文革用語探究2~红宝书 | 宝书~

2021/04/25

志在四方山ばなし 中国語 文革用語探究

用語と意味

  

红宝书 | 宝书 hongbaoshu、baoshu

(『毛主席語録』を指して)紅い宝の本、宝の本

 


解説

「チャリンコに乗った大群」の一個前の中国人ステレオタイプといえばこれ、65式軍装+「紅い宝の本」。画像は『中国画報』1967年11月号より

60~70年代中国の映像で、いわゆる人民服を着た人たちが振り回している紅いアレのこと。

 

内容的には毛主席の膨大な著作の中から選びだした語句が掲載されている、なんのことはないただの「名言集」だ。ただし当時の中国人、とくに青少年層にとっては格別の意味を持つ本であったと言えよう。彼らにとってそれは、心から敬服する偉大な毛主席のおことばを収録したものであり、生きていく上で必要なことを教えてくれる教科書であり、深遠な共産主義理論を理解するための聖典であり、階級敵と闘う際の心構えを鍛える教本でもあった。

 

本当に畏敬の念を持っていたからこそ、ただ「语录」と呼び捨てにするのではなく「红宝书」という尊称が生まれたのであろう。ちょうど我々がなにか歌を聴いて「エモい!歌詞に共感できる!」と思ったら神曲という尊号を与え、好きなアイドルに握手会で快い対応をしてもらったら神対応として喜ぶのとおんなじ感じ。

 

でもアイドルやスターの作品と違って、この「宝の本」は好き嫌いを選べなかった。いや、正確に言えば「嫌い!」と主張することも出来ただろう。その命と引換えに。


そんなわけで、紅衛兵はもちろん、一般の人民から政府高官、そして驚くべきは「反動派・走資派」と呼ばれた人々までもがこれを肌身はなさず携帯することが求められた。紅衛兵や一般人民は上で述べたとおり学習用としての所持で、反動派認定された人々も名目上は学習用だったが、実際は矯正用のツールとして用いられたようだ。彼らが読まされる語録は、反動派に投降を促すものとか人民の力強さを示すものに限られていたようで、それを学習することによって罪を認めて降伏するように調教されていたとされる。だから「愚公山を移す」とか「人民に奉仕する」、「べチューンを紀念する」などから引用した、語録のいちばんおいしい部分を学べなかったようだ。


そしてあえて触れなかった政府高官だが、彼らにも学習以外に重要な使用方法があった。余華著『ほんとうの中国の話をしよう』によれば、語録登場以前はなんらかの行事に登場した際の黄色い歓声はすべて毛主席のものであり、主席が手を振りながらやってくるのに他の高官はただ拍手しながら出ていくしかなかった。それが語録登場以降はそれを持ってさえいれば手を振りながら登場する事ができるようになったという。声援は相変わらず毛主席が独占していたが、お付きの人々もおこぼれに預かれるようになったのだ。

 

登場シーンでの語録の振り方はそれぞれの個性が出て面白い。周恩来総理は大振りで元気、江青はぶりっこ気味、一番ひどいのは病弱キャラの林彪だろう。彼は腕をチョコチョコチョコチョコと小刻みに動かして声援に応じるのだが、怠惰さが丸わかりだし、だいたい語録が横っ倒しになっているしで天安門に立つ資格なし。

 

さて、学習用や手を振る用、矯正用など用途は数あるがもっと卑近な実用の例を紹介しないわけにはいかない。

 

まずは身分証明書のような使用法。個人名が書いてあるわけではないが、これを持っていないと「人民」そして「同志」であると証明できなかった。不携帯ならば人権が停止されかねないのでそりゃあみんな持つよね。持っていないとバスに乗車できないとか反動派扱いされるとかヒドいエピソードに事欠かない。


そして武器としての使用法。いくら階級敵とはいえあまりボコボコ殴るのは避けられており、特に「武闘じゃなくて文闘をすべし」という指示が出されてからはあまり手を出せなくなっていた。そうはいっても血気盛んな青年紅衛兵、どういう理屈かは知らないが、語録で小突いたりペシペシ叩いたりといった行為はOKとされたようだ。他にも、ブンブン振り回して「こっちだ!行け!」というようなことをやっている映像が残っている。体に当たらないとはいえ、周りを屈強な青年が囲み、自身には敵意が向けられているのだから、さぞ怖い経験だったろうと思う。

 

最後は小道具としての使用法。これは毛主席が登場する際に振りかざしてリスペクトとラブを示すとか、忠字舞(忠の字踊り)という当時流行したダンスを踊る際の決めポーズなどに用いる。平たくいえばペンライトやうちわの代用品というわけだ。


ことほどさように、いまわれわれが想像する「本」というイメージの範疇に収まりきらないほど多様な使用法が存在した。もちろん当時の人々は「読む」という本来の目的もしっかりと果たしており、今でも大部分を暗記しているという人は珍しくないだろう。現代はSNSが発達し、「わかる」短文が日々発信されている。だがそれらはあっという間に消費され忘れ去られる。一方のこの「紅い宝の本」は、当時を生きた人の記憶の奥深くにしっかりと刻まれている。イヤイヤ読んだ層も多く居たとはいえ、その精読っぷりには目をみはるものがある。どちらが正しいかなんて敢えて言うことはできないが、ことばの重みが全く異なるのだな、という感慨とも嘆息ともつかぬ感情が湧いてくる。

 

また、この本のおかげで被害を受けた方は多くいるが、それと同じくらい、いやもっと多くの紅衛兵たちがこの本を通じて毛主席から勇気と希望をもらっていたという事実も我々を複雑な気持ちにさせることだろう。

 

あっ、そういえば「紅い宝の本のおかげで重病が治りました!」とか「盲人が紅い宝の本を手にしたら目が見えるようになりました!」などのルルドの泉もびっくりのトンデモエピソードがいっぱいあるのだが、あまりにもギャグテイストが強くなってしまうので紹介しません。


当時出版された「紅い宝の本」の多様なバージョンや詳細な仕様、デザインなどの「本そのもの」に係る情報はこちらで解説している。