团结就是力量|団結はちから

2020/11/16

1940年代 紅歌

中国語歌詞

团结就是力量
词:牧虹 曲:卢肃 1943年
团结就是力量 团结就是力量
这力量是铁 这力量是钢
比铁还硬 比钢还强
向着法西斯蒂开火
让一切不民主的制度死亡
向着太阳 向着自由 向着新中国 发出万丈光芒
※「向着~」は「朝着」と歌われることもある。同じく「让一切~」は「这一切」とも。

日本語歌詞

団結はちから
作詞:牧虹 作曲:盧粛 1943年
団結はちから 団結はちから
鉄のように 鋼のように
なにものよりも固く
ファシストに砲火を浴びせ
民主に非ざる一切を滅ぼさん
太陽に 自由に 新中国に 光芒を放ちながら

☆概要

今回の翻訳はあの名作歌曲「团结就是力量」。いつもは「日本語訳」なのだが、今回は「日本語歌詞」、日本語で歌えるよ。

 

さて、このこの曲だが、明るい旋律に手抜き素朴な味わいのある歌詞という要素を持っているため、てっきり文革前後の歌曲かと思っていたが、新中国成立以前と知って驚いた。どうやら作詞作曲の同志たちが、毛主席の文芸講話を受けて農村へと赴き、当地の農民と生活をともにした結果作られた作品であるらしい。もともとは同名の劇だったというが、劇終盤のパンチに欠けんな~ということで曲が作られた。それが本曲。そんな取ってつけたような曲だったなんて……

 

曲調は模範的労働歌調といえる。技巧的に凝りすぎたメロディではなく、誰にでも覚えやすく、歌いやすい。そういった要素を、繰り返し部分が更に際立たせているといえる。日本の労働歌とも似ている部分があると感じるが、明暗はハッキリ異なる。この歌を代表とする中国の労働歌は輝く方へ行進していく労働者が見えるが、日本のは殺気立った労働者とか資本家に蹴ったくられる工員がまぶたに浮かぶ。

 

しかしながら、これを労働歌と分類していいかと問われたら、非常に微妙なところ。上記のように、作者が農村へ入っていって出来た歌曲だから、農民を啓蒙せんと作られた作品であることは明白。労働歌は主に労働者をテーマにしているハズではなかったか。いや、マルクス主義の観点から言えば脇役であるけれども、マルクス主義と中国の実情を結合させた偉大な毛沢東思想では農民こそ主役であり、従って労働歌は農民階級に奉仕するもので~云々と喧々諤々の論争が勃発するので「これは労働歌あるよ/ないあるよ」と簡単に分類することは避けざるを得ない。だからお茶を濁して「紅歌」とタグを付けておいた。


歌詞は「死亡」という物騒なワードがチラ見えするが、これは平常運転なのでスルー。それよりも気になるのが「这力量是铁 这力量是钢 比铁还硬 比钢还强」というところ。先に「団結=鉄・鋼」と提示しておきながら、なんでものの数秒で「団結>鉄・鋼」になっているの?なんだか朝令暮改の好例を見たような気分である。こういう歌は大人数で反動官憲ども相手に斗争を行っているときに歌うのがピッタリ。ひとり静かに聴くとツッコミどころがポコポコと顔を出してしまう。

 

歌詞中には「法西斯蒂」と出てくるが、これはファシストのこと。われわれが「ファシスト」と聞いて思い浮かぶのはドゥーチェとか、チョビ髭のアイツとかで、よもや祖先がファシストとは思わないだろう。でも中国は第二次世界大戦を「反法西斯战争」と呼び、抗日戦争中に作られたこの歌でも「法西斯蒂」という単語が出てきているため、過去の日本のことをファシズム国家だと思っているのかもしれない。たしかにファシズム国家と同盟を組んではいたが、日本がファシストを自称したことはないし、当の日本人もそう思ったことはないだろう。しかし、「日本はファシズム国家ではない!八紘一宇で支那をヨーチョーウンタラカンタラ」というつもりはない。私が言いたいのは、こういう些細なところ、普通の歌曲のなかにも埋めがたい歴史認識の差が存在するということだ。それに、被害者の中国がダック・テストのように「ファシストのお友達で、ファシストっぽいことやってるんだからファシストだろう」と判断するなら、やはりファシストなのかもしれない。

 

上記のように、この歌詞は日本語で歌えるように翻訳したが、最初はそのつもりなどなかった。ただ、訳していくうちに「えーと团结就是力量……だーんけーつはちーかーら~♪アレッ?」となったのでちょっと工夫してみた次第で、原文の雰囲気はそれほど崩れていないはず。


タイトルに関しては「団結は力」とするより「団結はちから」とするほうが、より「労仂者団結せよ」風味が出ると思ったので、そうした。似たようなことで、「我ら」と書くより「われら」、「闘争」と書くより「斗争」と書いたほうが赤くなる気がする。

 

☆動画