中国語歌詞
日本語訳詞
☆概要
紅歌ファン待望の一曲と言える。義勇軍進行曲は勇ましいメロディーと歌詞を持った名曲ではあるが、メインテーマはあくまで「抗日に立ち上がれ!」ということで、毛主席や共産党といった頻出フレーズは一切出て来ない。そういう圧倒的に欠けていた「紅」の要素をこれでもかと盛り込んだまことの紅歌である。やはり毛主席が出てくると安心感が違う。ヒップホップにおける「Bitch」とか聖歌の「God」みたく、とりあえず詞に入れておくと歌全体が引き締まって見える。
文化大革命期は作詞者である田漢が批判され、東方紅が事実上の国歌だった。しかし毛主席が逝去し、文化大革命も終了したので改めて国歌を見直していく必要があった。華主席の領導のもと、義勇軍進行曲を使用する方針が決まったのだが、1978年の時点では田漢の名誉は未だ回復されていなかった。そこで、義勇軍進行曲の詞のみを改めて国歌とすることにしたという創作経緯を持つ。
中文版ウィキペディアによると作詞は李煥之によって行われたそうだが、国歌という地位や大衆に及ぼす影響を考慮して集団作詞としたようだ。作詞後に提出された本曲は「继续革命的战歌(継続革命の歌)」とも呼称された。継続革命とは「社会主義社会にも階級の敵たるブルジョワは存在するため、それらと闘争を行わなければならない」とした毛主席の理論のこと。確かに「長征を継続」、「(祖国を)護るため」といった言葉から、そういった闘争の雰囲気を醸し出していると言えるだろう。
しかしこの名曲、国歌の地位にあったのは1978年から1982年のわずか4年という短い期間だった。その主たる理由は田漢が名誉回復されたからとされる。しかし、田漢が名誉回復されたのは1979年であり、新しく作詞するよりも、田漢の名誉回復を優先したほうが良かったように思える。しかも、名誉回復されたあと、1935年作の義勇軍進行曲が復権するには3年もの月日を要した。当時の指導者である華主席は「二つのすべて」という毛主席の路線を堅持する方針を示していたが、1981年に失脚した。後継は鄧小平だ。そう考えると、既定路線を行こうとする華主席は積極的にこの歌を推進したが、鄧小平は文革を批判的に総括し、かつ自身も批判を受けた経験があるため同じ境遇である田漢が作詞した義勇軍進行曲を積極的に復活させようとしたのではないか。2つの路線の対立という面もこの歌が短命に終わった要因であろう。
☆動画
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