偉大なる領袖、ふたたび

2021/08/10

志在四方山ばなし 習主席

建党100周年の行事を見たら明らかなように、習主席は毛主席を模倣している。どんなところが似ているか、とかそういったことはチャイナウォッチャー諸氏がさんざん指摘しているため、ここでは敢えて挙げない。

 

しかし、一部の「エセ文筆ごろ」と呼ぶにふさわしい反動チャイナウォッチャーには苦言を呈したい。どういうことかというと、一部に「人民服を着て式典に参加したから毛沢東を模倣している」というお里が知れる論説があることだ。中共の指導者が式典に人民服を着て出てくることは慣例であり、別にそれで毛主席模倣の証拠とはならない。今回、習主席が毛主席に似せてきたポイントは、人民服の色なのだ。青みがかった灰色の人民服は、毛主席の愛用のそれと全く同じカラーである。それを態々選んだことこそ模倣の証拠であり、人民服そのものは問題にもならぬ。かかる論説を広めたエセチャイナウォッチャーは私に職位を譲ってくれ~~~~。


ともあれ、分析の質は様々ながら、「習主席は毛主席を模倣している」という立場はどの人士にも共通したものであるようだ。まぁ本人があれだけアピールしているのだから嫌でもわかるが。


しかし、「どうして毛主席を模倣するのか」、「毛主席を模倣することによってなんのメリットが有るのか」などの疑問に答える言説は、管見の限り見つからなかった。そこでこの記事では、それらの点を私の浅薄な知識と偏見のもとに明らかにしてみたいと思う。


前提--習主席と毛主席の関わり

まず分析を始める前に、毛主席と習主席の関わりはいかなるものであったのかを知らねばならない。とはいえ、毛主席がご存命のとき、習主席はまだ青年であったから、当然直接の関わりはなかったと思われる。他の青年と同じく、一方的な敬慕の情念を抱くのみ。その関係性はアイドルとファンの関係性に近い。つまり習近平主席は毛主席に思い焦がれていたかもしれぬが、毛主席にとっては数多くいるファンの一人でしかなかった。そう考えるのが自然と云える。

 

多くの同志たちもそのように考えていると思うが、この仮説は次の事実と整合しない。

 

それは「習近平主席及び習仲勲同志(パパ)は文革で相当の被害を受けている」ということだ。牢屋にブチ込まれたり、批判大会に引っ張り出されたり、教育を受ける機会を剥奪されたり(これは習主席に限らぬが)といった「相当の被害」という文言では表現しきれないほどのキズを負っている。

 

それだけにとどまらず、習主席は10代後半という青春の盛りを下放(紅衛兵たちを都市部から追っ払って平静を取り戻すための政策)によって奪われている。その下放先は陝西省は延安市延川県梁家河村という超がつくほどのド田舎。そこで「100キロの小麦を担いで5キロの山道を歩いた」とか、「メタンガス資源を利用しようとしたら破裂して顔がウンチまみれになった」などのエピソードに代表されるような重労働の日々を経て、その後なんやかやあって今に至る。


言ってしまえば、これらの苦労をしなければいけなかったのは毛主席の発動した文化大革命の影響である。自分がこれだけ辛酸を嘗める原因を作った人物のファンになるとはおかしなことだとは思わないだろうか。文革中ならどんなつらい思いをしたとしても「農村での再教育を経て毛主席の立派な戦士になろう!」という魔法が効いていたかもしれないが、文革はとっくに終わって、多くの知識青年は魔法が解けた。習主席だってそうだろう。「本来なら好きではない、むしろ嫌いかもしれない人物のファンであり続けている」という仮説は「なぜ模倣しているか」を考える際に新たな視座を提供し、有益であろう。

 

模倣しているポイント

服装、体型、語録……そしてあと10年くらいしたら髪型? 

そういったすぐに分かるもの以外のお話。 


まず、すぐに思い浮かぶものと言えば「脱贫攻坚(貧困撲滅)」だろう。去年、めでたく貧困を撲滅し終わったとされているこのキャンペーンだが、今まで半ば放棄されてきた先富論の後半部分--落伍した者を富んだ者が助けるという理念を貫徹した点で意義がある。もちろん科学的発展観などを打ち出した前政権でもやっていたとは云え、その熱の入れ方には大きな違いがある。パフォーマンスとはいえ、指導者が直々に農村まで赴き、農民の話を聞くというのはなかなか見ない光景だ。これが「ちゃんと見捨てないで人民のために働いているんだ!」というイメージを与え、意外にも宣伝効果は高い。

 

このキャンペーンは広く農村を振興し、発展の不均衡を是正しようとした点が毛主席の考えとリンクするところがある。平易に云えば「共産党はビンボー人の味方ですよ」という原点に立ち返りつつあるということだ。 ただし、農村で何でもかんでもやろうとした毛主席と、あくまで農村の貧困支援に専念した習主席との間には相応の離隔があることは注意を要する。

 

社会の不均衡是正といえばもう一つ思い浮かぶのが、私企業の競争制限に積極的であるということだ。 これは最近のアリババの独占に対する罰金措置などが該当する。西側諸国からさんざん攻撃されている以上、それと戦う中国企業の足を引っ張って良いの?と思わなくも無いが、それ以上に均衡の取れた発展が重要と考えているようだ。さらに、アリババの創業者である馬雲が当局を批判してもいるため、ちょっとお灸をすえたという面もあるのだろうが。

 

加熱しすぎた競争を抑えるためという目的が主なものだとは思われるけれども、均衡の取れた発展・競争を志向している点で「脱贫攻坚」と似ている印象を与える。しかしこれは消極的な毛主席模倣であると考えられる。つまり、経済をソフトランディングさせつつ順調に発展させていくための方途であり、単位(都市部の生産共同体)や人民公社(農村部の生産共同体)などで生産手段の共有を目指した毛主席のそれとは急進度が相当に異なる。

 

共青団を知識青年みたいに扱うのも毛主席的と言えるだろう。数年前のニュースで、共青団員を農村へ赴かせる運動を開始しようとしているとあったが、まんま下放じゃないか。尤も、ただ闇雲に下放するのではなく、おそらくは農村の現状に触れさせて、都市一辺倒の改革開放政策を改めるためのリーダー教育であると思われる。

 

最後に挙げておきたいのは一帯一路の政策だ。なんだか発展途上国にやたらと金をばらまいているイメージだが、それで正解だろう。中国と発展途上国というと1950年代の非同盟諸国運動の高潮をイメージするが、アフリカ諸国の独立や発展途上国間の格差により早くも1960年代には退潮していった。その時は反帝国主義・半植民地主義という崇高な理念があった。ただ、理念だけで国は立ち行かない。改革開放後の拝金主義を経て、そのことに気づいたればこそ、現代版は実弾を備えたのだ、と見ることもできよう。

 

毛主席模倣の理由

ともすれば「個人的に敬服しているから真似しているんだ」という説が出てくるが、そんな単純なモノでもないだろう。そんな単純な思考しかできないような人なら、あんな大国のリーダーになることはできまい。慎重にどこを真似するか・しないかの取捨選択を行い、いろいろな計算を立てていることは模倣しているポイントとして挙げた各政策を検討していけばわかる。

 

たとえば経済的な分野。ちょっと不均衡を是正するだけで社会主義的だのなんだのと騒がれがちではあるが、毛主席の政策とは全く異なる。毛主席はもっと急進的で、生産手段を一切共有しようとしたり、平均主義を志向したりなどの政策が代表的だ。習主席は、すでに何度も述べているように発展や競争の不均衡を是正しているように感じる。それは理想主義というよりも、かなり現実的である。なぜならば、格差や独占を許すと中国共産党の正当性に関わってくる。つまり自分たちの政権が危ないから対策をしているといえよう。


なぜそこで毛主席のイメージを持ち出すかと言うと、「格差がなかった古き良き時代の偉大な指導者・毛主席」という、多くの人民の頭の中にある漠然とした印象と自身を重ね合わせる事によって、より効果的に「脱贫攻坚」キャンペーンや独占禁止などの機会の均等確保を演出し、党と自身に対する正当性確保につなげたいのだと私は考える。

 

経済以外のポイントも、分析してみるとしっかりと他政策と連関しており、政権にメリットがある。当たり前だが、ただの模倣に終止しているわけではないのである。

 

共青団員の下放に関するニュースはそれ単体で見ると「毛主席ファンのやべぇ指導者が発した変な政策」だが、共青団という組織が将来の各級指導者を育てるための組織であることと、立ち遅れている農村を豊かにすることは党の本分であることを考えれば、それほどヘンテコな政策ではない。見かけは毛主席のそれに似ているが、その実はかなり現実に即したものといえる。こうした大衆動員による政治は毛主席の影響が見て取れる。こちらもやはり、農村を気にかけ、大衆動員を行うリーダーとして自身を毛主席に重ね合わせて支持の強化を図るためか。


一帯一路構想だけは少し毛色が異なる、と私は見ている。もちろん、非同盟諸国の連帯の再興という点では1950年代当時の雰囲気を受け継ぐものではあるけれども、この件と毛主席はそれほど密接な関わりを持っていない。これは毛主席のマネと考えるのではなく、毛主席時代の超克を目指すものだとすべきだ、というのは穿ちすぎた見方だろうか。

 

似たようなところでは台湾問題がある。毛主席の時代には統一ができなかったが、どうやら習主席は本気でやるつもりらしい。香港というモデルケースがボロボロになってしまったから統一を急いでいる面もあるだろうが、毛主席と同じ年齢までの長期就任を目指すなどの、対抗心を感じさせる要素もあるため、やはり毛主席時代に達成できなかった統一を達成したいという意図も多分に含まれていると言って間違いないだろう。

 

一帯一路構想も同じように、毛主席時代にはグダってしまった非同盟諸国の連帯を、ぜひとも自分は達成したいという意気に満ちているように感じられる。この考えは完全なる予想だが、当たらずとも遠からずと思っている。

 

全体を通して注意したいのは、習主席が用いている毛主席のイメージは「人民の慈父・偉大な領袖」的な一種の作られたイメージであり、鄧小平が下した「功績7割、誤り3割」の史実イメージではないのである。 


毛主席というのは日本人からすると、大躍進とそれに続く文化大革命の影響で評判がよろしくない。その視座に固執するとなぜ模倣するのかという疑問に答えは出づらい。中国にも、もちろん毛主席の悪いイメージは存在するが、それを覆い隠そうとする試みはずっと続いている。だから文革は未だタブーだ。博物館を見ても中央電視台の歴史特集の放送を見ても、1966~78年までは抜け落ちている。この事実と習主席による毛主席の模倣は矛盾しない。つまり、不都合なところは昔と同じく隠したまま、良いイメージだけを利用している。つまり、「毛主席を模倣している」のではなく、「人々のイメージの中にのみ存在する良い毛主席を模倣している」とも言えよう。

 

だから、「第二文革をやるかもしれない」などと言われるが、 自分のイメージにも影響がある毛主席の不都合な歴史を掘り返すことはわざわざしないであろう。その証拠に、文革期のようなリーダーを称える歌(紅歌)が作られるが、当局の手によっていっつも消されている。私のような紅歌ファンにとっては残念極まりないんですけどね。


まとめると、先も述べたように、すべての局面で毛主席イメージを用いているわけではないが、良いイメージが利用できる場合には利用している、というのが結論である。従って、「なぜ毛主席を模倣しているのか」という問いに対する答えは「自身の進める政策のうち、格差是正や過度な競争の制限、農村部の重視などが毛主席を彷彿とさせる。そこで、多くの中国人が漠然と好意を寄せる彼の、「人民の慈父」と「偉大な領袖」的イメージを利用して政策と自身の宣伝を図っているため」となろう。

 

毛主席のすべてを肯定し、模倣しようとしている訳ではないことは、文化大革命時期が未だに表舞台に出てこないのを見れば理解できる。

 

このうち、習主席の行っている各種政策が、毛主席の影響を受けて立案したものなのか、それとも現状に対応して計画したものであるのかは更に検討する必要があるだろう。


おわりに--ビジネスファン疑惑

さて、ここで前提へと話を戻そう。習主席一家は文化大革命で散々な被害にあっているのに、なぜその発動者である毛主席のマネをし続けているのかという疑問があった。この疑問は上記の思索を経たあとだとあっさり解消する。

 

習主席の模倣に見える毛主席は、悪いイメージが完全に取っ払われている。これだけ前面に毛主席を押し出していながら、相変わらず大躍進と文化大革命はタブーのままだ。大躍進はともかく、文化大革命は「官僚階級と戦う継続革命だ!ワンソェ!」と毛主席ファンなら言い始めそうなものだが。それに加えて習主席の政策は、いくらか社会主義的な香りがしなくもないが、毛主席の急進的なそれと比べるとまったく穏健である。

 

こうした点から習主席が目指す社会は毛主席のものとは全く異なるではないかと思われる。ではなぜ毛主席をやたらと使うのかというと、先程も述べたように毛主席イメージと自身を重ね合わせることによる権威強化と宣伝という目的があるからだろう。


もしこの推測が正しいとすると、習主席は毛主席を自身の人気獲得のツールとしか考えておらず別に好きではない。更に台湾問題や一帯一路を併せて考えると、毛主席を越えようとすらしているのではないかという仮説を導ける。毛主席ファンガチ勢の私からするとなんともショッキングな仮説ではあるが、これが正しいとすると、「文革で被害を受けたのに、その発動者のファンであり、かつ真似ようとしている」という不自然な点が解消されるのだ。

 

今まで同志だと思っていた方にビジネスファン疑惑が生じて驚きを隠せないが、実際はどうなのだろうか。これからも状況を注視したい。このサイトが「習近平アンチクラブ」に改名するかどうかはまったく今後の動向次第である。