中国語歌詞
日本語訳詞
☆概要
ただし、文革期の紅歌とは一線を画した「魅力的」ということは、実際に聞いてみればわかるはず。タイトルからしてちょっとラブソングのような趣を持っている。これが文革期だったら『毛主席来到青年突击队』とか『青年突击队员心向共产党』とかそういうタイトルになっていたに違いあるまい。
もともと本曲は女声で歌われることを想定し、曲も歌詞も作り上げられたものだ。結果的に素晴らしい作品になっているし、上記の『在希望的田野上』も彭麗媛の美声によって更に魅力を高めた曲。文革でイメージされる男声の迫力ある労働歌調とはそもそも土台が異なる。施光南は、改革開放へ向かう中国の感情をうまく織り込むことが出来た作曲家といってよいだろう。そういう意味で新時代の紅歌とも言える。しかし、文革が1976年に終結したとすれば、わずか3年で随分と音楽芸術が様変わりしたと感じる。こういうのも作れたのね。
新しい時代の息吹を感じる名曲だけに、歌詞中の「青年突撃隊」がひときわ異彩を放っている。この曲自体がその青年突撃隊に捧げるという意向で作られたものであるという。
ではそもそも青年突撃隊とはなんぞや、ということだが
1954年、北京展覧館の建設中に木工労働者の中の青年たちが自主的に青年突撃隊を組織して空前の生産効率を達成。その後も瓦工、左官、コンクリート工などの各分野から生まれた。青年突撃隊の設置目的としては
①臨時型 臨時性を持つ現場や事象に対して組織された部隊。この部隊は突撃性が強く、短期間活動した後、各自の職場に戻る。
②業余型 業余の青年たちが組織したもので、生産上の各種困難な問題に対処するという目的を持つ。常設であるが、人数は少なく、小回りのきくような組織として運営される。
③固定型 生産上の困難を解決する主力となる部隊。青年のみで構成される場合とベテラン労働者を監督とする二通りの編成がある。部隊編成上では行政と同様の序列、構成を持つ。
の三種があるという。工期の短縮や生産目標の早期達成に向けて「突撃」するため、そういう名称になったのだろう。現在は共青団の下部組織として編成されるようで、①などは各職場の共青団の編成がそのまま適用されるようだ。しかし現代では国営企業は数を減らし、主要な任務も共青団と重複するため、あまり組織されていないようだ。
かっこいい名前だけれど、個人的に「突撃隊」というとナチスのアレを思い出すので「その名前どうなのよ」という感じ。
隊旗 驰宏青年ホームページより引用 |
参考
驰宏青年「青年突击队」http://www.chxz.com/news/1402048216881.html
百度百科「青年突击队」https://baike.baidu.com/item/青年突击队
☆動画
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