畏れ多くも中華人民共和国の中共中央委員会主席、国家主席、中央軍委主席にして、かつ偉大な舵手、偉大な領袖、偉大な導師、偉大な統帥、毛沢東同志にあらせられるぞ!こんなオカシなサイトを作りおって!頭が高い!
ははぁー! (ジェット式)
さて、そんな先の先の先の先の先の将軍、毛沢東同志だが、なんで傅くの?どうして偉いのよ?
「偉いから偉い!」というトートロジー回答も勉強不要論の趣があってよいが、敢えて真剣に考察するとしよう。同志の権力はどこから出づるのか。われらが扶桑では選挙を経て選ばれた行政府の長であり、軍の指揮官であるということから内閣総理大臣に権力がもたらされるが、制度が全く異なる中華の国ではどうか。あなたの権力は、どこから?
エラい人というのは、金魚である。必ずフンがくっついている。毛沢東同志の場合も例外ではなく、映像などを見ると小間使いたちがせっせとついて行ってるのが分かるだろうし、全国規模の紅衛兵というフンクラブ組織までもがあったのだ。ただし、子分が傍らにくっついているのは既にエライからで、その逆ではないことに留意しなければならない。つまり、子分がいるからエライのではなく、エライからこそ木っ端役人がよってくるのである。従って「人がいっぱい周りにいるからエライ!」という答えはナシであるね。
「毛沢東同志が偉大なことは自明である」ということもできる。同志の文才や軍事的才能は素晴らしく、まさに文武両道の豪傑である。そんな大人物だからこそ、光芒を放ち、ひと目見れば心がじんわりと暖かくなっていくのを感じる。そこいらの雑兵にこの威光を放つことは出来まい!だからエライのだ!……と言いたいが、そういった「神通力」は私のような毛主席フンクラブの紅衛兵にしか通じないようで、一般的な日本人とすれば、彼を見ても光は感じないし、心が暖かくなることはないだろう。だからこれもないあるね。
ならば彼の役職はどうだろうか。同志は「毛主席」と呼ばれることが多い。主席なんだからエライんだろう。少なくとも「毛主任」や「毛係長」、あるいはヒラの「営業係 毛沢東」よりエライに決まっている。毛沢東同志が主席を務める団体が、暴力装置的なはたらきを一定程度有していれば、それが担保になって「権力を有している」とみなすことができるし、それの長である主席を務める毛沢東同志っていうのはエライんだ!となる。これが権力の出どころを確かめるうえで一番論理的な解法となるだろう。しかし困ったことに、上記の通り毛沢東同志は「主席」の役職を3つも兼任してらっしゃるので、どれが権力の源泉よ?となってしまう。長大な前置きになってしまったが、今回のテーマはこれである。「どの主席称号がエライ?」ということだ。どうかお付き合いしてちょうだいな。
中華人民共和国主席
日本的感覚で云うと、「国家の主席なのだから一番偉そう」と思ってしまうが、現代の中国で一番名誉職的なポストがこれ。どうしてかというと、中国では中国共産党の方が上位にあるからだ。「日本国の自民党、親方日の丸」とは違い、「共産党の指導する中国、親方鎌と槌(≠五星紅旗)」という顛倒した価値観になっている。従って、国家主席職に就いているものが最高指導者であるとも限らない。たとえば李先念や楊尚昆というコアチャイニーズマニアしか知らないような人々をご存知だろうか。おおかた、誰?という反応だろうが、なんとこの知らないおじさん2名はかつて、国家主席だった。その時の最高指導者と呼ぶにふさわしい政治家は鄧小平だが、彼は逆に、国家主席になったことはないのである。中国の政情はなんとも複雑怪奇……尤も、江沢民同志以降は最高指導者が国家主席をも務めるようになっているが。
ちなみに、この職位はかつて廃止されていた。それは我らが大将、毛沢東同志が廃止を提案したからであるが、それに「え~いや~毛主席素晴らしい!でもぉ……国家主席は廃止しないほうが良い気も、え、小生は致しますがねぇ」と言ったかどうかは知らぬが、とにかく反対したのが林彪さん。それに毛主席が「コイツ権力欲あんな」と気付き、そこから陰に陽に斗争が始まった。結局は林彪さんが国家主席の頂に登る事はできず、かわりに飛行機ごと地に塗れることになった。そして、そのまま毛主席の発案通り、当該のポストは廃止され、復活されるのは1982年を待たねばならなかった。だから1976年から1981年くらいまでしかエラくなかった華国鋒同志は国家主席になることはできなかったのである。
復活してからは名誉職的傾向が強いけれども、1982年以前はそこそこ権力があり、形の上では国政の最高位ポストであった。だからこそ毛沢東同志から国家主席職を禅譲された劉少奇がその手腕を振るって経済優先のそよ風を吹かせることが出来たと言える。それでも1982年以降はそれらの権威は憲法から削除され、ほんとうの名誉ポストとなってしまった。国家間の外交に党の責任者がのこのこ出ていくのはプロトコル上おかしいから、一応国家の顔として置いておきますね~といったようなもの。
中国共産党中央委員会主席(総書記)
中国では国よりも上位にある党の指導者がこのポストである。現代の中国では「主席」ではなく「総書記」と呼称される。党と政をしっかり分けるために総書記という名称に変更されたらしいが、いまも党=軍=政なのでその効果は不明。ただ名前が変わっただけでは?
このポストは、毛沢東同志が亡くなるまで就き続けた職位その1。もう一つは軍委主席。ただし、重慶交渉に赴くときと、大躍進直後に劉少奇へ譲ったという旨の記述が『中国がひた隠す毛沢東の真実』に見られるので、「なんどか中断しつつも職位にあり続けた」と記載したほうが良いかもしれないが、他の資料ではそういった事実は確認できなかった。とにかく、このポストは名目上、最高位である。だって軍と政を指導する立場の党のトップなのだから、これより上は天くらいしかないのではないかというほどの地位で、まさに天子。
ただし、そんな最高位ポストでも「名目上は」という枕詞がついてしまうのが、党組織が東京の路線図のように入り組み、本音と建前を日本人より巧妙に使う中国の悲しいところ。もしもこれが実質的にエライとしたら、なぜ国家主席でも党総書記でもない鄧小平が、党総書記の趙紫陽を罷免したり、党内で影響力を公然と行使したりするような真似が出来たのであろうか。その答えは最後にご紹介するあのポストが鍵を握っているので、乞うご期待。中共中央委員会主席(総書記)というのは、本当は重要な役職ではあるのだが、お飾り名誉職に振り切った国家主席職、強大な人民解放軍を指揮することのできる軍委主席という両極端な役職に挟まれて影が薄くなりがちなポストだと思う。
また、上に解説した国家主席職は、外交プロトコルに従った国家の代表という趣が強いため、外交の場面でよく出てくるが、この中共中央委員会主席(総書記)という役職も、社会主義諸国との外交の際には「党の代表として訪問した」という扱いにしても良いという場合があるようで、たとえば習近平同志が訪朝した際は一貫して「習近平総書記」と呼ばれている。中国の党組織、呼称も複雑だが、朝鮮のそれも主席だったり、総書記だったり、第一書記だったり、委員長だったりするので、お互いによくわかってなさそう。
※2020年11月5日追記
このほど五中総会が閉幕したが、気になるニュースが2つほどあった。
一つは総書記の権力強化、具体的に云うと政治局常務委員会と同等まで格上げされたらしい。今までは同委員会の筆頭的立場にあった総書記職だが、今回の新工作条例では総書記の個人が委員会という集団が同格とされた。
もう一つは党主席制復活のウワサである。現代の毛主席にならんとする習主席である。こちらの動きはさもありなんという感じだが、意義は重大だ。なにしろ党主席は個人指導につながってきたポジションである。それに改正しようとしている(らしい)というのは、鄧小平が築きし集団指導体制に公然と反対することであるし、最大のタブーである個人崇拝を再びやらかす恐れがあるということだ。
さて、この知らせを受けた時にようやく「総書記」に込められた意義や鄧小平の思いを知った。納得して「お~そうなのかぁ」などとひとりごちているときには既に権力が強化され、独裁が始まろうとしてたのだから浅学非才とはイヤなものである。そして諸賢にもお詫びしたい。総書記職について「名前が変わっただけでは?」などと分析していたが、それが甚だしき間違いであることを。総書記という職は、個人指導に対する反対と集団指導体制を堅持せんという意義が込められたポジションである……いや、であった。
中国共産党中央軍事委員会主席
中国政治における実質上の権力の源泉であり、ナントカ主席と呼称される人々の力を保証しているポストで、いちばんつよくてえらいひと。中国において軍は国家には所属せず、党の軍隊である。このへんは日本右翼が「それは貴様らが反対するナチスの親衛隊と同じではないか!」とよく突っついてくるポイントで、紅衛兵にとっては「いや、当時のドイツは国防軍っていう国の軍隊があったろ!」という的はずれな意見しか返すことが出来ない鬼門。閑話休題、その党の軍隊を一手に指揮する事のできる職位が中共中央軍委主席なのである。しかし、組織図を見ると、この委員会は中共中央委員会の下位に置かれているし、当たり前ではあるが政治を取り仕切ることは出来ないのだが、なぜこのポストがもっとも権力があるのか。それは文を尽くして説明するより、毛主席語録をお開きになって確認してもらったほうが早い。
伟大领袖毛主席教导我们说
"枪杆子里面出政权"
(政治権力は銃口から生まれる)
毛主席还教导我们说
"没有一个人民的军队,便没有人民的一切"
(人民の軍隊がなければ、人民の一切は存在しない)
少なくとも中国ではこれが真理であるようだ。権力という見えない力は、銃と兵隊という見える力、恐怖によって生まれてくるものである。そして、「人民の一切」という文の「一切」には人民の党である中国共産党、人民の国である中華人民共和国までも含まれているという気がしてならない。
いや~やっぱ毛主席、簡素ながらも核心をついたよい言葉を生み出しますね!「我们的原则是党指挥枪,而决不容许枪指挥党(我らの原則は党が銃を指揮することである。決して銃に党を指揮させてはならない)」という現実とは真逆のことを云っていたような気もするけどね!
そも、中国共産党は銃から始まった。確かに陳独秀の党は「党指挥枪」 だったけれども、毛主席と革命の元老たちが作った党は「枪指挥党」であったことは長征という軍事作戦中に権力を掌握したと云う事実、延安期には軍事的共産主義の作風のもと、銃と党は同一のものであったことが証明している。そして銃によって指揮された党の指導者であった毛沢東同志は、死ぬまでこの軍委主席というポストを手放しはしなかったし、軍の司令官である林彪との戦いでは、軍より上位の立場という立場から、終始相手を圧倒した。真理をよくわかっていた鄧小平も、ヒラ党員に身をやつしつつも、軍委主席から退こうとはしなかった。「院政」を敷こうと考えた江沢民が最後までこだわり続けたポジションは、国家主席や中共中央委員会総書記ではなく軍委主席であった。そして節目になると大規模な閲兵式が繰り広げられる。あれは精強な軍を誇示する目的ももちろんあるが、「銃口を掌握する指導者」をアピールする機会でもあるのだ。過去の事例を見てみても、たとえば文革期に紅衛兵が暴れすぎたとしたら鎮圧するのは解放軍であったし、1989年に首都で暴動が起きたときに出動したのも解放軍だ。そうした調整や鎮圧といった強力な手段を持つ暴力装置のトップが軍委主席だから、絶大な権力の源泉となっているのも頷ける話ではないだろうか。
鄧小平時代は3つのポストがバラバラに担当されていたが、毛沢東同志の時代と、江沢民同志以降の時代では基本的に最高指導者が三役を兼任する。だから誰がエライのかなーと悩まなくて良くなっているが、この軍委主席というポストが最重要で、残りの2つは従属的なものであることを忘れてはならない。
おわりに――主席の「主席」はなに主席?
紅衛兵たるもの、「毛沢東がさぁー」などとのたまうことは打首獄門である。正式には「われら全世界人民の心の太陽にして……(中略)……プロレタリア階級の偉大な指導者であらせられる毛沢東主席」というのが正しいが、まあ、「毛主席」で良いでしょう。ところがこの「主席」という称号が一体何を指しているんだかまるでわからない。ここでは紹介しなかったが、「中華人民共和国国防委員会主席」という役職も兼務してらっしゃたし、「中国人民政治協商会議主席」でもあったのだ。従って、毛主席の「主席」が何かは候補が多すぎてとても特定できない。拙稿では3つある代表的な主席称号のうち、どれが権力の源泉となっているかの特定は出来たが、呼び名の源泉となっているのがどれかは特定できなかったことが心残りである。
ただし、国の顔として重要視される国家主席職には1949年(中央人民政府主席も含む)から1959年までの期間しか就いていない。紅衛兵たちが狂わんばかりに「毛主席万歳!!!!!!」と駆け回った頃には既に国家の主席ではなかったのである。だから党主席か軍委主席という意味で用いていたのかな、とも思うが、基本的に鄧小平は「主席」と呼ばれないし、胡耀邦も「主席」とは呼ばれない。そして驚くべきことに劉少奇すら国家主席であったのに「劉主席」とはほとんど呼ばれないのだ。だが逆に華国鋒同志は国家主席ではなかったのに「華主席」と呼ばれることがままある。
いろいろマジメに考えたが、なんだかシンプルな答えが一番合っていそうな気がする。カダフィ大佐のように、ただの愛称、称号に過ぎないということだ。信州信濃の……と来りゃあ「新そば」、結構毛だらけ猫灰だらけ……と来りゃあ「お尻のまわりはクソだらけ」 というようなもんだ。中国人にとって、「毛」と来れば、そこには「主席」しか入らないし、「劉」と来て「主席」はなんか合わないのであろう。そこに実際の職位や称号はあまり関係ないと推測する秋の夜長。最後の文が論理もへったくれもない個人の感想になってしまったが、ほかに妥当な推論が出てこないのでこれでご容赦願いたい。
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