我是一个兵|我は兵

2020/11/01

1950年代 軍歌

中国語歌詞

我是一个兵
词:陆原、岳仑 曲:岳仑 1950年
我是一个兵
来自老百姓
打败了日本狗强盗 消灭了蒋匪军
我是一个兵
爱国爱人民
革命战争考验了我 立场更坚定
嘿嘿嘿
枪杆握得紧
眼睛看得清
谁敢发动战争 坚决打它不留情
※「日本狗强盗」は、最近では遠慮してか「日本侵略者」と歌われる。

日本語訳詞

我は兵(つわもの)
作詞:陸原、岳 作曲:岳 1950年
我は兵 人民の子弟
日帝犬野郎打ち破り 蒋の匪賊を消滅せり
我は兵 国愛し 民愛す
革命戦争経て堅固になりたる我が立場
ヘイヘイヘイ!
銃(つつ)を握るはしっかり 眼(まなこ)ははっきり
我らに戦仕掛ける者あらば容赦なく殲滅せん!


☆概要

今回翻訳したのは、小気味よいリズムとスッキリした歌詞がクセになる中国軍歌「我是一个兵」。なんだか口が悪いけど、初期の中国軍歌はだいたい日本か国民党反動派とその首魁に罵声を浴びせるので、安堵すら覚える伝統芸と言って良い。

 

さて、そんな「いつもの」を盛大に挙行している本歌だが、いちおう日本人ということもあって、「日本狗强盗」なんて言われるのは申し訳ないやらムカつくやらでいろいろと感情が巻き起こるが、言葉が面白すぎてどうでも良くなってくる。だって「日本の強盗ども」とか「日本の犬野郎」じゃあなく「日本の強盗犬野郎」などという、蔑称をこれでもかと入れたお得パックなんか笑わないわけ無いじゃん。翻訳する上では、他の内容より「日本の強盗犬野郎」の方に目が行ってしまって全体がブレちゃうかな、と思ったのでシンプルに「日帝犬野郎」にした。

 

口撃を受けているもう一方は国民党反動派。こちらはシンプルに「蒋匪军」と呼ばれているが、我らの紅軍が「共匪」というクソみたいな蔑称で呼ばれていたことを考えると、その意趣返しということか。お互いに「おい共匪!」「はぁ?テメェが匪賊だろ!」と罵倒しあっているが、わりとどちらも緑林の徒な気がする。特にわが中国共産党は、リアル匪賊と毛主席が仲良くなって井崗山に入れてもらったというあまりにも「仁義」な歴史を持ってもいるし、その匪賊のお頭が斗争の末に殺されちゃったので匪賊より恐ろしいかもしれない。

 

そんな匪賊の……もとい人民解放軍の兵士を歌ったのが本曲だけれども、これのタイトルには相当悩まされた。量詞を入れれば「我は一人の兵士」とかになるだろうけど、どこか座りが悪い。基本的に、中文から日本語訳するときには量詞を消すほうが多いけれど、この歌の「一个」が「一人(一介)の兵士である」ということを強調しているのならば消すわけにはいくまい。そんなこんなで呻吟していると「♪われは~つわもの予てより~草生す屍悔ゆるなし~」というフレーズが浮かんできた。「ウンウン、『我は兵』なんてなかなか良いんじゃないか。この歌はなんて歌だったかな……」とまたまた唸っていたらこれが日帝軍歌「討匪行」の一節だったと思い出した。どうも今日は匪賊に縁があるらしい。

 

メロディーは単調ながら明るく、味わい深い。上に挙げた「討匪行」なんか、お葬式ぐらい暗いのにこちらはお祭りぐらい愉快で軽妙だ。同じ軍歌なのにこれほど違うものか。同一のメロディーで繰り返される曲調は覚えやすく、前線の兵士たちにも好まれたことであったろう。また、軽やかなメロディーに載せて「枪杆握得紧 眼睛看得清」と歌い上げるところは中国語の音楽性や美しさが凝縮されているパートだと思う。


この軍歌は、作詞、作曲のご両名が軍隊での生活中に「我が軍には宣伝できて、かつ元気が湧いてくるような軍歌がないんだよねぇ~」という政治指導員の声を聞いて創作したものという。その際に、自身の経験や思いをも織り込んで作り上げたという経緯を持っている。だからこそ「♪我是一个兵 来自老百姓~」という体温を感じるような歌詞が作れたのであろう。考えてみれば本朝の自衛隊なる武装力量も「人民の子弟」なのだけれど、中国では過去の軍隊は貴族共の雇ったような悪漢から成り、そこから全民皆兵精神で人民という海から自らの子弟が寄り集まって人民解放軍が出来たのだ。人民の感じる親しさは、我らが自衛隊に対して感じるそれとは泰山と鴻毛くらい「重み」が異なるであろう。



☆動画