『毛主席語録』あれこれ

2020/10/18

志在四方山ばなし 中国語

今日も今日とて毛主席の輝く思想を学んでいた。我ら紅衛兵にとって毛沢東思想学習に欠かせないのは『毛主席語録』――同志たちには「紅宝書」と言ったほうが通りが良いか――だ。そんな光芒を放つ著作なのだが、とかくその内容や、「緑色の服着た中国人が振り回していた赤い本」という歴史的経緯に目を奪われがちで、本そのものの存在にはスポットライトがあまり当たらない気がする。さまざまなバージョンが存在する『毛主席語録』をつぶさに見ていくことは、当時の官海の風波のみならず、経済状況、人民たちのこころにまで考えをめぐらせることができると私は思う。今回は、浅薄ではあるが私の見聞した語録知識を基に、ひとまず書籍の内容はかなぐり捨てて『毛主席語録』そのものの知識をまとめてみようと思う。いざ、ディープな語録の世界へ!拿起我的心爱的红宝书啊纵情歌唱~

 

一番良く見る王道の毛主席語録(文革初期)

5年前くらいに手に入れた、1966年発行の語録を模したレプリカ品。

1960年代の紅衛兵たちが「万岁!万岁!」とちぎれんばかりに振っているのがだいたいこれ。このバージョンの特徴を記すとすれば題名が『毛主席语录』で、サイズが64开本(92mm×126mm)であるということだろう。毛主席の写真や、全体のデザインは生産地や時期によってかなり異なる。赤金の2色しか使われていないもの、毛主席が横向きのタイプ、そもそも毛主席がいらっしゃらないタイプ、船が描かれていないものなどなど多岐にわたるが、サイズや題名は基本的に同じで、みな大同小異につく。その中でも、「大海航行靠舵手」のイメージからか、船が毛主席像の下に描かれているものは多いように感じる。おそらくはどこかの工場で船の絵をつけたら「おい!あいつら船の絵描いてるぞ!俺らもやらないと忠誠を疑われる!」というようなことがあったから船が描かれたものが多く出回ったと想像する。だから、ただ毛主席像、あるいは☆マークだけ、かつ『毛主席語録』というタイトルのデザインはかなり初期のタイプかも知れない。初期の頃は比較的シンプルであったと思われる。

 

ちなみに、文革のごく初期にはビニールカバーがついていないタイプ、大きさが選集と同じサイズなどの変わり種も存在する。おそらくは人民解放軍の内部学習用に作られたプロトタイプ的な存在だろう。いままでいろんな語録を見てきたが、実物を見たことはなく、もしもまだ何処かに存在しているとしたら喉から手が出るほどほしい逸品だ。このサイトの運営権と交換しても良いほど欲しいね!


上に「人民解放軍の内部学習用に作られた」と書いたが、語録自体がもともとは解放軍内部に向けて林彪が音頭を取り発行したものである。そしてそこから人民にも膾炙した、という経歴を持つ。ただし、そのいずれのときにビニールカバーが付けられて、サイズが64开本にまで縮小されたのかは分からない。汗でフニャフニャになるのを防ぎつつ携帯性を高めるという構想は訓練や建設に忙しい解放軍兵士にぴったりだけど、紅衛兵たちが持ち歩くほど大量生産された段階で改良された可能性もある。このへんは何十億冊と刷られたほどの規模で生産され、文革の混乱という要素もあるためよくわからないと思う、と自分の浅学さを糊塗しておく。

 

このバージョンは一番生産されたと思われるのに、現在はなかなか手に入らない。あってもかなり値が張るのだ。文化大革命が終了したらみんな捨ててしまったのだろうか。だからこそ私もレプリカしか持っていないのだが、巻頭に毛主席のグラビアが挿入されているからレプリカでもお気に入り。ガンガン持ち歩いて汗まみれになっても心が痛くないというのも良い。

巻頭グラビアより。ちょっとジャッキー・チェン風味がある?
 

最高指示(文革中期から後期)

横浜中華街の雑貨屋の片隅でホコリを被っていたもの。1969年発行。

文革の中期ごろから出始めた語録。「語録と言いつつタイトルが違うじゃん」と思うが、ちゃんと語録が収録されている。なんでタイトルが変わったかと言うと、「語録+α」という構成だから「最高指示」という題になったそうである。写真のものは「語録+老五篇+詩詞」の「三合一」と呼ばれる構成。そのほかにも上記要素に「最新指示」が加わった「四合一」構成、さらに「林副主席语录」と「九大文献」を加えた「六合一」なんてのも存在するという。「六合一」の場合のタイトルは『毛泽东思想胜利万岁』に変わる。時を経るごとにゴテゴテといろんなものを詰め込んでいくのが中国人らしい。ただし、このバージョンに毛主席のグラビアは一切なし。

 

デザインは初期の面影を残すもの。高らかに莞爾する毛主席がステキ!これが当ブログのヘッダーで光り輝いてるアレの元となった主席だ。こうした中華感満載のデザインは文革中期頃の特徴で、これよりあとになるとエラい人にお小言を言われたのかおとなしいデザインになってしまう。個人的には船のブリッジ部分が「东方红」の文字を象ったものになっているところが好き。

 

これの最大の特徴はなんと言ってもそのサイズだろう。初期の語録と並べた写真をご覧いただきたい。その差は一目瞭然である。

本としては非常に小さい。タバコの箱と同じくらいのサイズだ。

最初に紹介した語録のサイズが、64开本で、これは100开本という規格だと思われる。他に100开本の書籍なんて例がないので、詳細なミリ数は分からなかったが、日本語で言えば「100折り版」となるだろう。ということは裁断枚数が、用紙一枚を64折りにして裁断した枚数から100折りまで増えているので、どれほどちっちゃいかが感じられるだろう。百度百科には「ある工場が100开本で作ったら、みんな負けじと追随した」と記述されているが、ゼッタイ違うと思う。どうせ紙資源が払底したから小さくせざるを得なかっただけでしょう。

 

紅衛兵だった方に話を聞くと、文革後期に差し掛かるにつれて語録はほとんどこのサイズになったという。そしてこのサイズのことを日本語で「2版」と呼んでいたのを覚えている。


このバージョンには周総理に関する逸話があるので、百度百科から翻訳して紹介しよう。

 

出版に関する会議の席上、ある人士が総理に「『最高指示』は正式出版されますか」と伺った。すると総理が答えて曰く「『最高指示』という言葉は使ってはいけません。だって、『毛主席の指示』という意味ですよ。収録される主席の詩詞は『指示』じゃないでしょう」。うーん、なんとも周総理らしい冷静かつ的確な意見である。しかし、こうして一人の小日本人の手許に『最高指示』があるとは、こはいかに。会議は1971年に開催されたものだというが、1969年の時点で『最高指示』が出版されているではないか。写真のは不正出版でもされたのだろうか。納得いく理由としては

 

一部地域において独自に見切り発車で『最高指示』を刷る→1971年の会議で周総理に怒られる→タイトルを『毛泽东思想胜利万岁』に変え、内容も追加してGO!

 

のような経緯があったと考えられる。ちなみに『毛泽东思想胜利万岁』すらも色々と問題があって周総理に怒られたらしい。色々と雑すぎる……


この語録は横浜中華街の雑貨屋で手に入れたものだ。所要で赴いた時、冷やかしがてら入店したらこの雑貨屋の片隅にポツンと語録が置かれていた。しかも2版が、である!興奮する気持ちを抑えて「これ本物ですか」と聞くと「えぇ、本物じゃないですかねェ」というのんびりした声が返ってきた。なんとなく不安になりながらも購入して封を開けてみると、垢光りして砂まみれ、かつ汗を吸ってぶよぶよになった草紙と邂逅した。これは本物に違いない、のんびり老板はウソをついていなかったのだ!そして、いまでは文字通り「紅い宝の書」として大事にしている。

 

日本語版語録 

5年前に手に入れたもの。デザインはシンプルでステキだけど、主席がいらっしゃらないのが寂しい。1971年発行。

日本の紅衛兵に向けて中国が作ってくれたありがた~い品。デザインはなんというか、落ち着いている。さすがに毛主席の肖像画を表紙に持ってくるほど攻められなかったか。ただし、文革後期の語録は中国でもこれに似たようなデザインが多い気がする。もちろん毛主席が入ることもあるが、それでも初期~中期に比べるとシンプルなデザインとなっている印象。また、この☆マークを配すというデザインも後期によく見られる。日本語以外の言語で出版された語録を見ても紅い表紙に☆マークというのはスタンダードとして存在する。中国版が最初にこういう風にデザインされ、それが標準となったのか、過剰装飾を控える過程で外国語版に寄せたのかは分からない。しかし、毛主席のご尊顔が載っていない語録なんて、共産党のない中国みたいなもんですよ。


日本語版は1971年発行と、当時の本家語録と同じくらいの年代に発行されていることもあって、いろいろと比べてみるとおもしろい。どこで生産されたのかはわからないが、紙質やビニールの感触が中国語版と全く異なる。中国語版は荒い紙を使い、かなり毛羽立っているし、ビニールはかなり硬め。柔軟性がなく、ふとした拍子にペキッといきそう。一方の日本語版は、古さこそ感じさせるものの、ビニールはくにゃくにゃとよく動き、紙は日焼けながらもスベスベしている。もちろん、保存状況や、中国語版は紅衛兵がガシガシ使ったという事実も加味しなければいけないが、それにしたってそもそも素材からして違う感覚を受ける。。他に異なる点といえば、日本語版は縦書きなので右開きの体裁をとっていることくらいか。

 

これの特記すべき点はその発行年だろう。1971年といえば人間のくずである林彪が反逆し、ついには墜落死した年だ。それまでは語録に「再版前言」という林彪の文が載っていたものだが、この事件以降は当然、削除された。この日本語版は、おそらく事件以前に発行されたので林彪の文がまだ載っている。ただ一冊の本とは言え、政治的な潮流によって内容が増えたり削除されたりと目まぐるしく変わっているのだ。そもそも語録自体、林彪による毛主席ヨイショの一環で出されたようなものだ。そいつが死んでも惰性かはわからぬが、とにかく発行は続けられた。しかし結局は「四人組に歪曲された」として発行は停止される。この本は中国の政治をハッキリと映しているように感じられる。

 

日本語版にも小さいサイズ(2版)のものが存在しており、一度だけ目にしたことがある。それは大学時代に教わった教授が持っていたのだが、さすがに「売ってくれ!」とは言えず、よだれを垂らしながら見ていることしか出来なかった。中国語版の2版ほど少なくはなく、探せば手に入ると思うが、価値を知っている店や人が取り扱っていると値段が高くなりそうだ。古い本ゆえに、これから増えることもないので、機会があれば入手しておくのをオススメしたい。タイトルはやはり『最高指示』だったと記憶している。


この日本語版では毛主席の巻頭グラビアこそついていないが、肖像画が配されている。しかもそのページの前には汚損防止と思しきパラフィン紙がついているという丁重っぷり。

パラフィン紙を通して見る毛主席。まるで御簾ごしに謁見しているよう。
 

このころは文化大革命の詳細が伝わっていなかったので我が国にも多くの中国シンパがいた。紅衛兵としては羨ましい限りの状況である。だからこそ『毛主席語録』という名前で出版することに何の異論もなかったのであろうことが推測できる。ところが、現在で一番入手しやすい平凡社出版の語録は『毛沢東語録』というふざけた名前になっている。全世界人民の心の真紅の太陽であり、偉大な導師、偉大な領袖、偉大な統帥、偉大な舵手であらせられる毛主席を呼び捨てにするとは!でも「毛主席ファンクラブ」とかいうふざけたサイトを作っている私が言えたことではないけどね。

 

 英語版、独語版毛主席語録


ドイツ語で「主席」はVorsitzendenというのね。発行年は不明だが、最近のもの。まだ作られていると思う。ビニールカバーはなし。

英語版。しっかりとビニールカバーを付けている点が愛を感じる。発行年は不明。製造地は香港と記されている。おみやげ用?

英語版と独語版をまとめて紹介。上記の通り、タイトル+赤表紙+☆マークという鉄板の構成は揺るぎない。どちらも古いものではなく、現在も生産されている本だ。英語版は生産地が香港と書かれているので、おそらくはお土産用なのだろう。でも、アマゾンのレビューを見ると米国人と思しき人々が激賞しているので、英語圏の赤化に寄与していると言えよう。アマゾンでは他にもレーニンの著作(英語版)が取り扱われており、これも高評価なので、資本主義の先鋒みたいな態度をしながらも、意外に紅いのも好きじゃん!と思ってしまう。ツンデレ?また、ビニールカバーがしっかりと奢られており、ホンモノ感を醸し出している。そんな本格派語録だけど、中米で新冷戦が始まっているのでいつか禁書にされてしまうかもしれないという恐怖がある。2000円出せば買えるので、興味があれば買ってみるのも良いかもしれない。

 

ドイツ語版は残念ながらビニールカバーなし。普通のペーパーバックである。ただし、こちらはお土産用ではなさそうな、別の意味でのホンモノ感を出している。奥付に他の書籍の宣伝があり、私は全くドイツ語が出来ないのだけれども、なにか「左」のニオイを感じる本がPRされているのである。そうだ、ドイツはマルクスの生まれたところではないか。それに30年前までドイツ民主共和国が存在した。そんな社会主義のカラーがまだほのかに残る地でジャーマン紅衛兵がこれを読んでると思うと嬉しくなる。それに、こんな感想を言うとバカみたいに聞こえるが、ドイツ語は響きがかっこいい。タイトルもたぶん「ヴォルテ!デス!フォルシッツェンデン!マオツェートン!」のようにカッコよく怒った調子で読むのだろう。「マオ↑ヂュゥシュイィルー↓」という中国語と同じように感情がのってそうな色鮮やかな言語に感じるのだ。


この2冊、上述したとおり、未だに生産が継続されているため、簡単に手に入れることができる。たしか日本語版アマゾンで購入できたと記憶しているので、紅衛兵諸賢におかれては、ぜひ買うことをオススメしたい。ただし、買う際はアマゾンが販売しているものを優先的に選び、マーケットプレイスで購入する場合でも、その店の評価をよく見るように忠告しておきたい。私は英語版を買う際にテキトウにマーケットプレイスで選んだら、お金だけ取られて品物が来なかった。アマゾンはちゃんと返金してくれたが、こういったトラブルはないに越したことはない。どうかお気をつけを。


おわりにかえて――聖書になれなかった語録――

以上が『毛主席語録』に関する私の知識をまとめたものだ。なんだか乱筆な駄文が大量生産されただけな気もするが……でも、この文量は、大量に作られた『毛主席語録』という存在に対するオマージュとしておこう。


『毛主席語録』の総部数は不詳だが、百度百科には50億冊以上と書かれている。とんでもない数字である。当時の中国の人口は6~7億程度だったから、全員に配ってもまだ泰山のように在庫がそびえ立つ計算だ。もちろん、外国語版も含めた数値だろうが、外国人が何十億人も『毛沢東語録』を読みたがったとは思えない。余ったものや、中古品は一体どこへ行ったのだろうか。


同じく世界史に残るべき大ベストセラーといえば『聖書』の名が挙がる。こちらも正確な統計があるわけではないので詳らかな部数は不明だが、数十億冊から数千億冊(!)まで諸説ある。世界一を目指す中国人には、今からでも『毛主席語録』を大増産してほしいが、それもかなわぬ夢だろう。聖書は今も使う。教会に行く時、助けを求める時、日常の読書の時……語録はどうだろうか。批判大会なんてもうない。助けを求める時に語録の言葉はあまりにも政治的すぎる。そもそも日常の読書のときに読むような本ではない。聖書と語録はわりと似た存在だと思うが、片方は十数年しか続かず、もう片方は千年以上続いている。その原因はここでは考察せぬが、嵐のように巻き起こった運動の中で生産されたものが、いまやよーく探さないと手に入らないのは、どこか寂しさを感じるものである。なにより、「紅宝書」と呼んで語録を大切にしていた紅衛兵たちが、あっさりとそれを抛棄してしまったのも、またなんともいえない切なさがある。


しかし、文革期のうち1966~1970年間で65万トンもの紙を使って語録に変えたのはすごいパワーだと思う。さすがの聖書と言えども、この記録だけには打ち勝てないだろう。そして、これだけの「過剰」をやってしまう中国にはまた、世界記録を目指してほしい。党よ、習主席語録なんていかがだろうか。

 

参考 

百度百科「毛主席语录」

https://baike.baidu.com/item/%E6%AF%9B%E4%B8%BB%E5%B8%AD%E8%AF%AD%E5%BD%95/26693