浏阳河 | 瀏陽河

2021/08/29

1950年代 紅歌

中国語歌詞

浏阳河
词:徐叔华 曲:朱立奇 改编:齐芝田、唐璧光 1959年
 浏阳河
弯过了几道弯
几十里水路到湘江
江边有个什么县
出了个什么人
领导人民得解放

浏阳河
弯过了九道弯
五十里水路到湘江
江边有个湘潭县
出了个毛主席
领导人民得解放

浏阳河
弯过了九道弯
五十里水路到湘江
江水滔滔流不断
比不过毛主席的恩情长

毛主席
像太阳
他指引着人民前进的方向
我们永远跟着毛主席
人民江山万年长

浏阳河
宽又长
两岸歌声响四方
幸福歌儿唱不尽
歌唱敬爱的毛主席
我们心中的红太阳
歌詞及び作詞・作曲・改編者は『红歌宝典』を参考にした。
 
※「领导人民得解放」は「世界把名扬」とも
※「出了个什么人 领导人民得解放」のあとに「哦 我还不晓得哦」というセリフが入るバージョンもある。
※ 「人民江山万年长」は「幸福的日子万年长」とも。

日本語訳詞

瀏陽河
作詞:徐叔華 作曲:朱立奇 改編:斉芝田、唐璧光 1959年
瀏陽河
いくつ曲がって
何里をゆけば湘江だ?
ほとりにあるのはなに県で
誰が生まれて
人民を解放したんだい?

瀏陽河
九つ曲がって
五十里行きゃあ湘江さ
ほとりに湘潭県があって
ここに生まれた毛主席が
人民を解放してくれたんだ
 
瀏陽河
九つ曲がって
 五十里行きゃあ湘江さ
流れる水は深いがね
毛主席の温情の深さにゃ及ばんよ

毛主席
わが太陽
人民率いて前進む
我ら永遠に毛主席に従うぞ
人民の山河はいつまでも
 
瀏陽河
長くひらけた川岸に
うたごえは響き
尽きない幸せの歌
 歌おう我らの毛主席
我らの心の太陽


☆概要

今回翻訳したのは湖南民謡テイストの有名紅歌「瀏陽河」。なんだかいろんな歌詞のバージョンがあって、どれを中国語歌詞として掲載しようか決めるのが大変だった。


歌詞の出典元として選んだのは『红歌宝典』という紅歌のCD集に付録している冊子に記載の歌詞だ。この冊子も誤字や脱字が多くてあまり信用したくないのだが、同じくらい、いやそれ以上に百度百科の適当さも信用できないからしょうがない。なお、『红歌宝典』には一部の歌詞が載っていなかったため「怀旧金曲 立地城」同志も参照させていただいた。

 

軍歌調で突進してきがちな紅歌の中では非常に珍しいメロディーを持つ。瀏陽河を船に乗りながらゆっくり下りつつ船頭のおっちゃんと話しをしているゆったりとした、そしてちょっと幽玄な情景が目に浮かんでくるようだ。非常に歌詞とマッチしていると言える。歌詞の文字数も少なく、語りや演劇に近い体裁を取っていることもこの曲の情緒を高めているゆえんであろう。


ただし、歌詞の「领导人民得解放」は「世界把名扬」にしたほうがまだマシだ。「誰が生まれて名が知られたの?」はなんとか受け入れられるものの、「誰が生まれて人民を解放したの?」ではせっかくの情緒が台無しだ。なんで「人民を解放した」っていう実績は知ってるのに名前は知らないんだよ!そんなわけ無いじゃん!

 

その点で「哦 我还不晓得哦」という台詞を入れたバージョンは賢明であった。直訳すれば「私はまだわからない」となるが、非常にわざとらしい言い方で発せられるそれは「う~ん、ちょいと忘れちゃったなぁ」とすっとぼけたふうに訳したほうが良いだろう。このセリフ一つで不自然さは解消され、二人で毛主席の偉大さを改めて噛み締め確かめているような場面に変わる。

 

あと一点残念なのが、「毛主席~像太阳~」以降の部分だ。それまでは比較的自然な歌詞だったのに。こっから急にいつもの調子に戻って毛主席万歳を大いにやり始める。それは結構なことなのだが、それまでのテイストをひっくり返してしまっていて勿体ないよ。やはり現代ではこれ以降が歌われることは少ないようだ。

 

さて、この曲は瀏陽河が毛主席の故郷を流れているとやたらアピールしてくる。それを聴いて、中国の地理を全て把握しているわけではないので「ふ~ん毛主席の故郷のそばには瀏陽河が流れているんだ」くらいに思っていたが、今回翻訳するに当たって調べてみたら、どうやら違うんじゃねぇか疑惑が出てきた。


毛主席の生まれは湖南省韶山市(地級市である湘潭市に属する)である。この時点で湘潭県出身じゃなさそうだ。ただし、1893年(毛主席の生年)当時の行政区画がわからないから断言は避ける。少なくとも、今の行政区画の上では湘潭県ではなく韶山市出身だ。

 

文句の付けようがない湘潭県出身者といえば…ちょっと毛主席といろいろあったから名前が出しにくいが彭徳懐老元帥。かれは湘潭県は石潭鎮というところの出身で、毛主席より瀏陽河に近い。

 

そして話題の瀏陽河が本流である湘江と合流するのは湖南省の省都である長沙でだ。ここから毛主席のおうちまでは30キロ以上離れている。というか瀏陽河自体が毛主席の生家の対岸にある。直線距離で一番近く、かつ韶山の農業用水として馴染み深いのは漣水のほうだろう。とはいえ、こちらも10キロ強は毛主席家から離れている。すごい山奥に住んでたから。彭徳懐同志のお宅は漣水のほとりにある。


ところで、毛主席の同郷で湖南人といえばもう一人有名なのがいる。彭徳懐同志より名前が出しにくいその人は長沙の寧郷市出身。毛主席のお家よりも10キロ程度北に生家があるからこちらのほうが瀏陽河には近いことになる。

 

我々は、あたかも毛主席のカリスマ性が流れているかのように瀏陽河を感慨深く記憶するが、当の毛主席にとって瀏陽河はそれほどでもないかもしれない、というなんだか空回りしているような歌。いや、ちゃんと良い曲ですよ!

 

☆動画