中国語歌詞
日本語訳詞
☆概要
このブログで主に和訳しているのはどちらかというとマイナーな歌曲だが、それらを訳して公開するたびに「こんな良い歌が知られていないのはもったいないな」と思う。この曲を日本語訳しているときにも似たような感情が湧いてきたが、「良い曲だから知られてほしい」という気持ちよりも「こんなイカれた曲をイジらないなんてもったいない」という考えが先に浮かんできた。
聴いてくださいよ、この語彙の少なさ。何回同じこと言ってのかと。「毛主席」という単語が三分強の歌の中に28回も出てくる。お経か何か?
そのほかにも似たような表現を何度も使ったり、繰り返しパートが多かったり、「永遠」を2回も重ねちゃったりしていることからもこの曲のしつこさ、ねちっこさがお分かりになるだろう。さながら油の海に食べ物が浮かぶ中華料理のよう。
こう書くとできの悪い曲のように思われそうだが、実はそうではない。そもそも紅歌は「しつこさ」という要素を往々にして持っており、「しつこさ」はさらに「内容のしつこさ」と「時間的なしつこさ」に分けられると思う。この要素が特にわかりやすいのは「毛主席万岁」だろう。「万岁万岁万岁万岁万万岁!万岁万岁毛主席~!」とかかなりイッちゃってるでしょう。でもこの曲と違って飲み込みやすいのは「時間的なしつこさ」が無いからだろう。あの曲は確か2分以内で終わったんじゃないか。その点、この歌は時間的にも内容的にもしつこいという稀有なバランスを持っている。それは欠点でもあるが、「個人崇拝の狂気を表現することに成功している」というメリットとして捉えることも可能な故に評価が分かれそう。私は好きです。
この曲で評価したいポイントは、ライブ向きの構成となっているところだ。リードボーカルが歌ったあと「和我们在一起」、「敬爱的毛主席」とコーラスが歌い上げるところは観衆にマイクを向けて歌ってもらうと盛り上がりそうだ。また、後半の部分で毛主席視点と人民視点を用意しているのも良い。「毛主席は永遠に永遠に我らとともに」、「我ら永遠に永遠に毛主席に従いゆく」これは毛主席との一体感を強調するだけではなく、聴いている人民の間にも一体感を醸成するものだと思う。
毛主席が好きすぎて至るところに毛主席が見えるようになりました!という「ヤバいのかな?」と思わせる歌詞も魅力たっぷりだ。太陽を見ても本を読んでもバッヂを付けても毛主席にお目にかかるというのは理解できる。太陽は毛主席を例える際に使われるクリシェだし、毛主席の著作(=紅い書)やバッヂ(=毛主席バッヂ)に肖像画が描かれているのは当然のことだ。しかし「賛歌を歌えば毛主席にお目にかかる」というものだけ異質で怖い。紅歌を歌うと毛主席の幻覚を見たりするのだろうか。
「读毛主席的书,听毛主席的话」という©毛主席の親密な戦友・林彪同志要素もある。また、永遠を2回重ねるという作風は林彪同志の発言した「最小最小最小,最大最大最大(ごくごくごく小さく、ごくごくごく大きい)」とそれに続く似たような表現ブームを彷彿とさせる。したがって、この曲が作曲されたのは1960年代後半くらいだろうと予測できる。創作経緯や作詞作曲は調べた範囲ではわからなかったが、もしかすると林彪同志となにかしらの関わりがあるのかもしれない。
「毛主席永远和我们在一起」というよく似た名前の歌曲があるが、こちらは西藏民歌でまた別の曲。ただし、これだけ永遠を連呼しているのだから、むしろこの曲が「毛主席永远和我们在一起」のほうがよかったのでは。
☆音源
いつもお世話になっている「立地城」さんの怀旧金曲コーナーにありました。まさかの、ねちっこさに追い打ちをかけるような語りパート付き
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