中国語歌詞
日本語訳詞
☆概要
出た!毛主席の唯一正統な後継者にして英明な領袖であらせられる華国鋒主席~~♡♡
毛主席のテーマ曲といえばすぐに思い浮かぶのは、もちろん東方紅だ。しかし華主席のテーマと聞かれてパッと思いつくのはなんだろう、そもそも「華主席って誰?」というところから始まりそうだが……。
華主席を讃えた曲として有名なのは本曲と「1.华主席登上了天安门」、「2.奶茶献给华主席」、「3.颂歌献给华主席」、「4.祝酒歌」などが思いつく。そのうち2.3はマイナーすぎて誰も知らないのでテーマソングになれず、4は華主席味が抹消されてしまったので除外、残るは「华主席登上了天安门」だが、このタイトルを冠した同名曲が3つぐらい存在するため紛らわしすぎてダメ。そういう消去法でやっていけばこの「歌唱华主席」が第一のキャラソンということになろう。
ではその筆頭キャラソンを味わってみよう。
文革がいつ終わったかには議論がある。文革派にとっては極悪人どもがやっつけられた1968年頃までが文革だろうし、一般的に言えば1976年が終わりとされている。さらには1976年以降を指して、「華主席のもとでさらなる文革が……」と述べられたこともある。ここでいつ終わったのかは議論せぬが、この曲を聴けば紅歌界の文革は1976年に終わったことが分かるだろう。今までは何かに追われるかのような戦闘的歌曲やネタ切れ臭漂う大量生産曲が多かったが、1976~1977年作だと推測されるこの歌曲は牙を抜かれたようにおとなしくなっている。もちろん似たような曲調は文革中もあったろうが、歌詞もおとなしくなっていることからより弛緩した感じが強調されているような気がする。
継続革命理論の旗手である華主席と、文革集結を歌い上げるような明るく優しいこの曲は本来合わないはずなんだろうけど、肖像画を見つつ聴くと妙にしっくり来るのは華主席のご尊顔が指導者とは思えぬほどモブキャラめいて……もとい人民に馴染んだ優しいお顔立ちだからだろうか。
歌詞はまぁ~ヒドイですね。 なんかイジり方がわからない感じ。毛主席はすでに題材にされることウン十年。イジり方というのも人民は心得ているし、主席はイジられ方も知っていた。長江を泳いで人民の歓呼を受けた故事なんかはそれを示す典型だろう。毛主席が指導者の親近性・肉体性というネタを見せれば、人民はそれを過剰なほど褒め称えるという構図が出来ていたと言えよう。
一方の華主席はどこをイジればいいのかわからない。むしろイジっていい人なのかもわからない。この曲からはそんな感じが伝わってくる。見よ、「敬爱的华主席 革命的领航人 敬爱的华主席 我们的掌舵人」という歌詞を。なんと当たり障りのないことだろうか!
曲調は華主席の柔和な雰囲気に合致したものだが、歌詞はすこしフワフワしすぎ。それに「毛主席から政治権力は出づる」という華主席の基本スタンスをバラしてしまってるのもどうか。何度も「毛主席がうんぬん、だから華主席で安心です!」と言われるのを聴くとかわいそうになってくる。毛主席がいらっしゃらなかったらキミたち、華主席の領導に従うことはなかったのか。もっと華国鋒という個人を見てさしあげろ。
さて、おわりにかえて「抓纲治国(綱を把握し国治む)」という言葉の解説をしておこうと思う。これは「二つのすべて」と並ぶ、華主席の治世を象徴する語だ。だが残念なことに表面的な意味のみが汲み取られ、本質は沈んで解説されることが少ない。
この語を理解するには、毛主席がおっしゃった「阶级斗争是纲,其余都是目」を知る必要がある。綱と目の意味は生物の分類に使うようなアレだ。つまり、「階級闘争こそが綱(上位)であり、その他は全て目(下位)である。」ということ。
その綱を把握するとはつまり、階級闘争をやって国を治めるというバリバリの文革路線にほかならなかった。当時の人民日報に社会主義と資本主義の路線の違いなどが闘争の例として強調されていることから、走資派とされたこともある鄧小平を抑える目的もあったのだろう。 ただし階級闘争に疲れ果てた人民が呼応するはずなく、華主席は鄧小平に負けた。
その後の華主席は実権がほぼないポストに飛ばされたが、社会主義国の権力闘争にありがちな失脚とか処刑などの憂き目に遭うこともなく鄧小平よりも永く生き続けた。鄧小平の領導のもとで栄えた中国は華主席の目にはどう映ったのだろうか。
ちなみに御大の姓の华はHua4と読む。 華主席ファンならHua2と読むような醜態だけは晒したくないものだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿