紅歌のライバル、「黄歌」とは

2020/11/20

紅歌 志在四方山ばなし 中国語

世界14億人の紅歌ファンの皆様におかれてはますます大躍進のこととお喜び申しあげる。今日も紅歌をお聴きになっているだろうか。

 

さて、そんな我々の愛する紅歌だが、光があれば影があるように、左があれば右があるように対となる概念があることをご存知だろうか。紅歌と同じく色で表されるその概念は、文革終結後7年を経て登場したものであるため熱狂的な毛主席ファンにとっては馴染みが薄いかもしれない。文革期なら単に「毒草」という独創的なワードセンス以て呼ばれたそれは、1980年には「黄色歌曲」、略して「黄歌」と呼ばれるようになった。長ったらしい説明を省くと、まあ紅歌はその黄歌に負けちゃったんだけどね。今日はなぜ紅が黄に勝てなかったか、そも黄歌とはなんぞや、黄色の示すところはなにか、などを解説していこうと思う。

 

基礎の基礎――紅歌とは

ここを見てくださっているような方々に改めて説明する必要は無いが、红歌とは红色歌曲の略称である。日本語で赤といえば、あの赤色はもちろんのこと、共産主義のフレグランスを感じるものに対しても用いられることがあるが、それは中国語でも一緒。だから「红歌」は「赤い歌」でなく、「共産主義の歌」と理解せらるべきものだ。

 

ちなみに日本では共産主義者が「アカ」と、まぁそのまんまな名称で呼ばれる。他に「アカ」と呼ばれるのは乳幼児くらいのものである。ただし、乳幼児には「赤ちゃん」と親しみを込めて呼ぶのに、我々に対しては呼び捨てとは無礼なもんだ。差別だよね。

 

閑話休題。その共産主義の歌は文革期頃までは「紅歌に非ねば歌に非ず」のような権勢を誇っていた。私の考えによると、文革期までの中国には共産主義的かほりを持つ歌しかなかったので、歌=紅歌であり、それに対置さるべき概念など無かった。あったとしても「毒草」呼ばわり。歌にすらカテゴライズしてもらえない哀れな身の上だったであろう。だから、この改革開放以前には、「紅歌」という呼び方、概念そのものが存在しなかったかもしれない。それは後述する黄歌や、現代のいろいろな歌曲が登場したことによるレトロニムである可能性があるといえるだろう。

 

紅歌が永遠のライバル、黄歌とは何ものぞ

そういう経緯を経て改革開放政策後にいよいよ黄歌が出てくるわけだが、「登場」というのはいささか正確性に欠ける表現である。もともと存在していたものが大陸に流入して、区別のためにそう呼ばれるようになったからだ。そもそも、その問題の黄歌とはなにか?一言で云えば我々が、いや多くの世界が聴いているポップとか呼ばれるアレ。それの何が悪いんだ、という感じだけど、それまでの中国では紅歌の「革命~共産党~毛主席すきすきよ~」みたいなのしかなかったのだ。それに対して恋人に会いた過ぎて震えてる(病気では?)ような歌は「ピンクソング、エロソング」としか思われなかったというわけ。

 

黄歌の代表を挙げろと言われたら真っ先に出てくるのは邓丽君(テレサ・テン)。彼女の曲は別に震えては居ないけれど、「来来来……喝完了这杯,再说吧」などは「男に酒を勧めてる!こんな曲は扇情的だ!コイツは国民党反動派の特務云々!!」ということでアウトだったらしい。他にも甜蜜蜜などは名前の通り甘美で素敵な曲だけど、こんなのは当時の基準で云ったら靡靡之音(ワイセツ音楽:当時の用語)ド真ん中でしょう。このようにとにかく恋愛関連は全部ダメ!という現代では考えられない基準だった。ただし、党中央がこのような曲を「革命的でない」という理由だけで禁止したとは考えにくい。それよりも「外国の影響を排除する」という方に力点が置かれていたことと推測する。今の中国共産党も唱える和平演変(ハードパワーによらず、ソフトパワーで内政干渉を行う)の工作を仕掛けられているという考えはこのときからあったのだろう。毛主席がおっしゃった「糖衣砲弾」ではないが、あま~い歌声に騙されてはまり込むと退廃的な資本主義国の生活に憧れるようになり、共産党体制を脅かすことにつながる……というふうに。

 

そんな紅歌の好敵手と云える黄歌だが、日本人からすると「なんで黄色?」と感じられる。これは「黄」という漢字が、中国語では「猥褻な」という意味を持つため。似たようなとこで云えば英語の「blue film」などが該当する。日本語で言えば「ピンク」だろう。ピンクソングとかピンク映画とか。ピンク映画は厳密に言うとポルノ映画と全くのイコールではないようだが。こういう風に聞けばなんとなく黄歌がなにかをわかっていただけると思うが、それにしても「黄色」はどうしてもえっちなものとは結びつかない気がする。これには一応理由があるそうなので、あとでじっくりヤります。

 

黄歌の流入~保守派ブチギレ~

 

真っ赤な大陸に黄色い歌が流れ込んできたのは、あの改革開放政策がきっかけ。鄧小平さんは対外開放をすすめるに当たって「窓を開けば新鮮な空気が、そしてハエも入ってくるだろう」と豪語した。彼にとってワイセツソングが入ることはある程度織り込み済みであったに違いない。だが、入ってきたハエの羽音はあまりにも甘美で人民を虜にしてしまった。これが1970年代後半から1980年代前半にかけての出来事。沿岸部から邓丽君の蕩けるような歌声の入ったテープが広がり、当時の中国人民はこぞって聴きたがった。入ってくる絶対数が少ないことは容易に想像できるため、ダビングにダビングを繰り返したゴミみたいな音質のテープばっかりだったと思われるが、そうだったとしても邓丽君の魅力は伝わったようだ。


こうして書くとただのヒットソングにしか聞こえないけれど、その実、命がけで聴いていたらしい。ここで、私の知り合いの元紅衛兵の方が語った逸話を紹介しよう。

 

その人は1980年代、中国の大学で新人日本語教師として働いていた。当時は文革終結間もない頃、学生の多くは30歳とか40歳だったという。それくらいの年ならば一角の人物もいようもの。実際、貿易関係会社の重役だかをやっている学生が居て、ある日邓丽君のカセットテープをくれたらしい。しかし、帰って聞き惚れたあくる朝、大学の党委員会に呼び出されて「おい同志!精神汚染音楽を聴いているそうじゃないか!?」とひとくさり批判されたそうな。……なんでバレたんだろう。


このように当時の中国人民は政治的生命を賭けてまで海外の音楽を聴き、豊かな生活を渇望していたのである。当時の中国は「昼は老邓(邓小平)が仕切り、夜は小邓(邓丽君)が仕切る」と言われたようなほどのテレサ・テンブーム。それでも上記のように老邓にとっては特段気にするようなことでもなかっただろう。しかし党内の保守派がブチギレるには充分な事件だった。

 

時は1983年、「外国の堕落した文化が流入している!中国人の高邁な精神性を保て!」と青筋浮かべた保守派は一部で「精神汚染一掃キャンペーン」を発動。元紅衛兵が語った故事に登場する「精神汚染音楽」という中二病チックな単語もここに由来するし、拙稿でさんざっぱら語っている「黄歌」という概念もこのキャンペーン中に出来たものだと思われる。 黄歌の見分け方みたいな本まで出版されているし。だが、党中央の反対に遭い、当のキャンペーンは1年足らずで終りを迎えた。その後もテレサ・テンを始めとした黄歌は公には禁じられていたが、人民にとっては初めてのマトモな音楽だったようで、相変わらず夜はテレサ・テンの独擅場だったそう。そして公式に許された、という雰囲気が出てくるのが1986年くらい。偉大な中華人民共和国の十八番だったハズの紅歌が、たった十年で黄歌に負けてしまったのだ。悪貨は良貨を駆逐するとはまさにこのことか。精神汚染一掃キャンペーンが、曖昧模糊とし、非常に観念的であったことに疑いはないが、「中国人の高邁な精神」なるものがもしもあったとするならば改革開放政策と、外国風俗の流入である程度、堕落してしまったこともまた事実だと思う。もちろん、黄歌がその責を全て負っているわけはないが。それにいち紅歌ファンとして、その命脈を断った改革開放政策は許しがたい。鄧小平ブー! 毛主席万歳!

 

なお似たようなワードに「社会主義精神文明」というのが存在する。「精神汚染一掃キャンペーン」と似ているが、これは視座が異なる。文明の方は経済や政治の思想を、あくまで社会主義と律する巨視的なもので、早くも1979年には葉剣英元帥によって土台が作られ、天安門での暴動の後も愛国・思想教育を推し進めるため理論が深化させられるなど、わりと息が長い概念であった。そしてキャンペーンの方は、外国の芸術や国内で勃興しつつあった新形態の文学--傷痕文学と言われる文革期の総括が特徴的な文芸--などの文化芸術分野を狙い撃ったものと解釈できる。ただし、観点は異なるとはいえキャンペーンが文明のほうから影響を受けたことは多少なりともあるだろうということは付記しておかなければならないだろう。

 

拙稿をしたためるにあたり、キャンペーンのことを調べていたが、発動に当たって「鄧小平が自ら音頭を取った」説があるそうだ。個人的に鄧小平さんは、晩年に経済はともかく政治思想や自由に対してはだいぶ保守化したの趣があるといえども 、中共のなかでは比較的理解があったほうだと思っていたし、キャンペーンは保守派が起こしたと信じ切っていたので吃驚した。となると既述の「保守派が主導」云々はマチガイということになろうが、実際に彼らが騒ぎまくったのは事実なのでまぁいいか……中国の天地は複雑怪奇。


おまけ--「黄色」はなんでワイセツか?


中国語の辞書などを繰ってみても「黄色--ワイセツという意味を持つ」くらいにしか書かれていない。そこで百度知道などで調べてみたところ……それでもやっぱり分からなかった。ただし、いくつか説があるようなので、中から一番尤もらしいものをピックアップして紹介しよう。

 

「Yellow journalism」という英単語がある。これは捏造、誇張、下ネタなどてんこもりのお下品なジャーナリズムのことを指す。いつも皇室内の暗闘や芸能人の下半身事情を鬼の首とったように報じる本邦の週刊誌を見れば想像がつくだろう。日本語で言えば「赤新聞」らしい。また色かよ。そして、この単語がなぜ「Yellow」を用いているかと云うと、米国の19世紀終わり頃から20世紀初頭にかけて人気があったコミック「The Yellow Kid」が連載されていたニュースペーパーが「Yellow press」と呼ばれるようになり、さらにその紙面のヒドさから転じて、低俗なジャーナリズムを指す「Yellow Journalism」が生まれたというフクザツかつ長ったらしい経緯を持つ。

さて、1980年代の中国では下世話な音楽が流入してきたが、これをなんと呼ぶべきか思いあぐねていた。そうした時にこの「Yellow journalism」という単語に出会い、「黄色歌曲」と呼ぶようになり、さらに転じて、「黄色」自身がえっちな意味を持つようになったという。


これが一番しっくり来る説だ。でも黄色=エロは本当に1980年代前後に付与された意味なのか。本当は何百年も前からそういうニュアンスがあったのではないか。こうした検証もしっかり行う必要があるが、私は毛主席の歩哨に過ぎません。こういう問題は言語学者がやってください。

 

しかし、赤が革命や戦士の血の色を表し、黄色がエロを表すとしたら五星紅旗なんてもう訳がわからない。赤が革命、5つの黄色い星が共産党、労、農、愛国資本家、知識人とエロを表す。そして共産党の星が一番でかいから一番エロい……あれ、これは強ち間違ってないかも。