上哎
风吹榕树沙沙响
渔家姑娘在海边哎
织呀织鱼网
织呀嘛织鱼网
哎……渔家姑娘在海边
织呀嘛织鱼网
 
高山下哎悬崖旁哎
风卷大海起波浪
渔家姑娘在海边哎
练呀练刀枪
练呀嘛练刀枪
哎……渔家姑娘在海边
练呀嘛练刀枪

日本語訳詞

漁師の乙女が海辺にて
作詞:黎汝清 作曲:王酩 1975年
大海の浜辺に風は吹きおこり 榕樹の木はそよそよと
漁師の乙女が海辺にて 手ずから漁網を編んでゆく 手ずから漁網を編んでゆく
あゝ 漁師の乙女が海辺にて手ずから漁網を編んでゆく
 
高山が裾野の切り立つ断崖に 風すさび波起こる
漁師の乙女が海辺にて 銃槍手に取り武に励む 銃槍手に取り武に励む
 あゝ漁師の乙女が海辺にて 銃槍手に取り武に励む


☆概要

今回翻訳したのは映画『海霞』の主題歌である「渔家姑娘在海边」。映画のストーリーは『海岛女民兵』という小説に則ったもの。ストーリーはざっくりと述べれば、主人公である海霞同志が極悪なヤツを、共産党とその軍の英明な路線のもとにけちょんけちょんにやっつけるというもの。事細かに説明する必要もないであろう。要は「いつもの」ということね。志は良いけど団結できず、思想がなく造反できない弱者+英明で偉大な我らの大救星、中国共産党 VS 必要以上に極悪でどうしようもないくそ地主、資本家というハリウッド映画並のクオリティ。ちなみに、映画で可憐な海霞同志ちゃんが叩きのめすのは「渔霸」という存在で、これはなんと日本語意訳したら良いのだろうか……「漁村の悪ボス」?とにかく日本語では該当する語がないけれど、「舟とか漁具を不当に独占し、漁民をイジメる奴ら」だとのことである。いつも悪者と言えば地主だから、海バージョンが出てくるのは新鮮でいいね。

 

原作著者は黎汝清という同志だが、なんとこの曲の作詞を務めてもいる。さすが文芸で飯食っているだけあって素晴らしい歌詞あるね~……と言いたいが、どうも歌詞が短すぎないかしらん。別にそんなに良い歌詞とも感じないし、どちらかと云うと曲ありきの歌曲という印象を与える。こうしたおっとりした優雅なメロディーには言葉少なな雰囲気がよく合うと思うけれど、もうちょっとがんばろう。でも、同じ部分をおっとりと繰り返す、海辺ののどかさを感じさせる曲調に、シンプルな歌詞が貢献しているところは大きいと見ることも可能であろう。

 

短い歌は翻訳が簡単に見えるけど、かえって難しいこともある。これだけ無口で、かつ意も単純なものだと、どうしても直訳になってしまい、あやうく「漁師の娘が浜辺で武器の練習をします」のような直訳どころか自動翻訳レベルの作品ができあがりそうだった。 尤も、今回の翻訳が良くないと感じられたとしたら、きっとそれは私の実力不足に負うところが大きい。黎汝清同志、責任転嫁して不好意思。

 

ちなみに、翻訳中に気がついたのだが、「娘」という単語は使いづらい。例えば「漁師の娘」としたら、漁師=娘なのか、漁師の(オッサンの子どもの)娘なのか分かりづらい。だから「乙女」にしたのだが、武装して悪ボスを倒さんと「练刀枪」してる鉄の女性は、をとめにしては強すぎるような……

 

歌の経歴でおもしろいのは、1975年作だということだろう。最初、その事実を知らずに聞いた私は、1980年代の歌かと思ったほどだ。1970年代の歌なんか、「毛主席」、「共産党」というゴールドワードが入っていないシロモノの方が少ない。それに曲調も軍歌調、行進曲風が多いものだが 、この曲はそのいずれでもないのだ。せいぜい2番の歌詞で「銃槍手に取り武に励む……?漁師が武器を取るの?物騒ねぇ」と少しの継続革命武斗万歳路線風味を感じるだけだ。しばし逡巡したが、上記の要素から、これは紅歌の範疇には含まれないのではないか、と判断した。


☆動画


映画のワンシーン。さっきまでわいわい和やかに網を引いていたと思ったら、急に叉銃している風景が出てくるという路線の切り替えがスゴい。