中国農民の階級区分(雇農から貧下中農、地主まで)

2020/08/12

志在四方山ばなし 中国語

農民重視という新視点

共産主義で想定した革命は、都市労働者(工人)による起義であった。しかしながら、当時の中国は資本主義すら発達せず、封建社会のままの国だった。人民のほとんどは農民だったのである。そうした状況で都市労働者に呼びかけ、教育しようとしても、革命が起こらないどころか、広い中国のごく一部にしか共産主義思想を宣伝することにしかならないのは火を見るより明らかであった。しかしながら、建党まもない中国共産党はこの愚を敢えてした。当時の指導者が偉大でもなく、英明でもない路線を誤った分子だったからだ。この党が中国を導くには、正しい思想を持ち、偉大な導師を戴くのを待たねばならなかった。そう、このサイトの上部で発光しているお方だ。中国の解放が成功したのは様々な要因があるが、毛主席の農民重視という新視点が決定的な影響を及ぼしたことは疑うべくもない。

 

今回は毛主席の大ファンにして、中国共産党の主要支持層である中国の農民について紹介していこうと思う。一口に「農民」と言ってもその中には階級区分が存在し、それぞれ革命性も異なる。現代社会ではカネ持ってるほどエライが、解放後の中国、特に文革期は貧乏なほどエラかった事実を念頭に見ていただきたい。

 

農民の階級区分(参考:『人民中国』)

 

上図が中国農民の区分の代表的なものだ。それぞれ「土地所有の有無」、「生活程度」、「労働者を雇っているか否か」によって区別されている。

 

地主…… 多くの土地と財産を持ち、長工(長期雇用の労働者)を雇用し、土地を貸す。

富農…… 土地を持ち、比較的豊かで長工や短工(短期雇用の労働者)を雇用する。

上中農…… 上層中農とも呼ばれる。比較的豊かだが長工や短工を雇用しない。

中農……土地を持ち、自給できるが、経済的に豊かではない。

下中農……下層中農とも呼ばれる。わずかな土地を持ち、耕作で生計を立て、短工として働くこともある。

貧農……土地を持たず、地主の土地を借りて耕作し生計を立てる。

雇農……土地を持たず、他人の家で働く以外に生計を立てられない。

 

以上の解説と図は『人民中国』2020年8月号を参考にした。抗日戦争後の在中日本人を描いた漫画にて図示されていたが、こんなに分かりやすい図は初めて見た。だいたい文革中の歌曲や文献だと当たり前のように悪者として地主が、ヒーローとして貧下中農が登場するので、正直なところ、詳細な区分はよくわかっていなかった。下中農が短工として雇われず、私有地に加えて地主から土地を借りて生活していたら何農になるのか、とか「豊か」の基準はなにか、などの疑問はあるが、基本は斯くの如しということだろう。 


ちなみに、『人民中国』では単色のグラフであったが、作成する際に革命性を含意した色に塗り替えた。上記の解説を基にすれば、雇農と貧農がもっとも革命的だろう。下中農も、革命的には違いないが、生産手段としての土地をわずかでも保有しているということは無産階級ではありえない。こうした僅かな私有地を持ちつつ、他者からの搾取を受けて働く可能性のある者たちを半無産階級と呼ぶ。

 

また、図では単純なピラミッド型になっているが、雇農が一番多いわけでもないと予測する。中華人民共和国成立後、さまざまな農業に関する文献が出されているが、どうも雇農の影が薄い気がしてならない。本来ならば最も搾取されている階層なのだから、一番に名前が出てきそうだというのに。どういう訳か、最も重視されているのは貧農、下中農だ。共産主義国で「プチブルが最も忠実だ!」などという言説が見られないように、一番依拠すべきは貧下中農よりも雇農階層だと思うのだが。 まさかルンペン扱い……?とにかく、上図と違い、農民の最大層は貧下中農だと思われる

 

下中農という考え方は1955年の毛主席論文「关于农业合作化问题」で初めて公式文書に登場したとされている。従って抗日戦争直後を扱う人民中国に掲載の漫画でその区分が出てくるのは時代考証ミスなのでは……?と思わなくもない。それ以前にも下中農なる区分が非公式にあったと考えられなくもないが。


異なる解釈

百度百科のページ「贫农」を参照すると上述のものとは違った農民の区分があることがわかる。

土地改革にあたって、貧富の基準を定める必要が生じたために作られたという区分では

 

地主……多くの土地と財産を持ち、長工(長期雇用の労働者)を雇用し、土地を貸していて自ら は耕作しない。主に地代や収められる作物によって生活している。打倒対象

富農…… 土地を持ち、比較的豊かで長工や短工(短期雇用の労働者)を雇用するが、自らも労働に参加する。打倒対象ではない。

中農……土地を持ち、自給している。労働者を雇っていれば、自己の所得と労働者の労働所得の比率を算出して「搾取量」を求める。搾取量が20%以上であれば上中農で、以下であれば中農(団結対象)。労働者を雇用せず、自己も出稼ぎに行かなければ家計の維持ができないのであれば下中農(依拠対象)

貧農……わずかな土地を持つが、主要な生計を立てる手段が出稼ぎ。農村における主要な依拠対象

雇農……土地を持たず、他人の家で働く以外に生計を立てられない。農村における主要な依拠対象

 

という分け方になっている。一切ソースが示されていないので「本当かよ」という感じだが、いかにもそれっぽい分け方だ。ちなみに地主の子息は公務員と軍人になれず、地主と富農は土地が没収されるらしい。

人民中国版と比べて注目すべきポイントは3つ。

①打倒対象、団結対象、依拠対象がはっきりと明示されている。

②「搾取量」なる数字で中農が分別される。

③貧農が「わずかな土地を持つ」とされている。 

細かいところだが重要な違いだ。特に、土地の有無という視点で下中農と貧農の違いが分けられていない。貧しいほうがエライのだから、当時の農村でこの通りの区分が適用されていたら、「オレは貧農だよ!」というモメが何件も起こってそうである。

 

先述したように、下中農という語が初めて公式に提示されたのが1955年の「关于农业合作化问题」という毛主席が提出した論文であるとされる。土地改革運動はそれ以前の1953年には終結したので、その為に設けられた基準の中に「下中農」という区分がすでに登場しているのはおかしい。従って、この分け方はあまり信頼性が高くない。


百度百科の「贫农」ページにはもう一つの区分が提示されており、それらは「文革期の基準」と呼ばれている。

 

悪辣地主……広大な土地を持ち、法外な地代で貸している。大量の長工を抱え、家には使用人もいる。人民を虐げている

地主…… 比較的、多くの土地と財産を持ち、長工(長期雇用の労働者)を雇用し、土地を貸す。主に地代で生活を営んでいる。

富農…… 土地を持ち、比較的豊かで長工や短工(短期雇用の労働者)を雇用する。

上中農…… 上層中農とも呼ばれる。比較的豊かだが長工や短工を雇用しない。

中農……土地を持ち、満足に自給している。

下中農……わずかな土地を持ち、耕作で生計を立て、短工として働くこともある。

貧農……土地を持たず、地主の土地を借りて耕作し生計を立てる。

雇農……土地を持たず、他人の家で働く以外に生計を立てられない。

 

どうだろうか。人民中国の解説とかなり似ていると思うのだが。人民中国がこの項を参照して掲載したと言われても違和感がない。だが、人民中国では配慮を示したのか「悪辣地主」は無い。悪辣でなくとも地主ならば打倒対象なのだから、別にどっちでもいい気がするが……それにしても取ってつけたよう「人民を虐げている」で笑ってしまった。 特に文革期などは地主ならばどんなに聖人であっても悪辣地主になったと思う。『白毛女』に出てくる黄世仁のようなクソ地主が特にそれなのだろう。

 

いずれにしろ、ソースが明示されていないので確証が持てない。従って参考程度に留めておくべきだろう。

 

おわりに 

改めて中国農民の階級区分を考えてみたが、なんだかざっくりしていて全体像がぼやけたままの解説になってしまった感が否めない。もっとも信頼性が高いと思われるのは人民中国による解釈だろう。ほかにも文献をあたってみたが、日本語で詳しく書かれた農民の階級区分は見つからなかった。地主は打倒、中農までが味方、くらいのざっくり認識でいいと思う。おそらく当時もそんな感じだっただろうから。 

 

こうした区分は解放前後から文化大革命期に至るまでの期間の認識であることに注意されたい。改革開放を始めてから農民の土地所有は大きく変化していったのでもはや所有する土地の広さや労働者の数などで階級を区分することなどできないだろう。加えて、農業から工業へと構造が転換したので、昔と比べれば農民が数を減らしたというのも、この区分が意味を失った要因の一つであろう。

 

また、もう一つ留意してほしいのが、これは中国特有の階級区分であることだ。マルクス主義が分別したのは主に工業化時代の無産者、小資産階級、資産階級であって、農民はあまり考慮されていない。しかも、土地という生産手段を保有しているので自作農は小資産階級に分類されることもある。毛主席と中国共産党は独自の理論と、社会の発展に鑑み農民に依拠することにしたのでこういった分類が作られたのだと言える。


そういえば貧下中農が最も愛する紅い太陽は、実は地主の息子だったという説がある。日本語版Wikipediaには堂々と「地主になりあがった父」と書かれているが、おそらく間違いだと思う。 しっかりと調べていないのでただの放言だと思ってほしいが、確かに貧農から成り上がった商人だというけれども、地主ではなかっただろう。しかし、あのお方が生まれたときには貧農ではなかったことは確かだ。教育を受けられる程の環境にあったのだから、少なくとも富農程度の地位にあったのではなかろうか。土地を豊富に所有していたら地主と言えるかも知れないが、今回紹介した認識に基づくと、「土地を豊富に持ち、かつそれを貸している者」が地主にあたる。あのお方は地主出身ではなかったと信じたい。