中国語歌詞
日本語訳詞
英語歌詞
☆概要
国慶節を飾るにふさわしい名曲はこれしかない!一週間のプロレタリア人民的労働の疲れを引きずっているため、準備してあった、ある華主席ソングをアップしてお茶濁しを図ろうと思ったが、「誰?」となってめでたき節日の盛り上がりに水をさしてしまいそう。だから王道紅歌。
この曲は相当有名で、紅衛兵の必修科目と呼んで良いレベルだ。毛主席のキャラソンといえば押しも押されもせぬ「东方红」があるため、第二キャラソンの立場に身を置かねばならない。ただし、キャラソンが数千曲存在するという事実を聞けばそのスゴさが理解できることだろう。文革中の歌曲をまとめた紅歌兵のバイブル『战地新歌』には太字で表記され、ほかのモブ歌曲と区切られた先頭ページに掲載されるという栄誉に浴した歌曲が4曲ある。「东方红」、「国际歌(インターナショナル)」、「三大纪律八项注意」、そしてこの歌だ。
そんな名曲だが、成り立ちの経緯がザックリしたまま放置され、詳細な考察がないのが残念である。Wikiや百度百科には作者が大衆の毛沢東思想の学習熱に感動して作ったぜ~云々とあるが、 そんなのは空虚なクリシェに過ぎない……と思いますよ。またこの曲を紹介している一部のサイトでは「紅衛兵が創作した」 というようなことが書かれているが、1964年に紅衛兵は存在しないので誤り。
大躍進から文革の間は調整期だと思われがちだが、実際には調整の後の揺り戻しが当然存在した。それが社会主義教育運動・四清運動である。フランク・ディケーター著『文化大革命』によると、劉少奇や鄧小平などの後に打倒される人物すらもこの運動には熱を傾け、それによって多数の被害が出たという。それだけの運動を巻き起こすには人民を十分に運動に参加させるだけの「武装」が必要となる。思想、作り出した敵、恐怖、ポスター、標語、そして紅歌だ。実際、上掲書でも革命歌曲が多数創作されたとの記述がある。そう考えると、社会主義教育運動の時期に創作されたこの歌曲は、毛沢東思想学習ブームを受けてボトムアップで創られた歌曲というより、ブームを引き起こして加速させるためにトップダウンで作った歌曲と解したほうが自然であろう。
そもそもこの歌曲、私はてっきり文革中に作られたものだと思っていた。1964年に作られたこの歌曲が、1966年から始まる文革までロングヒットを飛ばしたのかと思いきや、さにあらず。資料が少ないから断言はできないのだけれども、たぶん社会主義教育運動中にこの歌はあまり流行っていなかったのだろう。ところが、1965年に雑誌『红旗』が「革命歌曲选」というタイトルで発表した記事にこの曲が食い込んだ。そのことがきっかけとなり、北京の党中央や幹部に知れ渡り、その余韻を残したまま文革が発動されたため、広範に歌われることになったのだろう。そして堂々の定番曲入りを果たし、1972年出版の『战地新歌』にも取り上げられた、と考えるとつじつまは合う。
ヒットにはもちろん曲の良さも関係しているだろう。童謡などにもよく用いられるハ長調のメロディーは、明るさや温かみを出すことに寄与しているし、音の高低差が大きい曲調は毛主席に対する忠誠心や「党から離れられないよ~」というような切実さをうまく表現していると思う。しかしながら、文革前に作られたということもあって、街に出て暴れまわりながら革命しながら歌うために作られた多くの平板な紅衛兵歌曲と違って、少し歌いづらい。
歌詞は、コトバの並び方はキレイだが、表現としてはありふれたもの。「鱼水情(水魚の交わり)」なんてのは古くからある言い方だし、「瓜がツルから離れない」も「社员都是向阳花」で使われているため、ちょい二番煎じ感が否めない。
オモシロイのは「毛泽东思想是不落的太阳」という部分。いや、最初に、偉大なる領袖毛沢東主席の輝く思想を貶める意図はまったくないことを申し上げておく。しかし党内のあくらつな走資派どもは大躍進政策の後に党章(綱領)から毛沢東思想のカンバンを下ろしている。ふたたび英明な領導思想をいただくには1969年を待たねばならなかった。そういうことだから、少なくとも党章からは一回沈んだ「前科」があるというわけだ。
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