中国語歌詞
日本語訳詞
☆概要
原題は「我的家乡」、タイトルは「南京」をつけずに単に「知青之歌」とも言われる。ただし、「知青之歌」というのはこういった知識青年ソングのカテゴリー名称として用いられることもあるため、この曲を指すことが明確な「南京知青之歌」というタイトルで翻訳することとした。知青と略さない「南京知识青年之歌」という名称はほとんど使われていないようだ。
このサイトで何回か取り上げている問題だが、文革期といえども紅歌という単語で拾いきれない歌が存在することは、こういった歌曲が証明している。聴いてみればわかるが、とにかく暗い。四畳半フォークかよ。いちおう、おまけ程度には共産主義要素を最後の部分に織り込んでいるが、そんなことよりも郷愁や過ぎ去ってしまった青春への憐憫といった情感が深く感じられる。
そして何より毛主席が出てこない。それならばまだ許せるものの、キツい労働と辺鄙な農村部を嫌がっているように取れる歌詞は、主席の「知识青年到农村去,接受贫下中农的再教育,很有必要」という指示に反するものだと受け取られてもしょうがない。もしそう判断されたならば反革命の罪を着せられて死が待っているハズ……と考えてたら案の定、作詞作曲の任毅さんが死刑判決を受けてて「やっぱり文革中国は期待を裏切らない」と一人で納得した次第。
どうも南京市五中の仲間同士という内輪で作った曲だったようだが、郷愁を誘うメロディーと南京の風景を思い起こさせる歌詞により広範な知識青年の間で大ヒット。そのことが運悪く江青女史の耳まで届いてしまい、「こんな曲を作ったヤツは死刑だ!」と法治主義ガン無視の宣告を下されてしまった模様。しかし南京がある江蘇省の革命委員会主任であった許世友同志が、たった一曲で死刑宣告をされた青年(=任毅さん)を哀れんで助け出してあげたということだとか。任毅さんは今もご存命のようだ。
往々にして明るさ・勇壮さ100%!みたいな躁病的傾向のある紅歌の海に埋め尽くされていた当時の中国でこうしたしっとりした歌曲は希少である。しかし、ただ希少であるということだけがこの曲を有名にしているわけではないだろう。おそらく当時の知識青年たちが言葉に出せずとも心に抱いていた郷愁や青春を辺鄙な農村で過ごさねばならない悲哀、未来に対する不安をこの曲が代弁してくれたからこそ、この曲は今も知識青年たちの心に記憶されていることと思う。
体温を感じるような暗めの歌詞の中に、「未来的道路多么艰难 多么漫长 生活的脚步 深浅在偏僻异乡」とか「憧憬的明天 相信吧 一定会到来」などの「辛いけど頑張ろ?」的部分を入れることによって暗いっぱなしにならないように希望をもたせているのは見事だ。
歌詞中の「长虹般的大桥」が指す橋は南京長江大橋のことだろう。1968年に完成したから、この曲が作られる一年前に完成したことになる。武漢長江大橋とちがい、ソ連の技術支援を受けることなく自力で作ったため、盛んに宣伝されたと言われる。100%メイド・イン・チャイナという非常に不安が残る橋梁だが、その橋台部分には毛主席語録が飾られ、三面紅旗を象った構造物が置かれ、労農兵の彫像があるなど胃もたれしそうなくらいのオモシロさを放っている。自殺の名所でもあるという。要素を詰め込みすぎ。
「钟山」というのは紫金山の旧名だそうだ。毛主席の詩、「七律・人民解放军占领南京」の「钟山风雨起苍黄,百万雄师过大江」という有名な一節でも登場している。
なお、多くの知識青年が歌い継いで来たために、音源によって歌詞の異同が激しい。今回翻訳するに当たっては、いちばん意味が通りやすい、つまり聞き間違いではなさそうな歌詞に復元して掲載した。下記の動画でも字幕と歌っていることばが違うというトラップがあるから非常にメンドクサイ作業だ。
数多くのバージョンが存在するから一個一個異同をあげつらことはしない。ただし、「生活的脚步 深浅在偏僻异乡」部分の「深浅」が「深陷」に改変されて歌われている場面に作詞者である任毅さんが遭遇したというネットニュースがあったから、少なくとも、この部分の原詞は「深浅在偏僻异乡」だったと判断できる。
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