到农村去到边疆去(農村へ辺境へ)

2020/07/12

1960年代 紅歌 知識青年歌曲

中国語歌詞

到农村去到边疆去
践耳:词曲 1964年
到农村去到边疆去 到祖国最需要的地方去
到农村去到边疆去 到革命最艰苦的地方去
祖国啊祖国 养育了我们的祖国
要用我们的双手 把您建设的更富强
革命青年有远大的理想 革命青年志在四方
到农村去到边疆去 让生命发出更大的热和光 更大的热和光!

到农村去到边疆去 到祖国最需要的地方去
到农村去到边疆去 到革命最艰苦的地方去
亲爱的党啊 教导着我们的党啊
要用我们的行动 来回答您的期望
革命青年有远大的理想 革命青年志在四方
到农村去到边疆去 让生命发出更大的热和光 更大的热和光!

日本語訳詞

農村へ辺境へ
践耳:作詞作曲 1964年
農村へ辺境へ 祖国がいちばん必要とするところへ行こう
農村へ辺境へ 革命がいちばん困難なところへ行こう
祖国よ祖国 我らを育てた祖国
我らの両手で より強く豊かな国に
革命青年 遠大な理想を抱き 革命青年 志は四方にあり
農村へ辺境へ この生命を更に熱く輝かせよう 更に熱く輝かせよう!

農村へ辺境へ 祖国がいちばん必要とするところへ行こう
農村へ辺境へ 革命がいちばん困難なところへ行こう
親愛なる党 我らを導く党よ
我らの行動で その期待に答えたい
革命青年 遠大な理想を抱き 革命青年 志は四方にあり
農村へ辺境へ この生命を更に熱く輝かせよう 更に熱く輝かせよう!



☆概要
中国における熱血青春ソングとも言える一曲。「让生命发出更大的热和光」というフレーズがなんとも言えぬ若さとアツさを醸し出している。むしろ全体がアツすぎて逆にチープさとかうさんくささまで輝かせてるのはご愛嬌。それでも「祖国啊祖国」から一転して心込めて歌うパートは曲にメリハリがついて良いし、全体を見れば軽快で明るい歌で、名曲であると感じる。ただ一つ残念なのは、国、党と来たのだから毛主席パートも入れてほしかったこと。1番も2番も歌詞の内容は似ているのだから、3番で毛主席を入れるのも簡単であったと思うのだが。

創作年度が不詳だったが、搜狐で調べてみると一人の中国人が1964年と解説していたので、不安ながらもそれに従った。それでも、この曲は上山下郷運動が本格化する1968年以前に作られたことは確かなようである。作者は手元の資料、『红歌宝典』による。

下放先でいちばん「艰苦」だったのはどこだったろうか。多くの知識青年は現住所から近い場所に下放されたようだ。東京区部から奥多摩に向かったような感じだろうか。そういった場合は当地の人民公社生産大隊に配属(插队)され、かなり重労働ではあるが、近郊ゆえ気候や風俗が似ていることもあって「大変だったけどいい思い出だ」と語る体験者は少なくない。また、かなり遠くなってしまうけれど、建設兵団に入隊するというのも選択肢としてはあったようだ。こちらは少ないが給料は貰えるし、ある程度の生活が保証されているので比較的人気だったという。一番大変だったのが遠方にあるどっかの公社に配属されるということのようで、気候も違えば人間も違う。あまりに大変な環境に精神に異常を来す者や自殺者が出たと言われる。このあたりのことは陳凱歌著『私の紅衛兵時代-ある映画監督の青春』に詳しい。


☆動画