2035年に向けて前進、進!

2020/11/02

志在四方山ばなし 習主席

10月の下旬、我らが党の五中総会が開幕した。白状してしまうと、1976年以来の中国共産党に私の「推し」が存在しないので、あまり興味がないし彼の国の現代政治状況にはかなり疎い。そんな「你们要关心国家大事」という最高指示をガン無視している紅衛兵のくずである私だが、このほど開催された五中総会が重要な意義を持っていることは理解できる。

 

まずなんといっても注意を引いているのが人事であろう。普通に考えると、習近平総書記は次の党大会が開かれる2022年には定年を迎えているから再见!となろうが、これまで任期撤廃や党の核心認定といった普通ではないことをやってきたのだ、2022年になってそうやすやすと引き下がる御仁ではないことは目に見えている。そうした普通でいくのか異例でいくのかの目安となるのが今回の五中総会であったわけだ。正式な人事は党大会で決まるけれど、過去何度も内々定が出されたのが全体会議(総会)だったから、2年後を占う材料としては最重要なものとなる。

 

そしてもう一つ並んで重要なのが経済の問題。中米対立と新型コロナウイルスで落ち込みがちなる経済を、いかに羽ばたかせ続けられるかということだ。金の切れ目が縁の切れ目ではないが、経済が低調になれば偉大な党に反感を抱く人士が増えるだろうし、何より我ら中華民族、アメ公に負けたとあってはメンツが立たぬ。だから人事と経済はほとんど同一のものであると思う。明確なビジョンがない者、今まで成績が低空飛行だったものが指導者にはなれぬし、習近平総書記にとっては所得倍増計画未達成の責をどう躱すか、未来をどう描くかが重要となるはずだ。そのへんはどうだったのかも触れておこうと思う。

 

沈黙の人事

今般の人事で注目されたのは次世代の指導者と目される若手が政治局常務委員入りするかだ。胡春華同志とか李強同志がそれに当たる。尤も、若手と言えども50後半のおじさまだけどね。五中総会前の予想は不透明だったが、新工作条例を制定して念入りに習近平総書記を核心と位置づけたり、何よりご本人が続投にノリノリだったりと、続投優勢の予想であった。それでも経済の低調が続投の足を引っ張っている雰囲気があったのも事実。「2020年には2010年比で所得を倍増させる」という計画を盛大に喧伝したは良いものの、今年に入って新型肺炎が発生し、続く経済の低迷で計画が実質達成不可能になったのだ。そうした予測しづらい状態で迎えた五中総会の結果はと云うと……


人事に関する発表はなし!そのかわり「双循環」という単語や35年に向けた云々という概念が出てきた。これが何を意味するかというと、後継者問題は先送りしたうえ、2035年までの超長期政権を目指していると解釈してよかろう。「人事の話題が出ないってことは内部ではモメてんじゃないの?」という意見は、いかにも道理がありそうだけれど、そうだとしたら2035年なんていう期間が出てこないと思うし、開幕前の地ならしの過剰さを見ても習主席でキマリだろう。党の核心を確固たるものにせんとするアレは、ならしたうえに固めて舗装したくらいの力の入れようだった。

 

習主席の御心を読むことは出来ないが、きっと2049年の建国100周年まで政権にいたいのだろう。でもその頃には90歳を超えるからちょっと無理そう。しかし、せめて2035年まではやっていたいという思いが垣間見える。よく習主席は毛主席を模倣していると言われる。個人的には納得の行かない部分もあるが、実際に多くの面で影響を受け、本人の意思で真似しているのは事実であろう。さて、その政治的なパパ、毛主席が亡くなったのは1976年、83歳。2035年に習主席は82歳になる。一歳だけ足りないが、習主席がこの事実と現実を擦り合わせて導き出したのが2035年という期限なのではないか。でも運命とは分からぬもの。2035年を前にして……なんてことがあるかもしれない。習主席、長生きしてね。

 

ソージュンカンとはなんぞや

中国はなんだか数字系の言葉が大好き。三大規律八项注意、两个凡是、四个伟大、张三李四etc……そして今回も「双循環」という概念を打ち出してきた。この概念、ググればわかりやすい説明がたくさん出てくるが、大学時代は、教育もそこそこに農村で下放という名のアルバイトに打ち込んだわたくし紅衛兵にとって、マクロだのミクロ経済とか言われてもチンプンカンプン。神の見えざる手~なんて言われたら「観念論者め!死ね!」というお粗末なレベル。そんなバカが理解する双循環とは、アメ公にやられた言い訳、もしくはどっちつかず、よく言えば玉虫色な概念である。


そも中国は外需に依存してきた。どんどん作ってどんどん売るというスタイルだ。しかしながら内需も昔と比べれば勢いよく伸びているのだから、このまま順調に行けば成長は間違いなし、といったところだった……あの鬼畜米帝犬野郎がわれらに歯向かうまでは。西側諸国と関係が大幅悪化し、新冷戦なんて言われているもんだから、そりゃ外需が減りはしても増えはしない。だから14億の人民のお財布に頼る内需型の経済に転換していこうというのが一つ。もう一つは近隣の諸国、特に東南アジアにもっとメイドインチャイナを輸出して外需も確保しようということ。この2つの路線でやっていく方針を「双循環」とよんでいるらしい。う~んなんともどっちつかずではないか。むかし日帝軍が「短期決戦!その後は全然考えない!」という1案、「長期持久!短期決戦はしない!」という2案のどちらかを選べず、「まぁ……短期決戦も考えつつ持久戦ということで」という折衷案を採用してズルズル負けた故事を思い出す。その日帝軍しかり、今の中国しかり、アメリカ狼野郎のしっぽは踏まぬほうが結局は良かったのでは。


党主席復活なるか

日本の新聞紙でも言及されたが、党主席を復活しようという動きがあるらしい。あくまでもウワサに過ぎないが、数年前にも検討されていたし、なにより政治パパ、毛主席がこの地位に在ったので習主席にとっては喉から手が出る称号であろう。ちなみに中国には主席称号がいっぱいあるが、どの主席がエライかなどはちょっと前にしたためた拙稿を見ていただきたい。(https://maozhuxifensituan.blogspot.com/2020/10/zhongyangjunweizhuxi.html)

 

今の中国共産党のトップは中共中央委員会総書記である。この総書記という部分を「主席」に復活させようという目論見だ。1982年に時の指導者、鄧小平さんがかつての惨劇を繰り返さないために党内権力を分散させた。その事業の一環が主席から総書記への変更だったのである。恥ずかしながら私は「名前が変わっただけじゃねぇか!!」などと思っていたが、大間違い。個人による指導から集団指導体制へと変革され、トップと言えども権力はあくまで「集団の筆頭」程度に制限された。そういった改革の結果として「総書記」という名称になったのである。そしてそういった事実を知ったのは奇しくも五中総会開幕直前の新工作条例制定(上記の地ならしの一環)のときである。それの中では総書記が政治局常務委員会と並ぶ地位まで引き上げられたそう。「ハァー党総書記とはそんな役職があったか」と気づいたときには規律やルールが変わっていて、実質党主席制と変わりない権力を手にしていたのだから無知とは恐ろしい。しかしもう絶大な権力があるんだから、さっさと「党主席」に改名してもいいんじゃないの?


習近平「党主席」の舵取り

指導部入りが目されていた同志たちが就職氷河期を味わい、習主席堂々の内定を獲得したことは既に述べたとおり。だが、習主席が安閑としていられるかと云うとそうでもないだろう。やっぱり計画立てて進められる国で目標未達成はたいへんよろしくない。所得倍増計画のことである。中米の対立はひとまず置くとして、新型コロナウイルスであるよ。自国で発生したウイルスで目標が達成できなかったのだからメンツ丸つぶれ。九死に一生で経済が早期に回復してくれたから良かったけれど、この件は必ず総括せねばならない苦い経験だろう。そして経済もいつまでも好調とは限らない。そうした不安を抱えながらの三期目となることだろうが、さっき置いておいた中米対立というのは、ひょっとすると上手く働くかもしれない。というのは、敵が国外にあれば中華の国は強い。いや、実際に攻めてこられると弱いが、口撃のうちは無敵なのである。そして外圧がなくなれば内から不満が吹き出てくる。それが証拠に1989年という平和に甘んじた時代には首都で暴動が発生しているではないか。したがって、アメリカという好敵手がイジメてくる内はまだまだ中国は堅固でいるだろう。だから本邦の右翼人士も、ぜひもっとチャイナバッシングを行って我らの団結に寄与してほしいものだ。