中国語歌詞
日本語訳詞
☆概要
今回は、しっとりとしたメロディーの中に農民たちの喜びが浮かび上がる素敵な紅歌を紹介しよう。タイトルは「毛主席关怀咱山里人」と、なんだか味気ない。直訳すれば「毛主席は山里の人を思いやる」などと歌のタイトルとするにはあまりにも不釣り合いだが、紅歌はこんなのが多いので文句を言っても仕方がないね。とにかく、文みたいなタイトルからは想像もできないほどきれいな音楽で、女声合唱がよく似合う。手風琴の伴奏に乗せて歌い上げたらさぞ素朴でステキな歌だろう。
創作年は不詳だ。しかし、六二六指示が1965年に出されたものなので、 おそらくはそのくらいの時期だろう。1970年代と紹介している例もあるが、そうだとすると5年以上前の指示をテーマにしているので、どこか今さら感があるし、「跃进」というワードからは60年代臭が漂ってもいるので1960年代と推測した。
本曲のテーマは、ともすれば「あぁ、また毛主席ね」となってしまうが、内容をよく見ると違った一面が見えてくる。実は毛主席は「前作主人公」みたいな扱いで、この歌で本当に題材としているのは赤色医療隊のほう。その赤色医療隊は毛主席の指示で作られたものだし、毛主席が山村を気にかけていたのは事実だろうから毛主席をバンザイしとかなければならないという背景があったのだと思う。ただ、その事によって赤色医療隊を扱いつつ、毛主席の温情も……とテーマを欲張りすぎた感は否めず、どっちつかずになってしまっているのもまた事実だろう。同じく文革期の医療を題材にした歌曲「赤脚医生向阳花」くらい医療方面に振り切ればいいのに、とも思ったが、よく考えてみれば同曲もフワッとしたことしか歌ってない。
こうした状況は図らずも当時の医療状況を表していると思う。 そもそも偉大な領袖が西洋医学ぎらいだったし、医者は知識分子だから……とここまで言えばだいたいどんな感じかわかるであろう。そんな状況で毛主席が発したのが歌詞に出てくる「六二六指示」だ。これは簡単に言うと「今の医療は都市部に偏りすぎている!もっと農村に赴け!」ということ。この指示に基づいて訓練されたのが赤脚医生(はだしの医者)だ。赤色医療隊という単語はあまり聞かないが、おそらくは赤脚医生らが所属する集団をそう呼んだのだろう。
さて、この「医者」だが、はだしのという言葉がくっついているとおり、普通の医者ではなく、農村の人民を訓練・養成して作り上げた「医者」なのだ。だから高度な西洋医学の技術は持たず、もっぱら鍼治療や軽微な怪我の治療を主としていたようだ。それゆえ、歌詞中に「一根小银针」と彼ら特有のアイテムが出てくるのである。そうは言っても、無医村だったような僻地に、多少の知識でも持っている人が来てくれたのはありがたいことだったようで、農村の衛生状況はある程度の改善を見たようではある。
2番の歌詞に、唐突な「ソテツがどうの」とか「盲人が光を~」といった表現が出てくるが、これは実現可能性が低いことが成ったことの例えだろう。そも、「铁树开花(ソテツの花咲く)」という表現が「可能性の低い事態が起こる」という意味の成語である。だが、ここから先がわからない。
ここで言う「実現可能性が低いこと」とは一体何を指すのか?中華人民共和国が成ったことか?農村に医師が来たことか?指導者が気にかけてくれているという状況か?
まず、ただの「铁树开花」ではなく「铁树开”红”花」ということに注意が向く。この言い方は「人民の国、社会主義(紅)の国が成った!」というような場面で使うことがある。 その後に「躍進」とかの言葉も出てくるので、ここで言っている「実現可能性が低いこと」とは、「人民の国が建てられ、その上、生活は向上し、医者までやってきたぞ!」という極めて広いことなのではないだろうか。たぶん。
こういったフワフワリリックを上手くお伝えできる技量がないのがもどかしい。 「ソテツは真っ赤な中華人民共和国という花をつけ、昔の基準で言えば農村が発展して医者まで来るなんて盲人が光を見るがごとし」と言えば伝わるが、それはただの文であって、詞ではない。いつか魅力を100%織り込めるように、これからも好好学习,天天向上していきます。
0 件のコメント:
コメントを投稿