【建党100周年記念企画】公演「伟大征程」の気になったところ

2021/07/05

紅歌 志在四方山ばなし 習主席

天安門広場で行われた建党100周年記念式典はとてもめでたいものだし、楽しみにしていたが、私のような中国音楽ファン、特に紅歌が好きなものにとっては式典の後に開催される記念公演のほうが楽しみである。リピート視聴を繰り返し、ようやく自分の中で今回の公演に対する総括ができてきたので、注目すべきポイントともに振り返っていきたい。


溢れ出る朝鮮感

 まず映像を見て、降りる駅を間違えたかのような感覚に襲われた。党のお歴々たちが歓呼の声に包まれて入場し、会場はかつての红海洋の如き群衆で埋め尽くされている。そして、いきなりマスゲームと、総力戦真っ只中みたいな歌曲(跟着共产党走)が鳴り響く……映像を見てもらえればお分かりになるだろうが、かなり朝鮮感が強い。特にマスゲームなどは、中国のこうした行事で行われているイメージが薄かったため、かなり衝撃を受けた。

 

この100周年記念公演は、かなりの労力を投入し、威信を損なわないよう挙行されたため、こういった催しに国の威信と人民の命をかけている朝鮮と似たような感じになってしまったのかもしれない。

 

ただし、似てしまった原因はそれだけではないように思う。2019年、習近平主席は朝鮮を訪問したのだが、その時に現地で開催された「战无不胜的社会主义」という記念公演をご覧になっている。笑顔で拍手したり、うなずいたりとかなりご満悦な様子だったので、今回の100周年記念公演開催にあたって、それを参考にした可能性もあるのではないか。外国の首脳が朝鮮の演芸に惹きつけられるのはなにも習主席が初めてではない。ルーマニアのチャウシェスクという例だってあるのだ。それゆえ、この「朝鮮をちょっとパクった」説は当たらずとも遠からずと言えそうだが、どうなんでしょうか。

「战无不胜的社会主义」の動画。ソックリなわけではないが、会場の構成や人海戦術感、本気度などは似ていると思う。マスゲームはこちらのほうがダンゼン多い。これに歌劇「东方红」式の舞踊と音楽で歴史を振り返る中国エキスをプラスしたものが今回の公演と言えるだろう。


鄧・江・胡を冷遇

百周年に関する報道でよく見るのは、習主席の演説中のちょっと物騒なパートを切り出したもの。それに比肩するのが鄧小平と彼の改革開放路線に対する冷遇っぷりだろう。もうかかる言説は聞き飽きたきらいがあるが、実際に演芸中の各人に割り当てられた時間を見てみるとオモシロイほど冷遇っぷりが浮かび上がってくる。ちなみに公演の時間は2時間くらい。

 

まずは毛主席パート

 

約40分。最初に陳独秀と李大釗が出てきてゴニャゴニャ言っているので、建党黎明期パートとかにすればよかったのだろうが、共産党は構成上どうしても毛-鄧-江-胡-習というふうにきれいに分けたかったようだ。黎明期の大物である陳独秀・李大釗が出てきた直後に、当時無名に近かった毛主席がねじ込まれているという不自然さ。当たり前だが、李立三(向忠発)とか王明のちょっとアレな人々はなかったことにされている。もちろん、1958~1976年の間もなかったことにされている。

 

続きまして鄧小平パート

 

10分くらい。改革開放路線を定め、当代中国発展の基礎を築いた偉大な人物であるのも関わらず、扱いがまぁ酷いこと。さらに、その中で特区を扱ったパートがあるのだが、「鄧小平のパートだから当然か」などと思っていたらこれが大間違い。遠藤誉氏によると、この「特区」という制度を華国鋒主席に訴えて実現させたのは習近平主席のお父様、習仲勲同志であったという(参考:https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20210630-00245692/)。そう考えると、鄧小平パートのように見せかけつつも実際は習仲勲の手柄パートという訳で、鄧小平のパートはもっと少なくなるということだ。悲しすぎる。中国政治は「棺を蓋いて事定まる」というが、以前にもまして棺を蓋いても定まらなくなってきているようだ。

 

つぎは江沢民同志

 

こちらも10分くらい。鄧小平系列の人だから冷遇されるのは当然か。それよりも会場に姿を表さなかったことが心配。あの独特のフォルムは唯一無二だからいつまでも長生きしてまた姿を見せてほしいものだ。健康不安でなしに、現在の指導部によって意図的に欠席させられたとの見方もあるが、私はそういう政争の分析が得意ではないのでスルーする。

 

 

冷遇組最後は胡錦濤同志

 

同じく10分くらい。天安門ではその姿を見せたが、この公演は欠席。 先程参考にした遠藤誉氏の記事によると、公演では「江沢民は体調不良、そうすると胡錦濤を呼ぶわけにはいかない。すると毛沢東と習近平の二人だけとなる」という理屈が紹介されているが、公演翌日の天安門には胡錦濤同志だけ登った。なぜ公演には来なかったのか。どうして共産党は江沢民同志に配慮しなかったのか……等、引退してなおも考察しがいのある謎を生み続けている。なんで白髪を染めないのかも謎。

 

トリを飾るはもちろんこの方、習近平主席

 

事程左様に、毛主席と習主席以外の指導者を一人頭10分、合計たった30分にまとめてしまうという荒技を用いてきた。 毛主席が40分で、冷遇組が30分、公演は120分ほどある。もうお分かりと思うが、残りの時間は習主席パートだ。まだ続投中の指導者で、一帯一路などの成果が確定していない政策などもあるのにそれを褒め称えちゃうのはどうなのよ。

 

最後の10分間はエンディングパートだから、習主席パートとするにはちょっと微妙だけど、ちょいちょい習主席カットが挟まれるし、何よりこの催しの主役は習主席のハズなので彼のパートとしてカウントしている。


この時間配分を見ると、ヘタに演説を紐解いたり、党内人事とにらめっこして卜占をするよりも、鄧・江・胡に対する冷遇があからさまに見て取れる。ここまで露骨にやっても反発はないだろうという自信の表れなのだろうか。

 

習主席のキャラソンはそれでいいのね?

各指導者のパートにはそれぞれのキャラソンがつく。毛主席だったら「東方紅」(ただし今回は「祖国颂」か?)、鄧小平だったら「春天的故事」、江沢民同志は「走进新时代」、そして胡錦濤同志の「江山」。

 

最後は我らが領袖なのだが、この方にはまだ定まったキャラソンが無いと思っていた。しかしどうもキャラソン疑惑のあった歌が正式に続投しているようで、その名も「新的天地」。こちらの歌曲は2018年に発表されているのだが、時たま習主席の動画と組み合わせて用いられるからテーマソングかと思われていた。しかし、個人的にはあまりに曲調がポップすぎることから、指導者のテーマ曲にふさわしくないと感じ、完全に見落としていたことを自己批判したい。あんまり良い曲だと思わないけど、習主席のテーマに内定した以上、今度訳してアップロードしたいと思う。あんまり良い曲だと思わないけど。

 

8月22日追記

「新的天地」を日本語訳してアップしました。

https://maozhuxifensituan.blogspot.com/2021/08/xindetiandi.html