【HSK6級合格紀念】向毛主席和同志们汇报

2021/01/11

志在四方山ばなし 中国語

昨年の6月にこのサイトを開設してからすでに半年とちょっと、アップロードした記事は69本。怠惰の権化のような私がよくここまで続けられたなぁ、スゴくね?などと思ったりもするが、そのたびに「今月の閲覧者数:3」のような現実を見て、さらなる刻苦奮闘を誓う毎日だ。ちなみに3人の閲覧者の内訳は「自分のパソコン・自分の携帯・クロールしに来たグーグルボット」という泣きたくなるようなもの。


さて、そんな生身の人間が訪れてくれない過疎ブログの当サイトではあるが、中国語の歌や情報を翻訳して人民に奉仕するという目標を掲げているからには正確な翻訳をするように心がけている。しかし、ある問題があった。それは「私の中国語力」を証明するものがなにもないということだ。

 

いちおう大学で4年間みっちりと中国語を専攻したという経歴があるにはあるが、まともに授業へ出てなくても、中国語がド下手のままでも卒業できちゃうのが大学というものなので中国語力の証明としては弱い。それに卒業証書をアップロードしているわけでもないから、本当は大学なんか出ていないウソ経歴であるという可能性も排除できまい。


そんな状況を脱すべく中国語の実力を客観的に測ってみようと思い立った。幸い、おあつらえ向きの試験である「汉语水平考试(HSK)」というものが存在するので昨年の12月6日に受けてみた次第。その結果が発表されたので毛主席と広範な同志たちに向けて報告するものである。


HSK6級受験結果


氏名などの情報がバレると、現実世界で媚中派として白眼視されかねないので主席で隠している。別に性別なんぞは公開しても良いのだが、「もしかしたら美少女紅衛兵がブログを書いているかもしれない!」という夢を持たせるために隠しておこうか。

 

受験したのはHSK6級だ。漢検や英検6級は履歴書に書くとやべぇやつだと思われるくらいには入門レベルだが、HSKは順序が逆で6級が一番上級となっている。試験は「听力(リスニング)」、「阅读(読解)」、「写作(作文)」の3分野から構成され、各100点で評価される。


今回の試験で獲得した点は205点。判定のところになんにも書いてくれていないが、これは下に書いてある通り、合否を記載しなくなったかららしい。といっても中国語界隈では180点以上を合格程度としているようだし、公式ホームページでも「2012年内の試験までは~6割で合格什么什么」といっているから形骸化しているような気がしないでもない。私の成績は事実上の合格ラインを上回っているのだが、自己目標は8割の240点だったため不完全燃焼という感じ。それでも合格の報に接した時は飛び上がって喜んだけどね。

 

HSK6級の実力、ホントのところ

そういうわけで、めでたく合格となった。公式が「中国語の音声情報や文字情報を不自由なく理解することができ、自分の意見や見解を流暢な中国語で口頭または書面にて表現することができる」程度の実力と言っているくらいだから、私の中国語力はある程度の保証ができたといえる。したがってドヤ顔でこのサイトのいたる所に「実力:HSK6級合格」と書きつけようと思ったのだが、残念ながら6級合格に必要な中国語力は公式が喧伝しているほどは高くない。

 

この問題は「HSK6級 CEFR」などでググればすぐに見つけられる。HSK公式とその親方五星紅旗は「6級はネイティブレベルあるよ~CEFRで言えばC2あるね~」と中国の十八番である白髪三千丈をやらかしているが、6級は「中の上程度の中国語力」を有していれば高得点で受かるだろうし、CEFRで言えばB1・B2レベルな気がする。この問題はHSKを無理やりCEFRに合わせたことに起因するらしい。試験問題を改変した上で基準を変えるのならば没问题なのだが、試験問題はそのままで基準だけ変えるという中華感あふれることをやったせいでおかしなことになっているらしい。ただし、この問題を考える際には中日は同文の国であるから、もとより日本人に有利であるという観点からも見ることが必要だろう。日本人は漢字を知っているから、発音できなくても聞き取れなくても、読み書きはある程度できる。そういう意味ではシード権があるようなものだ。一方の非漢字文化圏では最初は読めない・書けない・聞き取れない・喋れないというところから出発しなければならないのだ。


私の実力から見ても、公式が謳うような6級の能力は過剰気味だと感じる。恥を忍んで申し上げると、私はいまだネイティブスピードについていくことなどほとんどできないし、何かを伝えたくても「あ~う~」と昔の総理大臣のようになってしまうこと度々だ。もっとも、日常的な中国語会話はかなりアヤシイけれど、話題が党とか毛主席、文化大革命に及べば滔々と絶えないことばの流れが生まれるのは言うまでもないから安心してほしい。

 

感想和反省

12月6日の試験会場はひどく寒かったのを覚えている。新型コロナ対策は大変結構だけれども、風がビュウビュウ吹き付けるなか全員がコートを着込んで震えているのは試験としていかがなものだろうか。寒さと遠路に耐えかねて心も体も膀胱も限界を迎えつつある中の試験だったし、できた実感がほとんど無かったため、てっきり落ちたと思っていたのだが、蓋を開けてみれば205点と合格基準である180点をかなり超過達成できたのは喜ばしい限り。

 

ただし、6級の獲得点数として、205点はあまり褒められたものではない。上記の通り、6級は公式が謳うほど難しくはないので、8割である240点くらい取れるようになってはじめて上級者と呼べるレベルに達するのではないか、と思う。


それに205点という微妙な点数もキライ。7割に達してもいないし、合格ギリギリでもない。せめて7割であれば「まぁ8割には達しませんでしたが、7割は取れました。オレ、これでも日本人ですよ?」などと小さなイキリができるし、ギリギリであれば「182点!?ひょえ~」などと寒いネタを挟める。だが205点じゃイジリ甲斐もないし、ネタにもしづらい。まったくブログに映えない点数である。

 

そんな平凡な点数だが、リスニングが思ったより高かったのにはビックリだ。問題の途中からどんどん听不懂部分が増えていき、絶望しながら「今こんなことを言ったような気がしないでもないからAだ!」となかば雪隠火事で解いていったのだ。それが70点とは運が良かった。

 

逆に読解は予想よりも低かった。並び替えはどうせわからないので良いとして、長文のパートを数問落としてしまったのは痛恨の極みだ。あの部分は日本人が無双できるポイントなので、できれば満点を目指したかったところ。


作文が他と比べて5点低いのはなんともいえない後味の悪さを感じる。題材はたしか雲崗石窟の維持管理に功労がある女性の話だったと記憶しているが、こういう話と私は相性が良いものと思っていた。なぜなら毛主席語録をかなりの部分暗記しているから、こういう題材に役立ちそうな表現が出てきやすいのだ。今回の試験でも「○○女史,毫不利己专门利人的精神」とか「云冈石窟有困难有问题需要她去解决,她为着解决困难去工作去斗争的」などと得意げに書いたが、まさかの低得点に終始した。たぶん、サラッと流すべきところを長広舌をふるって大仰に書いたため、採点者のお気に召さなかったと思われる。これが1966年であれば状元は間違いなかったのにね。


こういうふうに反省点は数え切れないほどあるけれど、それでも合格したことが重要だ。大学在学中に取得を奨められていた資格であったのだが、めんどくさい・お金がない・実力もないという垃圾っぷりだったので取得しようとも思わなかった。それがこうして紅歌や毛主席、文化大革命を人民大衆に紹介するブログを始めたことにより取得しようというマインドへ切り替わったのだ。自分の好きなものをネット上に発信できるだけでなく、実社会で役に立つ資格も取ることができたのは嬉しいことこの上ない。

 

あまり褒められた成績とはいえないけれど、少しでも合格に役立ちそうな情報とか勉強法などをまとめて、また後日記事をアップロードしようと思う。少しばかりの「HSK?オレは6級っスね」というドヤ顔も添えて。