前に『习近平谈治国理政』第三卷が発売されたという記事を書いた。たしかその時はクラウド図書館の調子が悪くて本の内容とかを窺い知ることが出来なかったハズ。いや、いまもクラウド図書館なるものがマトモに機能していない感じがあるのだが、とにかく、日本語版を待って買います~的なシメで終わっていたと思う。だが、発売後一定期間が経つと、人民の海からいろいろな情報や画像が上がってきていた。情報収集のためにそれらをチェックしていたのだが、巻頭のグラビアというか肖像画の紹介を見た時に凄まじいデジャヴを体験したのだ。これは実物を手に入れて確かめなければ。いやしかし日本語版はまだアナウンスすらない……
というわけで買いました。内山書店で特価1,600¥也。やすっ。よっぽど誰も買わなかったんだろうね。ただし、貧乏人なので平装版を購入した。1~3巻とも購入したのが平装なので、第4巻が出る頃には黒猫になって富起来して精装を買いたいものだ。内容についてはほとんど手を付けてはいない。そっちの精査は日本語版が出てからでも良いと思っているので、今回の拙稿では先述したデジャブを引き起こし、かつ毛ファンアピールと取れる問題の巻頭グラビアを主に検証していきたい。
习主席挥手VS毛主席挥手
早速ではあるが、件の写真をご覧いただこう。
紅衛兵の同志や熟練チャイナウォッチャー、媚中派の諸賢におかれてはすでに吃惊なされていると思う。チャイナビギナーや非毛主席ファンのために説明しようと思うが、文を尽くして説明するより、また画像を見てもらったほうが早いであろう。
自宅に貼ってあったポスターより |
完全に山寨
両者とも天安門上で撮っているのだから、そりゃ多少は似ようもの。しかしこれは完全に意識しているとしか思えない。挙げてる手の左右、体の向き、体型、シャツの長さ、右襟の写ってなさなどなどソックリだ。違うところを挙げろと言われたら服装、左手の帽子、背景、そして生え際ぐらいしか見当たらない。私事ではあるが、この一件で習主席への好感度は更に高まった。かつての紅衛兵か、コア・チャイナマニアにしかわからないような写真を内輪ネタのように使ってアピールしてくるなんてステキではないか!
しかし、毛主席ファンであることをアピールする狙いがイメージを重ねるとか、それによる権力獲得にありそうなことは分かるけれども、その肝心のアピールがこんな分かりづらいものでいいのだろうか。中国の高齢者なら分かるかもしれないけれど、大部分の人には伝わらないのではないか。いや、そもそもこれは毛主席ファンアピールなのか?私が勝手に深読みしているだけではないのか?結局なんなのか教えてくれませんか王滬寧同志、もしくは中央宣伝部の同志。
撮られた時間、場面
さて、いくら考えても分からぬファン論争はさておき、この写真についてもう少し検証を加えようではないか。
まず、北京が今や押しも押されもせぬ大都会となったことは明白だろう。毛主席時代は田舎の展望台で撮ったような景色だが、習主席の背後には大観衆と巨大建造物、そしてPM2.5がモヤモヤしている。これだけで中国の歩みを振り返ることができ、発展もしたけれどもうあの時代には戻らないのか……などと悲喜こもごもである。
あと付け加えておくが、毛主席の方は背景に誰も居ないから過疎っているように見え、習主席は大盛況の様に見えるが、ライブ動員数は毛主席が圧倒している。というのも、習主席のは建国70周年閲兵(2019年10月1日)における一枚だと思われ、チケットが取れないとか制限が厳しいなどの理由により観客はそれほど多くないはず。一方の毛主席は紅衛兵の大軍と接見中のショットだからファンは100万人くらい広場に居たのである。しかも毛主席は短期間のうちに立て続けにライブを開いて最大で250万人動員しているのだから偶像(=アイドル)としてどちらが上かは自明の理であろう。
毛主席の写真は上記の通り、接見中に撮られたものだが、それが何回目の接見かがよく分からない。ポスターの下部には「第五次检阅文化革命大军」と書かれているが、5回目の接見ではないと思う。なぜなら、5回目には既にファン数が多すぎてオープンカーによるパレード形式に変更されているからだ。天安門楼上に在ったのはわずかな時間にすぎない。この写真を調べると第一次というワードが出てくるし、一次では天安門上でしきりに手を振っていた事実から考えるとやはり一次目だろう。となると開催日時は1966年8月18日で、この日は宋要武(宋彬彬)さんが毛主席に写真にもある紅衛兵の腕章を着けて差し上げた一幕があった。この写真一枚におもしろく、かつ興味深いストーリーがてんこ盛りなのである。
ロケ地考察
では皆様お待ちかねのロケ地探訪に移ろう。いや、同じ天安門といえども撮影された位置が異なるので「ロケ地なんて分かりきってるだろ」と言わずお付き合い願いたい。
今後出てくる目印は赤色が毛主席を表し、黄色が習主席を表す。なお、以下のスクリーンショットは百度地図を参照して撮ったものである。
まず習主席はわかりやすい。後ろに映るのは天安門前の通りと金水河だし、腹部から股間にかけて写っているのが観礼台だから容易に推測できる。毛主席肖像画の真上あたりか、ちょっと東寄りのところだろう。
一方の毛主席はちょっと難しいが、後ろにある門のような建物と欄干が直角になっているという点を踏まえれば予想できる。後ろの赤い帯とちっちゃな屋根が3つあるアレは保卫和平坊という建物。もともとは克林德碑という。これはざっくりいうとドイツ人のケッテラー(克林德)さんが1900年に北京で殺され、怒ったドイツが「ちゃんと記念碑建てて」と要求して建立されたもの。その後、外国の要求に屈した国辱だなんだということになり保卫和平坊というオモシロクない名前に変更されたらしい。とにかく、それが後ろに写っていて欄干が直角の地点は一つしか無い。天安門西側の角である。
ただし、この説で謎となるのが「カメラマン空中にいる問題」である。角っちょに立った毛主席の胸元に保卫和平坊が入るようにするには同じ天安門楼上からでは厳しいのではないか。この部分は散々調べたけれども、1966年当時の天安門の構造がよくわからないので判然としなかった。もしかしたら少し手を南側に伸ばして撮れば楼上に居ても大丈夫そうだが、こんなにキレイに撮れるとは思えない。おそらく、欄干に限界まで寄りかかって撮ったものであろうと思われる。
百度地図のストビュー的なもので見た天安門だと、ご両人はこの位置に居たと思われる。毛主席の思想的息子である習主席には、ぜひ毛主席と同じ位置で撮った写真を著作のグラビアとして採用してほしかった……と思っていたが、誰も気が付かないような政治的観測気球をひょろひょろっと上げるのが得意の中国、上記の「習主席の写真は毛主席肖像画の真上あたりで撮られた」という事実を鑑みれば、習主席の写真には「毛主席の更に上をゆく」というビミョーな含意があるような気がしないでもない。尤も、これは穿ちすぎた見方であろう。そうでなければ、天安門楼上に登った指導者は全て「毛主席を超えんとする意図あり」とみなせてしまう。それでも、ここまで似た構図を採用しているのだから、撮影位置も当然考えられたはずであろう。わざわざこの位置で撮ったのか、それはなにかの意図があるのか、それともなんにも考えてなくて「アッ、おんなじような写真になっちゃった!」なのか。
何れにせよ、本を手にとってページを捲り、「どっかで見たことあんなぁ……もしかして毛主席?だとしたらこれはワザとやっているのかもしれない!調査してブログに上げよ!」というとても楽しい時間を過ごせたので『习近平谈治国理政』第三卷、買ってよかったです。この写真の他にも、山東艦の艦上で行われた式典の写真とか、林鄭月娥さんとの会談の写真などの貴重な資料があるので、マニアなら買う価値はあると言えよう。個人的には林鄭さんとの写真で、習主席の顔はもちろんバッチリ写っているが、林鄭さんの顔が殆ど写っていないのが気になる。ちょうど2020年は香港のテロが終盤に差し掛かった時期でもあるし。もしかして「没面子(=メンツが立たない、醜態を晒した)」というのを写真で表現したのかも……?などなど考えさせられるが、今日は習×毛の写真考察だけにしておこう。
既にご存じでしたら恐縮ですが、1976年11・12月号の人民中国によると、やはり毛主席の写真は8月18日のもので間違いないようです。
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