一体いくつあるんだ「华主席登上天安门」

2021/10/03

1970年代 華主席 紅歌 志在四方山ばなし

紅歌を翻訳する際はいつも、覚えているメロディーをテキトーに思い出していき、気に入った曲に出会ったら日本語訳するといういささか雑なプロセスを経ている。基本的にお気に入りのものしか取り組まない。「この曲、お前にしか刺さってないんじゃないか」的なもので溢れているのはそのせいである。

 

さて、そんな文脈で登場させて恐縮だが、華主席ソングである。今日はそのうちの一曲を翻訳しようか、と思って「华主席登上了天安门~♪」から始まるアノ曲にしようと決めた。タイトルは忘れたがどうせ出だしがタイトルだろうと思い、それで検索すると……4曲もほぼおんなじ題名のモノが出てきたんですが…… 


1.「华主席登上了天安门~」から始まる正統派紅歌風なヤツ

http://www.huaguofeng.org/xv_xq.php?cid=7&id=1678(华国锋纪念网)


当初探していたもの。この雑で賑やかな前奏から始まる正統派の紅歌感大好き。見つけたから訳そうと思ったのだけれど、音質が悪すぎてほとんど聞き取れないため、諦めてしまった。なんかギョッギョッみたいな音も混ざってるし。いま曲を聞きながら、やっとサビ部分の「ホッホー↑」が「华主~席!」であろうということがわかったくらいだ。「英明领袖」って言ってるし多分そうだろう。

 

ちなみに、上掲のサイトに掲載されているタイトルは「华主席登上天安门」だが、歌い出しは「华主席登上了天安门」と了が入る。一応、かつての指導者の紀念サイトだから、そこに掲載されているタイトルの方をこそ正確とすべきなんだろうけど、歌詞や作詞作曲などの情報が一切掲載されておらず、全体的に音楽のコーナーが雑な作りであることからちょっと疑わしい。bilibiliにアップロードされている方はタイトルに了が入っているが、むしろこっちが正解ではなかろうか。


2.歌い出しが「北京城飞彩虹~华主席~登上天安门」のちょっと垢抜けたもの


「祝酒歌」と同じように、演奏や全体の雰囲気はすでに垢抜けて脱紅歌の誤った路線を歩み始めた様な感じのする一曲。紅歌に見られる戦闘的な曲調ではなく、文革後にしばしば見られる優しげな童謡、民謡調の仕上がりとなっている。

 

少しだけ変化のきざしが見える曲とは違い、歌詞はもう何千回も見てきたような"いつもの"。文革の10年間でさんざっぱらこういうのを創って、聴いてしてきたわけだから、テレサ・テンが大ヒットしたのも有理だよ。

 

「除四害」とはまた懐かしい単語を出してきた。まだやってたのか……と少し呆れたが、さにあらず。「除四害」とはスズメや蚊などの害獣・害虫とされた生き物を駆除しまくって生態系がぶっ壊れたことで名高い大躍進期の政策だ。その運動は1960年代初頭にはおわりを迎えた。ここで使われている「四害」が指すのは4人組のことだそう(参考:http://www.peopleschina.com/maindoc/html/200605/10li.htm)。権力闘争に負けると害虫同然の扱いという訳ですか。

 

3.「千万杆战旗涌彩云」で始まる頌歌

 

上2つと比べるとスローテンポで荘厳さを醸し出している一曲。毛主席と同じように、軽快なメロディーの紅衛兵的歌曲から、少数民族歌曲、そして「歌唱华主席」やこの曲のような頌歌を擁しているのはさすが正統な後継者といえるだろう。


だが、毛主席ソングと比べると凡庸さが否めない。歌の好悪をはかる客観的基準の選定はなかなか難しいが、ひとまず「大衆の記憶に残るか」を基準にしたとする。そのときに、このような華主席ソングのどれほどが記憶に残っているのだろうか。ちなみにこの曲のYouTube上での再生回数は2021年10月3日時点で246回、そのうち40回程度はゼッタイ私の手によるものなので、200強となる。そしておそらくは偶然に再生してしまったものや、私のように曲は知らないが再生したというのも含むだろう。するとこの曲を覚えていたなんていう人はいないのではないだろうか。

 

このチャンネルが音源をアップしていなければ、この曲はほとんど消え去る運命ではなかったか。こんな希少な音源を上げてくれた同志に感謝するとともに、華主席に報告したい。少なくとも私の記憶と毛主席ファンクラブの記録には残りましたよ!

 

鄧小平の黒い一味の陰謀で華主席ソングの多くが消されてしまったから記憶に残らなかったという仮説も考えられるが、もともとは華主席を讃えた歌曲である「祝酒歌」などは歌詞を変えてでも歌い継がれているのだ。すなわち、人の記憶に残る名曲であれば時流に沿わないものであっても残していく努力がなされる。文革期に多くの歌曲が曲はそのままに歌詞を真っ紅にして歌い継がれたこともこの事の証明になる。だからこの曲に凡庸という裁定を下すのは妥当であろう。


4.「弹起了月琴 唱起歌」で始まる未発掘ソング


『十月战歌』人民音乐出版社,1977年

歌が失われるだのなんだのと話していたら出会ってしまった……本当に失われた曲に。


管見のかぎりではネット上に歌詞や音源などのこの曲につながる情報は何一つ発見できなかった。というわけでこの曲の譜面を公開するのは弊サイトが一番となるのだろうけど、なんなんだこの嬉しくない感じ。

 

せっかく楽譜があるので打ち込んで雰囲気を味わってみてもよいのだろうけれど、良曲の匂いを感じないので遠慮します。『十月战歌』に掲載されている他の歌曲も長年紅歌ファンをやっていて一回も聴いたことがないものが多い。売れなかったのね……

 

しかし、それも仕方のないことだ。歌詞を見ればわかるように、文革後期の粗製乱造ぎみな紅歌の歌詞のうち、毛を華に、伟大を英明に変えただけのような味気ない雰囲気をもっている。華主席の持ちネタが少なすぎるということも要因としてあろうが、当時の音楽芸術家も華主席のことをよく知らなかったし、良い紅歌もあらかた出尽くしたというのが大きいだろう。

 

おわりに

ここでは紹介しなかったが、どうやら戯曲の「华主席登上天安门」も存在するようだ。華主席天安門に登りすぎ。

 

毛主席を讃えたものでも同名歌曲というのは存在する。しかし4曲も全く同じタイトルの曲が存在するのは華主席だけに違いない。同名歌曲があると知っていて創ったのか、同時発生的に同じタイトルをつけた歌曲が生まれたのかは知らないが、いずれにしろ「天安門にのぼる」ことが、「新たに指導者になった」の換言のように用いられているのが面白い。ほかの表現ではなく「天安門にのぼる」が多用されたのは、おそらく葉剣英元帥と一緒に天安門に登場したイメージが人民に広く伝わった結果と思われる。

 

4回も登っていたことは華主席がデビュー直後からネタ不足、キャラの不安定に悩まされていたことを物語る。過去の事績もよくわからず、急に天安門に出てきたのだからそれをネタに歌を書くしかなかったのだろう。

 

その後は「毛主席の後継者」というキャラが強く押し出されてきたため、紅歌の中で毛主席と同じような取り上げられ方をされ、歌詞の中には庇護者のように「毛主席」という文字が鎮座していた。しかしそれは結局、毛主席の影響下から抜け出せないことを意味し、紅歌としては毛主席ソングの二番煎じに終止してしまったといえる。

 

しかし最近、華主席にスポットライトが当たることが増えている。同じく毛主席の後継者と呼ばれる習近平主席がそれを主導しているからだ。鄧小平にエンリョして傍流に置いていた華国鋒という人物を、かつての指導者――華主席として正式に認め、その影響で華主席ソングが日の目を見るだろうと信じている。その時に閲覧数を荒稼ぎするためにも華主席の歌はアップロードし続けていくつもりだ。