【建党100周年祝賀紀念企画】習主席はどこまで毛主席に寄せてきたか

2021/07/01

志在四方山ばなし 習主席 中国語

きょう7月1日は光栄な、偉大な、正確な我が中国共産党の誕生日である。100年前の今日、中国は上海で共産党の第一回党大会が開催され、中国の解放に向けて偉大な一歩を踏み出した……とされているが、悲しいことに記録がない。参加者(この正確な人数も判明していない)も1921年の6~8月頃というのは覚えていたようだが、正確な日付まではわからなかったようだ。うまいところで1ヶ月後に八一の建軍記念日があるから、それと平仄を合わせる形で七一を建党記念日としたとされている。

 

さて、そんなめでたい雰囲気に水を差す粗探しはここまでにしておこう。チャイナウォッチャーの端くれとして、今日行われる記念式典は非常に注目していた。とくに気にしていたのは次の三点だ。

 

①100年をどう総括するか。具体的には鄧小平と改革開放をどう扱うか。

②香港、台湾地区、アメリカなどいろいろモメてる国と地域に対する言及。

③毛主席と文化大革命をどれだけオマージュするか。


ひとつめに関してはたしかにそれほど言及がなかったが、皆無というわけではない……要するに今までと同じ。個人的にはそれほど特筆すべき点はない印象。鄧小平とその理論を打ち消すのではなく、自身を前面に押し出すことと毛主席崇拝の2面作戦でほかを霞ませようとしてる?


ふたつめもあまり攻めた最高指示は期待できなかった。日本メディアは「但我们绝不接受“教师爷”般颐指气使的说教!」の部分に狂喜乱舞しているが、このような発言は2018年の改革開放40周年紀念のときのスピーチに確認できる。文もほぼ同じで、「金科律玉的教科书,也没有可以对中国人民颐使气指的教师爷」というもの。あ、ごめんなさい「金科律玉→金科玉律」、「颐使气指→颐指气使」でした、間違えました。ただ血肉で築かれた長城みたいな下りなどはなかなかおもしろかったので、別記事で詳しく見てみたい。

 

さて、最後の一つにして最も楽しみな要素--毛主席にどれだけ寄せてきたか、ということだが、これは明らかに我ら紅衛兵への過剰接待とでも言えるくらいのソックリっぷりだった。


この点は流石に目立ったから各日本メディアでも取り上げられているが、管見では「服装が似ていた」ということを筆頭理由にして似ていると主張している言説が多いと感じる。うんまぁそうなんだけどさ、もっと他に気にすべきところがあったでしょう!というわけで、現代中国事情には疎いけれども毛主席時代には一家言ある紅衛兵が「習主席が毛主席の模倣をしている根拠」をいくつか挙げてみる。

 

①毛主席とのペアルック

 

新华网より転載(http://www.xinhuanet.com/politics/qzjd100ydh/index.htm)
記念式典動画冒頭の1シーン

ご存知、偉大な領袖。SNOWで撮ったみたいな修正具合の写真。

英語版Wikipediaの毛主席ページより。天安門に掲げられたる毛主席。

色々なメディアが毛主席と習主席の服装が似ていることを指摘しているが、ただ同じ中山装(人民服)を着用している、というだけではなく、上掲の写真を見ていただければわかるように、色まで似せてきたのだ。


各指導者にはお気に入りの中山装のカラーがあり、確か鄧小平とか陳雲は黒系、周恩来総理はグレー系、康生は紺色の青年装という中山装の亜種がお好み……などなど。そして、毛主席はこういう青みがかった灰色をよく着用されていた。習主席はそれに合わせて似たような色合いのものを着用して臨んだようとみえる……つまりペアルック?

 

天安門には毛主席の肖像画が掲げられており、その上で同じ服装を着用した指導者が長い演説をぶっているのだから、「この人は毛主席の後継者だ!」とまではいかないまでも、「あの二人なんか似てるなぁ~」程度の印象は残ると思われる。今回の件以前にも、「习近平谈治国理政」第三巻のなかに、同じような角度から同じようなポーズで撮った写真を掲載するという分かりづらい毛主席ファンアピールをしていたが、今回はよりしっかりとアピールした形だ。

 

服装だけではなく福々しい体型もかなり似ている両者、唯一似ていないポイントは習主席は生え際が持久戦を繰り広げ、毛主席のそれは長征に出てしまったというところだ。あと数年したらそこも似てくる……?


②第9次接见红卫兵--印象深い共青団の存在

習主席登場の前座として紅衛兵……ではなく共青団員と少先隊による、なんていうのかなシュプレヒコール?怒鳴り?があったのだが、その構図は毛主席が紅衛兵たちと合計8回接見した一連の伝説的ライブを思い出させるものだった。

 

もちろん動員数は比べるべくもなく毛主席に軍配が上がるが、解放軍や党員などが主体ではなく、青少年たちが一番目立つところに配置され、共産党が100年の間に歩んできた歴史を怒鳴るという大役を与えられたというのは非常に興味深い。加えて、数年前に「共青団員は農村に赴きなさい」という上山下郷運動を思い起こすような計画が進行中とのニュースもあったため、余計に文化大革命との相似を感ぜずにはいられない。

 

尤も、無教養かつ今の基準で云えば出身がよくない(農民、労働者、兵士)者が主体だった紅衛兵たちと、今の学歴も出身も良い(官僚、資本家、知識分子)共青団員たちとでは全く立場が違うことには留意しておくべきだろう。だから、今回の件はただ構図が似ているだけであって、第二の文革が始まるとかそういう予兆ではない。

 

それに、共青団はそれほど習主席の影響力下に置かれているわけではないし、映像を見る限り演技臭すぎて習主席に心酔しているとも思えない。したがって、明日から家探しと打ち壊しが発生する心配はしなくてもよいようだ。

 

ちなみに、毛主席が紅衛兵たちと接見するときは、誰も聴いていない側近のスピーチが必ずあった。実務家の周恩来総理や腐っても女優の江青なんかの演説はまだ聴けるが、病弱ハゲで知られる林彪の演説は紅衛兵たちが冷めていくのがわかるほどヒドい。今回の式典ではそこも再現したようで、万鄂湘同志という誰も知らないマイナーキャラによる誰も聴いていないスピーチという原作リスペクトが行われた。

毛主席が紅衛兵たちと接見したときの様子。今日の式典と比べれば、青年たちの本気度の違いがわかるだろう。おそらくは、この時代に青春を送った習主席への忖度で、似たような構図を関係各部署が準備して差し上げたのだろうと予想するが、当たらずとも遠からずだろう。

 

③毛主席語録に似たワードの登場

上記2つのアピールだけで、もう十分毛主席ファンということは伝わってきているのだが、ダメ押しとばかりに毛主席語録を思いこさせる言葉遣いをしている。わかりやすい「服装」という要素に飛びついてニュースにするのは結構だが、中国政治をネタにめしを食っているのならこの点には気づいてほしいよメディア関係者。

 

たとえばこれ。

「新华网」より。http://www.xinhuanet.com/2021-07/01/c_1127614209.htm
 

対応する毛主席語録は「人民,只有人民,才是创造世界历史的动力」と「群众是真正的英雄」だろう。

 

他には「未来属于青年,希望寄予青年」という発言があるが、これは毛主席の

 

「世界是你们的,也是我们的,但是归根结底是你们的。你们青年人朝气蓬勃,正在兴旺时期,好像早晨八、九点钟的太阳。希望寄托在你们身上。世界是属于你们的。中国的前途是属于你们的。」

 

を切り取ったようではないか。

 

演説を「伟大光荣正确的中国共产党 万岁!伟大光荣英雄的中国人民 万岁!」と締めくくるが、ここの部分は毛主席の「人民万岁~!」を思い起こさせる。語録ではないが、「伟大光荣正确的中国共产党」というのはかなり文革のニオイがする用語だ。

 

さすがに模倣と謗られるのを警戒したか、毛主席語録をまるまる引用することはしなかったが、似ていると感じる部分がこれほど見つかるのは明らかに語録を意識している証拠だろう。 


この式典以前から習主席は、かなり毛主席語録に似た指示を出しているから別にそれほど驚くことではないよ、ということを付言しておく。ただし、「あいつ毛沢東の模倣してくるかな?」と予想されている式典中にこれをぶつけてくるとは、やはり本人も毛主席の政治的後継者であることを強めにアピールしたいと見える。

 

④伟大の濫用

文化大革命中には独特の用語があった。红五类だとか最亲密的战友林副主席だとか四个念念不忘、农业学大寨……と思いつく限り挙げていけばきりがない。これ以外にも文化大革命の香りを感じさせる単語がある。それが「伟大」だ。これは日本語の「偉大」 と全くの同義。だから大仰なことが大好きな中国人が政治の分野で使っていてもなんら不思議ではないのだけれど、文革以降は避けられてきた感がある。

 

その理由はおそらく、伟大と毛主席が分かちがたく結びついていたからだろう。伟大という称号は、「毛主席」というワードの枕詞だった。陳死亡で有名なあの曲、「我爱北京天安门」は文化大革命に制作された歌曲だが、歌詞の中では伟大领袖毛主席~♪(偉大な指導者毛主席~)と歌っているし、当時のプロパガンダポスターにも毛主席がいれば伟大があった。

毛主席のためだけに「四个伟大(伟大的导师、伟大的领袖、伟大的统帅、伟大的舵手)」=「4つの偉大(偉大な導き手、偉大なリーダー、偉大な総帥、偉大な舵取り)」という伟大セットまでがあったのだからその伟大の廉売っぷりには驚くばかり。

 

そんな毛主席専用のオーラを持つ伟大を復活させつつあるのが習主席だ。数年前に「四个伟大」という概念(上記とは別物)を提唱するという「ワザとやっているでしょ?」と思われてもしかたがないような行動をとっているが、今回も演説中に伟大を連発し、文革を彷彿とさせる廉売を見せてくれた。

 

演説中に出てきた伟大の総数はなんと53回!共青団の怒鳴りやモブキャラのスピーチも含めると67回の伟大が出てくる。さすがは物量と人海戦術の国だ。 


濫用されなくなって久しい伟大を再び文革期レベルまで氾濫させたというのは何かしらの意図があるのだろう。私が思うにその目的とは、ただ単に毛主席を思い起こさせるために用いる事ではない。おそらくは、伟大を文革期と同じくらい多用し続けて、ことばが持つタブーというか遠慮を解いていき、最終的には習主席の呼称として伟大を使いたいとう思惑があるはずだ。

 

式典冒頭にヘリコプターが4機登場し、それぞれが旗を吊り下げていた。そのうちの3つは伟大を使い、「伟大的中国共产党万岁」・「伟大的中国人民万岁」・「伟大的中华人民共和国万岁」と似たようなテイストにまとめている。しかしながら、残りの一つが異質な気がするのは私だけだろうか。「全国各族人民大团结万岁」という天安門に掲げられているアレをパクったような一枚だけ伟大が入っていない。 ここも伟大でシメて、全体に統一感をもたせたほうが良かったのではないか。

 

これは妄想の域に入ってしまうが、本当は「伟大领袖习主席万岁」がここに入る予定だったのではないだろうか。しかし、今回の式典の雰囲気を見ていると、予想されていたより遥かに習主席に対する個人崇拝色が薄いことに気がつく。たぶん、あと数年は確定で指導者で居続けるから、一旦個人崇拝強化はお休みといったところだろう。だから敢えて「伟大」という毛主席以外に誰も用いてこなかった単語を自身に冠することで生じる批判や動揺を避けたのではなかろうか。でも将来的には使用したいから、そのための道作りということで今回の「伟大」の乱発につながったんじゃないかな。



毛主席を模倣していると思しきポイントを列挙してみたが、やはりこうして総括してみると「毛主席に似せる」という試みが偶然などではなく、明らかに計画的に行われていることに確証が持てる。


いち毛主席ファンとして、現在の指導者が同担になってくれるのは嬉しいのだけども、習主席の目標がイマイチつかめない。そこまでこだわって真似てなにがあるのだろうか。よく、「毛主席と自身を重ね合わせることによって権威の増進を図っている」と説明されるが、もう十分権威があるじゃないですか。それに、たしかに毛主席は立派だけども、毛主席の時代の苦しさを知る人も、毛主席の時代に生まれていないから興味がない人も居る。そういう人たちが一定数居るのだから、人気獲得や権威の増進にも限界があると思うのだが。どうも「毛主席に似せる」というのが手段から目的に変わってしまったようだ。


さて、式典だが、他にも習主席のスピーチや百周年紀念演芸の発表などオモシロイ要素が山と残っている。それらについてはまた別記事で触れていく予定である。