中国語歌詞
日本語訳詞(榎本泰子氏訳)
日本語訳詞(毛ファン訳)
☆概要
今回翻訳するのは聶耳作曲の「大路歌」だ。本曲は彼の出世作ともなった歌で、なるほどたしかに名曲である。毛主席ファンのわたくしからすると「紅さ」が足りない一曲なのだが、この歌に紅さを足そうとして大コケし黒歴史と化した「文革版大路歌」もあるので、これはこのままで良いのだ。
この歌はもともと映画の主題歌なのだが、そのタイトルが「大路」で土木作業員と抗日をテーマにしたもの……とあまり面白そうなものではないが、わりとヒットしたそう。監督は孫瑜という方だが、彼のキャリアの中での最高傑作とも呼ばれている。ちなみに歌の作詞を担当してるのも孫瑜さん。
さて、紅い変身に失敗した本曲ではあるが、オリジナルバージョンをなんとラベリングするべきかというところは悩みどころでもあり、考えるに楽しいポイントでもある。
ご存知のとおり、中国の十八番は紅歌だが、アレを労働歌と呼称してよいかには疑問が残る。いわゆる労働歌の大半は、資本主義社会で闘う労働者に向けて作られた歌ではなかったか。例えば本邦の万朶の桜か襟の色~……もとい聞け万国の労働者~♪のフレーズで有名な「メーデー歌」を聴いていただければ分かると思う。紅歌が歌う中国は社会主義だ。そんな歌がなくとも労働者は「爾の価値」とやらに気づいているし、部署なんか放棄する必要がないのだ。放棄したら労改でしょうね。つまり、サブカルチャーであった労働歌はメインカルチャーとなり、メインテーマの労働者に宣伝するモノゴトが変わったのだ。それゆえ、紅歌は労働者を扱ったものであっても基本的に労働歌ではないと見做すべきだろう。もっとも、労働歌とはなにかという厳格な定義が存在しないことにも注意を配る必要があるが。
ただ、本曲はべつだ。解放前に作られて、しかも作者が左翼音楽家と来たもんだ。音楽性や歌詞を見ても、正統派な労働歌と言えるのではないだろうか。西洋音楽の受容から紅歌までが爆速で進んだ中国にあって、こうした労働歌は非常に珍しいと言える。すくなくとも私がパッと他に思いつく労働歌は中国は台湾の「產業工會歌」くらいしかない。
歌詞と曲の考察に入ろうと思うが、その前に訳が2つあることについて述べておかねばなるまい。いちばん下の訳がわたくし毛主席ファンクラブ委員長の翻訳で、中段にあるのは榎本泰子氏という中国研究者の翻訳だ。プロの翻訳とならべるとがんばって訳したモノが拙く見えるから嫌なんだけどね……。
氏の著書『楽人の都・上海 近代中国における西洋音楽の受容』ではタイトル通り、西洋音楽を受け入れて中国の音楽文化がどのように発展していくかが当時の上海を通じて丹念に描かれている。その中で聶耳の故事が紹介されているのでぜひ引用せねば、と思った次第だ。私のレビューはいつも、「紅さが足りねぇよ」とクダを巻いて終わるだけなので、今回は氏の論評も織り交ぜつつ曲を見ていこうと思う。
まず曲調から見ていこう。
紅歌とはかなり趣を異にしているのは聴き始めてすぐに分かるだろう。小さな重い音が、人夫の隊列が、少しづつ前進しているような音だ。紅歌だったら初っ端からチャッチャカズンチャカとさぞやかましい事だろう。
前掲書によるとこの曲はもともと監督の「『ボルガの舟唄』のような悲壮なものを」という指示に従って制作されたもののようで、たしかにパクリ疑惑が出そうなほど似ている。ただし、中盤の「压平路上的崎岖」からの転調はこの曲に「明」の部分をもたらしており、そこはオリジナリティを出していると言えるだろう。さらに、前半~中盤の盛り上がり~後半もとても特徴的だ。人夫が鉄のローラーを牽きながら近づき、そしてまた遠ざかっていく情景をうまく描き出しているということを榎本氏は言っているが、たしかに歌詞と曲がとても良くリンクしていると思う。とくに文革版の適当な歌詞を見た後では。
歌詞については、まさしく労働歌といった感じがする。労働歌も格調高いような歌詞を持つものと、労働者の中から生まれた半ば民謡のような趣を持つものがあるが、この曲は後者のほうだろう。人夫たちが力を合わせている様子がヘイホーヘイ!といった威勢のよい掛け声からも伝わってくる、しっかりと土埃の香りがする歌詞だ。また、労働歌のはずなのに資本家とか地主とかの定番ヴィランが出てこないところと、いきなり全世界に呼びかけるのではなく「みんな!がんばろう!」と同僚たちと励まし合っているようなところも特徴だと言える。デモもストもやらずにただ黙々と働く……と聞けば暗くなってしまうが、こういった情景のほうが労働者の実情をより解像度高く描き出しているといえよう。
榎本氏は総括して
「孫瑜監督自らの作詞のうまさもさることながら、従来歌曲の題材にはなり得なかった泥臭い風景を、単純な音とリズムの反復によって表現した聶耳の手腕がひときわ光っている。そこには歌唱上の難しい技巧などは特になく、そのまま道路建設現場に持って行って労働者に歌わせても無理なく歌えそうな気さえする。聶耳の作品を分析してみると、ほとんど全てに共通する特徴があることがわかる。すなわち、単純で決まったリズムの繰り返しが多いこと、用いる音が少なく音と音の飛躍が小さいこと、長く伸ばす音が少なく、短い音の積み重ねが多いことなどである。つまり聶耳の歌曲は、『大路歌』がそうであったように、内容(詞)だけでなく、曲の方面でも大衆化を実現したことに画期的な意義を持っていた」
とおっしゃっている。キレイに〆てくれてありがとうございます。
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